柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「猫と狐」
[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。
読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。
また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。
なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。]
猫と狐【ねこときつね】 〔筱舎漫筆第七〕高橋司の物語に、天保七年申の七月十四日の夜のことなり。富野の宅のまへに荒れたる畠あり。厠にゆきて窓より外の方をみやりたりしが、猫ひとつふらふらと出来《いできた》る。やがて狐ひとつ来《きた》る。かの猫とならびゐけるが、狐まづ手をあげ、乳のあたりとおぼしき所におれ、すこし背をのし、小足にてあゆみ出す。猫またその定にして、あとより歩む。六七間もある畠をま直《すぐ》にゆく。帰りには常のあしにて、ふらりふらりともとの所へゆく。かくすること五六十度にもおよびぬ。そのはせゆく所は、月かげにて垣のくま糸はへたるごとくにあり。その筋をゆくなりとぞ。そのうち司しはぶきしたれば、驚ろきて二疋ともに飛びさりぬとなり。またまた狐に教へられて歩くことの稽古なるべし。このわざ数度におよびてなん、種々の伝授をば受くなるべし。 〔譚海巻五〕深川小奈木沢<東京都江東区内>近き川辺に、或人先祖より久しく住居《すみゐ》て有る宅あり。自《おのづか》ら田畑近く人気《ひとけ》すくなき所なりしに、ある夕暮、あるじ庭を見てゐたれば、縁の下より小《ちさ》き狐壱ツはひ出てうづくまり居《ゐ》しを、家に飼ひ置ける猫見附けて怪しめる様《やう》なるが、頓(やが)ておづおづ近寄り、狐の匂ひを嗅ぎて、うたがはずなれ貌《がほ》に寄添《よりそ》ひ、後々《あとあと》は時として伴なひ歩《あり》きなどして友達になりけるが、終《つひ》に行方《ゆくへ》なくかい失せぬるとぞ。元来同じ陰獣なれば、同気《どうき》相和《あひわ》して怪しまず、かく有りけるにやとその人の語りぬ。すべて猫は狸奴《りど》と号して、狐狸の為《ため》つかはるゝ物なれば、誘引せらるゝ時は、共に化けてをどり歩《ある》く事なり。狐狸のつどふ所には猫必ず交《まぢは》る事あり。或人越ケ谷<埼玉県越ケ谷市>に知音有りて、行きて両三日宿りたるに、毎夜座敷の方に、人の立居《たちゐ》る如く、ひそかに手を打《うち》てをどる声聞ゆる故、わびしく寝られぬまゝ亭主にかくと語りければ、さもあれ心得ざる事とて、亭主伺ひ行きければ、驚《おどろき》て窻《まど》のれんじより飛出《とびいづ》る物あり。つゞきて飛出る物をはゝきにて打ちたれば、あやまたず打ち落しぬ。火をともして見れば、家に久しくある猫、この客人の皮足袋《かはたび》をかしらにまとひて死《しし》て有り。かゝれば狐などをどりさわぐは、猫なども交りてかく有りける事と、その人帰り物語りぬ。
[やぶちゃん注:「筱舎漫筆」(ささのやまんぴつ)は「牛と女」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』第二期第二巻(昭和三(一九二八)年日本随筆大成刊行会刊)のこちらで正字で当該部が視認出来る。標題は『○猫狐あやしきわざ』である。後者は、私の「譚海 卷之五 狐猫同類たる事 附武州越ケ谷にて猫おどる事」を見られたい。
「高橋司」不詳。名は「つかさ」と訓じておく。
「天保七年申の七月十四日」グレゴリオ暦一八三六年八月二十五日。
「富野」不詳。
「六七間」十一~十二・七二メートル。
「深川小奈木沢」上記リンク先で注したが、転写すると、これは「深川小名木川(ふかがはおなきがは)」の誤りであろう。ここに現在もある(グーグル・マップ・データ)。「三井住友トラスト不動産」公式サイト内の「このまちアーカイブズ」の「東京都 深川・城東」に「江戸切絵図」から諸画像・近現代の写真と、当該地区の歴史的解説も豊富に書かれてあるので、是非、見られたい。]