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2023/12/22

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「人形の魂」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 人形の魂【にんぎょうのたましい】 〔宮川舎漫筆巻四〕諺に仏造りて魂を入れずとは、物の成就せざる譬《たとへ》なり。扨(さて)魂の入《いれ》ると入れざるとは、細工人の精心にあり。都(すべ)て仏師なり、画工なり、一心に精心を込むれば、その霊をあらはす事、挙げて算《かぞ》ふべからず。既に上野鐘楼堂<東京都台東区内>の彫物《ほりもの》の竜は、夜な夜な出《いで》て池水を飲む、浅草の絵馬出て田畝《たんぼ》の草を喰ふといふ事、むかし語《がた》りなれども、偽りにてはよもあるべからず。予<宮川政運>愚息の友なる下河辺《しもかうべ》氏、ある人形遣ひの人形を一箱預り置きし処、その夜人静まりし頃、その箱の内冷(すさま)じくなりしかば[やぶちゃん注:中から物凄い音が聴こえてきたので。]、鼠にても入りしなるべしとて、燈火《ともしび》を点じ改め見しところ、ねずみのいりし様子もなき故、臥床《ふしど》に戻りいねんとせしに、またまた箱の中《うち》にて打合《うちあ》ふ音など再々《さいさい》ありしかば、その事を持主《もちぬし》にはなせし処、それは遣ひ人《て》の精心籠りし人形ゆゑ、いつとてもさの如く珍しからず。右ゆゑ若し敵役《かたきやく》の人形と実役《じつやく》の人形をひとつに入れ置く時は、その人形喰合うて[やぶちゃん注:後に示す活字本では正しく『喰合(くひあ)ふて』となっている。]微塵になるといへり。実に精心のこもりし処なるべし。されば人は万物《ばんもつ》の霊なれば、何事の精心の入らざることなし。その訳《わけ》は仏師有《あつ》て子安《こやす》の観音を彫刻せば、子育(こそだて)を守るに験(しるし)あり。また雷除《らいよけ》の観音を彫刻せば、雷落ちざる守(まもり)の験あり。これ観音は一躰《いつたい》なれども、その守る処は別にして、ともに利益《りやく》験然《げんぜん》[やぶちゃん注:活字本では『顯然(げんぜん)』とする。]たるを見るべし。その利益は仏師の精心の凝《こ》る処にして、観世音も利益を授け給ふなるべし。<中畧[やぶちゃん注:「畧」の字はママ。]>我《われ》昔《むかし》彫物師《ほりものし》埋忠《うめたゞ》嘉次右衛門が噺を聞きし事あり。埋忠が云ふ。当時は人間の性《せい》日々わるがしこくなりし故、何職《なにしよく》も細工の早上《はやあが》りのみ工夫なせば、むかしの細工のかたは少しもなき故、いかなるものも皆《みな》死物《しぶつ》のみ多し。昔の細工は金銭にかゝはらず、おのれがちから一ぱいに彫りし故、霊もあり妙も有りといへり。埋忠《うめただ》持伝《もちつた》への品《しな》に、むかし笄《かうがい》あり。至つて麁末《そまつ》なれども、細工は妙なり。その彫《ほり》は編笠被りし人物なりしが、年代ものゆゑ自然《しぜん》と編笠すれし処、下に顔あり、眼《め》口あざやかに彫りありしといふ。中々当時なぞは見えもせぬ処なれば、誰々《たれだれ》も彫らず。これ魂入らぬ処なりといへり。[やぶちゃん注:以下は、底本では終りまで全体が一字下げで記されてあり、字間も通常より半角ほど広い。]

因《ちなみ》にいふ。一昨年中、浅草奥山《おくやま》<都内台東区浅草>にて生人形《いいきにんぎやう》といへる見世物あり。評判高きゆゑ、老弱男女(らうにやく《なんによ》)[やぶちゃん注:活字本では正しく『老若男女(らうにやくなんによ)』となっているが、これは編者が訂した可能性が高い。]この見世物見ざれば恥のごとく思ひなし、日々群集《ぐんじゆ》なす事《こと》実《じつ》に珍らし。この作人《さくにん》は肥後の生れにして、喜三郎といへり。その生質《せいしつ》朴《ぼく》、至《いたつ》て孝心厚きもののよし噂なり。この者の細工自然と妙を得《え》る[やぶちゃん注:活字本に従った。]事、既に大坂にて薪《たきぎ》を荷《にな》ひし人形口を利きて、アヽ重いといひし由、予も見し処、いづれも今にも言葉をいださん有様《ありさま》、感ずるに余りあり。ある人、この者人形拵へ居《ゐ》しを見しに、その念の入りし事は、人形にほりものある人形は残りなくほりあげ、その上へ衣服を著せしよし、これ外《ほか》へは見えぬ処なれば、余り念《ねん》過ぎたりと笑ひし者あれども、これ前にしるせし編笠の下に顔を彫りし細工と同日にして、実《じつ》に感ずべき事なり。されば口利きしといふももつともなるべしとは思はれける。

[やぶちゃん注:「宮川舎漫筆」宮川舎政運(みやがわのやまさやす)の著になる文久二(一八六二)年刊の随筆。筆者は、かの知られた儒者志賀理斎(宝暦一二(一七六二)年~天保一一(一八四〇)年:文政の頃には江戸城奥詰となり、後には金(かね)奉行を務めた)の三男。谷中の芋坂下に住み、儒学を教授したとあるが、詳細は不詳。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆全集』第十巻(昭和二(一九二七)年国民図書刊)のこちらで、正字表現で視認出来る。標題は『精心込(こむ)れば魂(たましい[やぶちゃん注:ママ。])入(いる)』。儒者にしては、文章が杜撰で、歴史的仮名遣の誤りも散見される。但し、読みが多く振られていたので、それを大いに参考にした。

「上野鐘楼堂の彫物」上野寛永寺に鐘楼堂を建立するに当たって、家光から四方の欄間に龍を彫れという命が下り、全国から四人の名工が選ばれ、その中にかの左甚五郎がおり、彼が彫ったその龍は、毎夜、抜け出して、不忍池を呑みに行ったという伝承が残る。現在の鐘楼堂は後のもので、旧のそれは、現在の上野公園の小松宮彰仁親王銅像(グーグル・マップ・データ)が建つ附近にあったようである。なお、東照宮では上野東照宮の唐門にある左甚五郎の竜の彫刻が、その「水呑み龍」だと伝えているらしい。「龍楽者」氏のサイト「龍と龍水」の「龍の謂れとかたち 上野東照宮の唐門にある左甚五郎の龍の彫刻2014」で画像を見ることが出来る。

「埋忠嘉次右衛門」不詳。慶長の頃の山城国の刀工・刀剣金工に埋忠明寿(うめただみょうじゅ 永禄元(一五五八)年~寛永八(一六三一)年)がいるが、この末裔を名乗る者か。

「浅草奥山」浅草寺の裏一帯を指す旧地名。江戸の代表的な盛り場で、見世物小屋が並ぶとともに、香具師(やし)の拠点となり、軽業や、居合抜きなど、特異な芸を見せつつ、物を売った場所であった。明治になり、その見世物小屋の多くは六区に移転した。この附近(グーグル・マップ・データ)。

「喜三郎」「生人形」これは私もよく知っている人形師松本喜三郎(文政八(一八二五)年~ 明治二四(一八九一)年)。彼の作品が初めて「生人形」と称されたものである。当該ウィキによれば、『肥後国(現・熊本県)の商家に生まれる。早くから様々な職人技を覚え、日用雑貨を用いて人物などを仕立てる「造りもの」を手がけた』。二十『歳の頃』、『生きた人と見まごう等身大の人形を作ったので「生人形」と呼ばれた。そのまるで生きてるようなリアリズムは、幼き日の高村光雲』(詩人で美術家であった高村光太郎の実父で、仏師・彫刻家)『にも強い感動を与えた』。『やがて数十体の人形にテーマ性を持たせて製作し展示するようにな』り、『幕末の』嘉永七(一八五四)年『以降、大坂(現在の大阪)難波新地に於いて「鎮西八郎島廻り」、江戸(現在の東京)にて「浮世見立四十八癖」他を見世物にし興行し』、『維新後の』明治四(一八七一)年から八年には、『「西国三十三所観音霊験記」を浅草の奥山で興行を行った』。『この作品は西日本の各地を巡回し、後に』、「お里沢市」で『有名な人形浄瑠璃「三拾三所花野山」(「壺坂」)の祖形となった。そのうちの「活人形谷汲観音像」が熊本市の浄国寺に安置されて』おり、『熊本県熊本市来迎院に』は『「活人形聖観音菩薩立像」が安置されている(有形文化財)』。『このほか』、『桐生八木節まつりの山車に用いられた「桐生祇園祭「四丁目鉾」生人形素盞嗚尊」(桐生市本町四丁目自治会蔵)、絶作の「本朝孝子伝」などがある』とある。グーグル画像検索「松本喜三郎 生人形」をリンクさせておく。特に、「ピグマリオン人形教室のスタッフブログ」by pygmaliondollの「松本喜三郎」がよい。]

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