フライング単発 甲子夜話續篇卷五十 5 石塔磨の怪事
[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。句読点の変更・追加と、読み・記号・改行・段落を加えた。書き付けの部分は標題を含めて、前後を一行空けた。カタカナの読みは静山自身が附したもの。]
50―5 石塔磨(せきたうみがき)の怪事
是も亦、檉宇(ていう)が示(しめし)しなり。
この怪事、已に或人より聞(きき)て、
『疑がはし。』
と思(おもひ)ゐしを、此書寫を見て、復(また)、半(なかば)、信(しん)を生(しやう)ぜり。其文(そのふみ)。
申利より差越候儘寫置候書付
石川中務少輔樣【石川氏居城、常州下館。】[やぶちゃん注:底本に『欄外注記』とする編者注がある。]御領分、當八月朔日夜より、御領分之寺々、石塔磨候もの有ㇾ之、何者之仕業とも相知不ㇾ申、二日、三日あたりは晝も磨候由。一晝夜には、何ケ寺と申事も無ㇾ之、數(す)百本之石塔、一度に磨申侯。其音がりがりと聞え候得(さふらえ)ども、人目に見え不ㇾ申候。石塔は奇麗に相成(あひなり)候上は、朱墨等、入替(いれかへ)候抔(など)も有ㇾ之、其邊に足跡も無ㇾ之、扨々、怪敷(あやしき)事共に御坐候。相違(さうい)も無ㇾ之義に付、御上(おんうへ)え[やぶちゃん注:ママ。]も伺候處、觀音寺・極樂寺には、御石碑も有ㇾ之候間、召捕(めしとり)として、御中小性(おんちゆうこしやう)、其外、廻り方(かた)、加役(かやく)詰切御番(きりつめごばん)被二仰付一候。右磨候石塔見物之老若男女、群集をなし申候。結城・小山・關宿(せきやど)之方(かた)、段々廻り、下舘え[やぶちゃん注:ママ]此節(せつ)參り磨候由。關宿に而は磨居(みがきを)るを見付(みつけ)、追缺(おひかけ)候處、女之姿之由。其足、早き事に而(て)、姿を見失ひ、追かけ候もの五人之内、いつの間やら、髮を被ㇾ切、三人、ざん切に被ㇾ致候よし。右餘り珍敷(めづらしき)義に付申上候。
八月
又、鼎が門人に關宿の邊の人あり、彼(かの)地に往(ゆ)きたる時、正しく聞見して語れるとて、鼎が、又、語れるは、
「かの石塔を磨く事、始めは古河(こが)あたりよりして、關宿・野火留の邊、所々、至らざる無し。大凡(おほよそ)、一夜に磨くこと、二百塔に及ぶ、と。且(かつ)、塔の文字に朱(しゆ)を入れたるは、新(あらた)に朱をさし、金をいれたるは、古きは、新たに山梔子(クチナシ)を入れて黃色をなす。されども、雨を蒙れば、色、消(け)す、と。この如くなれば、この妖(えう)を憂ふる者は、石塔を、家に持(もち)歸れば、其夜(そのよ)、これをも、洗磨(あらひみがき/せんま)す。とかく奇怪なれば、其領主より、妖物(えうぶつ)を捕へんため、足輕輩(あしがるはい)數人(すにん)を出(いだ)し、窺ひ、要するに、見へず[やぶちゃん注:ママ。]。女(をんな)の音聲(おんじやう)、騷々(そうそう)として、三、四十人も集り居(を)ると、聞ゆ。されども、姿は見ゆること、無し。」
鼎曰く、
「この怪、解(かい)し難き事、千萬なり。」
予、云ふ、
「いかなる妖か。」
■やぶちゃんの呟き
「檉宇」林檉宇(はやしていう 寛政五(一七九三)年~弘化三(一八四七)年)は儒学者。幕府に仕えた儒官の家として、代々、大学頭(だいがくのかみ)を称した林家の当主で、お馴染みの静山の親友林述斎の三男。当該ウィキによれば、『佐藤一斎や松崎慊堂に学び、天保』九(一八三八)年に、『父祖同様、幕府儒官として大学頭を称して侍講に進んだ』。『著作に』「澡泉録」『などがあり、能書家としても知られる』とあった。
「八月」少し後に、西丸大手門で発生した刃傷事件記事から(興味のある方は私の『曲亭馬琴「兎園小説拾遺」 第二 「山形番士騷動聞書幷狂詩」』を見られたい。但し、かなり長いので、御覚悟あれ)、これは文政一三(一八三〇)年八月を指すことが判った。静山七十一歳。
「鼎」朝川鼎。私の「フライング単発 甲子夜話卷之十 37 くだ狐の事」で注済み。読みは調べ得なかったが、彼は儒学者であるから、「けい」と音読みしていると私は思う。
「關宿」現在の千葉県野田市関宿町(せきやどまち:グーグル・マップ・データ。以下同じ)があるが、この地区には、現行では寺がなく、また、周囲に「関宿」を冠する地名が複数あるので、そこまで範囲を広げておいた方がよいだろう。因みに、ここは利根川から江戸川が分岐する場所である。
「古河」茨城県古河市。ここ。
「野火留」不詳。「ひなたGPS」の戦前の地図で、関宿より南の地区を探したが、見当たらない。埼玉に野火止用水で知られる埼玉県新座市野火止や、東京都東久留米市野火止があるが、あまりにも南西に離れ過ぎているので、違うだろう。而して、「のびどめ」と読むことにも、躊躇するのである。しかし「のびる」という地名も見当たらないのである。万事窮す。識者の御教授を乞うものである。
「塔の文字に朱をいれたる」生前に仏門に入って戒名を持っている場合、生きている間は朱(赤)を入れておく。
「金をいれたる」これは、結構、見かける。所謂、位牌の戒名が金色で書かれることが殆んどだからである。
「山梔子(クチナシ)」リンドウ目アカネ科サンタンカ(山丹花)亜科クチナシ連クチナシ属クチナシGardenia jasminoides 。乾燥させた果実は、古くから、黄色の染料・着色料として用いられてきた。
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