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2023/12/17

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「毒殺の夢」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 毒殺の夢【どくさつのゆめ】 〔半日閑話巻十六〕八月中旬<文政二年>の頃、下谷<東京都台東区内>辺の陸尺(ろくしやく)[やぶちゃん注:身分の高い人を乗せる駕籠(かご)の駕籠舁(か)き。]ふと夢を見し処、団子《だんご》に当り即《そく》死致《しち》する夢を見しゆゑ、奇妙の事と存じ候処、其翌日ふと諸用にて浅草辺へ参りし処、途中にて大騒ぎ致し、あれへ走りこれへ走り、あちらへいつたのこちらへいつたのと、若き男血まなこに相成《あひなり》、何やら騒がしく歩む体《てい》なるゆゑ、往来の者大勢にてなんだなんだと申す処、その者申すは、唯今私見世《わたくしみせ》へ木綿の大形の広袖を著《き》候《さふらふ》でつち[やぶちゃん注:「丁稚」。]やうの者参り、ちん毒を売りくれ候やう申候ゆゑ、ふと売り候処、右毒薬は先方《せんぱう》の名所《などころ》を承り糺《ただ》し申さず候ては、売り申さゞる法(はふ)の処、何となく売り遣はし、甚だ当惑仕り候と、溜息つき木薬屋《きぐすりや》[やぶちゃん注:本来は、手を加えていない生薬(しょうやく)を扱う店を指すが、ここは、転じて、薬を調剤し販売する商家を指す。「生藥屋」。]へ立帰る。かの陸尺これを承り、さてさて奇妙の事哉《かな》とぞんじ、宿へ帰り候処、女房団子を拵へ候由、持ち出であがり申すべき段申候処、昨夜の夢といひ、今日の毒薬と云ひ、これはめつたに給(たべ)る事にあらずと存じ、先づ今は少少用事有ㇾ之由申し、何か用事有る体《てい》に致し居り候処、強ひて給べ申すべき段女房申すゆゑ、猶々あやしく相成、女房の居《をり》申さゞるを見合せ、女を呼び申し聞け候は、この間《あひだ》此方《このはう》に大形の木綿の広袖を著致《きいたし》候者は無ㇾ之哉《や》と尋ね申候へば、小女申すは、この間中内《なかうち》の下男、右の衣類著居《きをり》候旨申すゆゑ、猶更存じ当り、早々手紙を認《したた》め女房に申すは、少々の間《あひだ》その方《はう》用事有ㇾ之、この手紙を持参致すべき旨[やぶちゃん注:「里方へ」とないと、話しが不全である。]申候ゆゑ、毎度持参致し、その上僅か一町たらずの所ゆゑ、何とも心付き無ㇾ之、右の手紙を持参致し候処、女房の親右の手紙を披き見る処、少々存じ寄り有ㇾ之間、女房を預け度手紙故、親甚だ驚き、右の趣陸尺の女房に咄し候て、何ぞ故有るやと問ひけれども、何も障り無ㇾ之段陳《ちん》ぜしゆゑ、已前の仲人《なかうど》を呼び寄せ、右の趣申し達し、何れにも参り候て存じ寄りを承りくれ候様申候ゆゑ、仲人も驚き早速陸尺方へ参り、右の段咄し候処、陸尺何の訳も無ㇾ之候へども、委細はこの団子にて分り申すべき間、この団子を持ち参られ、女房ヘ見せ候て、これを給べ候はゞそれにて相知れ申すべき段申すゆゑ、仲人さては気がふれ候やと存じ候へども、強て申す事ゆゑ持ち帰り、女房へ見せ申すべくと存じ、右団子を待ち帰り、又々右の趣を里の親へ咄しければ、これは奇妙の事とぞんじ、早速娘を呼出し、右の趣申し候へば、これにて娘泣出し候故、これは子細有ると段々尋ねければ、彼《かの》男と密通致し、毒薬にて亭主を失ひ申すべき手段の趣、白状に及びしゆゑ、親も胆(きも)を潰し、早々娘を戒め置き、陸尺の方《かた》へは仲人を以て、如何様《いかやう》とも思召《おぼしめし》次第に任せ申す段申遣はし候処、陸尺申すは、外に何にも子細無ㇾ之義故、女房は里へ引取り申すべく、それにて宜しきよし申候ゆゑ、仲人も甚だ歓び、親も甚だ歓びしとなり。下男は右を聞《きき》て直《ただち》に出奔致とかや。誠に男気《をとこぎ》なる陸尺にて、不思議の利生《りしゃう》なりと皆《みな》沙汰す。<『耳袋巻五』に「奸婦其悪を遂げざる事」という話がある。全然この話と同一ではないが、大体の筋は畧〻[やぶちゃん注:「畧」の字体はママ。]《ほぼ》同一と思われる。『事々録』には本郷に住む町人の話として出ている〉

[やぶちゃん注:「青山妖婆」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆全集』第四巻(昭和二(一九二七)年国民図書刊)のここで当該部が正字で視認出来る。標題は『○陸尺奇夢』である。最後に宵曲の示す「耳囊」は、私のそれは底本違いで、「耳嚢 巻之五 奸婦其惡を不遂事」のことである。是非、比較されたい(本書では、「耳袋」と「耳囊」の二つが使用されているが、これは最後の『引用書目一覧表』のここに、宵曲が注して、『芸林叢書六巻・岩波文庫六巻。』(これは現在の一九九一年刊の三巻本とは異なる)『巻数は同じであるけれども各巻の編次は同じでない。『耳囊』(芸)と『耳袋』(岩)と文字を異にするより、これを別つ。』とあることによる)。 ]

)。「事々録」は「異人異術」に既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの『未刊隨筆百種』第六(三田村鳶魚校訂・随筆同好会編・昭和二(一九二七)年米山堂刊)のここ(左ページ後ろから三行目以降)。こちらは、確かに展開が全く同じで、しかも毒を盛ったのも『團子』であって、明らかに同一ソースであることが判る。]

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