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2023/12/19

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「髑髏の謡」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 髑髏の謡【どくろのうたい】 〔黒甜瑣語二編ノ五〕秋風の吹くにつけてもあなめあなめ、むかし出羽・奥陸の境、南部の山嶺《やまね》に続きし森の館(たて)といふを知りしは、斯波詮森(のりもり)(九戸《くのへ》氏の糊口人にてありし斯波尾州直持の苗裔、この時落魂して九戸に依る)の一家斯波信濃となん云ひし。この家に森山大蔵といふ歩士あり。或時幹事(ようじ)ありて、二戸(にのへ)の阪本と云ふ処に往きしが、白嶺(しらね)の山道を夜ふけて通りしに、木立のあなたに人ありと覚えて、濁(だみ)たる声をはり上げ「ほに出る枯尾花、訪《おとな》ひ来しなうき寐《ね》の夢、さむればみねの松風」とくり返しくり返し凄々(せいせい)とこそ諷(うた)ひけり。森山立ちよりて見てやれば、朽ち残りたる髑髏(どころ)に尾花生ひ茂りてあれど、上下の歯は今に落ちず、その口より諷ひ声の出づる、木の間洩る月かげにありありとうつり見えけり。森山を見て云へるは、我が頭顱(とうろ)に茂りし草を芟(か)りてたべ[やぶちゃん注:「給べ」。]よと云ふに、森山不敵の老人、いと安く承引(うけひき)、かの尾花を手にからませ抜きすてしに、髑髏は世にもうれしげに、これにて我苦しみも解けたり、あら有がたの武士(もののふ)の情《なさけ》やとて、その後は再び物言はず。森山奇異の思ひをなしながら帰りて、明日の晨(あさ)その主人の前にてこの物語りをなしけるに、主人をはじめいづれも大に嘲《あざけ》り笑ひ、何条《なんでふ》さやうの事の有るべき、異《い》なる偽りは雄夫の云はぬ事なり、よし有るにても狐狸の魅(ばか)すなるべしと、誰《たれ》聞き入るべき躰《てい》もなきに、森山大いに面目を失ひ、よしなき物語りして人中に恥を得しぞ安からぬ事なれども、全く偽りの事にあらずと云ふより、みなみな云ひつのり、さらば取り来れよ、その物云ふを見んものを云ふに、森山この事に偽りあらば、賭(のりもの)[やぶちゃん注:勝負事に賭ける物。]には武士の命にかへてんものをと言ひ放ちて立退き、頓(やが)てかの山中に立入り、よべの所を伺ふに、髑髏は猶ありて物云ふべき面《おも》ざし、その姓名をも問はまほしきほどなれば、森山が云く、むかしはいかなる人とも知らざれど、我が心賭して来れり、夜前の苦しみを救ひし礼(ゐや)[やぶちゃん注:敬意。]に、その者どもの前にて物云ひて給べよといへば、この髑髏心よく諾《うべ》なひ答ふるに、森山歓び、静かに油簞裒(ゆたんづづみ[やぶちゃん注:ママ。『ちくま文芸文庫』では『ゆたんづつみ』とする。また「裒」には「つつみ」の意はないので、恐らく「褁」の誤記であろう。「油單包み」で単衣(ひとえ)の布や紙に油を沁み込ませたもの。湿気や汚れを防ぐため、調度や器物の覆い、又は、敷物・風呂敷などに用いた。])になして負ひ帰り、主人の前にて言葉荒涼に罵り、裒《つつみ》をほどき取り出し、さよ諷へよ、さよ語れよと云ふに、少しの譍(いらへ)さヘなければ、森山大いに赤面し、さア諷へ、さア語れと云ふに、髑髏は猶依然たり。その時主人をはじめ、いづれも大いに勃恚《ぼつき》[やぶちゃん注:激しく怒りだし。]し、よくも根もなき空言《そらごと》を云ひつのる偽り武士とて、終《つひ》に賭のごとく、主人の前にて頭を刎ねられけり。その時この髑髏がややと笑ひ出し、「今こそ我願ひ叶ひ、多年の本懐をとげて、恨《うらみ》もはる月の上ればみねの松風」と諷ひ出してやみしぞ怪かりし。これ森山先生聊かの事より、一人の家隷(けらい)を無実の罪におとしいれ、手討《てうち》にせし事あり。その厲(たたり)この髑髏に残り住(とどま)り、多年の恨みをこの時洩せしとなん。

[やぶちゃん注:「黒甜瑣語」「空木の人」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの活字本(明治二九(一八九六)年版)のこちらで正規表現で視認出来る。標題は『髑髏の謠』。それにしても、かなり漢字の読みが難しい。一部はそちらの読みに従った。

「あなめあなめ」連語。小野小町の髑髏の目に薄が生え、「あなめあなめ」と言ったという伝説から、「ああ、目が痛い。」「ああたえがたい。」「あやにくじゃ」の意。]

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