只野真葛 むかしばなし (82)
○又、或町醫、御出入を望(のぞみ)し人ありしが、度々、御長屋まで來りて願(ねがひ)しを、御取上もなきやいなや、たえて御沙汰もなかりし、とぞ。
ある日、夕方より、嵐して、風、强く、雨ふる夜、出羽樣より、
「急病用。」
とて、四枚がたの駕(かご)、迎(むかへに來りしかば、願所(ねがふところ)と悅(よろこび)て、取物も、とりあいず[やぶちゃん注:ママ。]、いそぎ、駕に乘りて出(いで)しに、どこへ行(ゆく)ことか、やたらに、かつぎ行く。
果《はて》、
『もふ[やぶちゃん注:ママ。]、行付(ゆきつき)そふ[やぶちゃん注:ママ。]なもの。』
と思ふと、坂を登り、山の上から、かごを、下へ、おろしたり。
何かは、しらず、
『合點、ゆかず。』
と思ひ居《を》ると、寂しい道中にて、駕をおろして、手廻共、
「そこへ、でろ、でろ。」
と聲々に呼立(よびたて)る。
中に、ふるへてゐるを、手を取(とり)て引出(ひきいだ)し、衣類、殘らず、はぎ取(とり)、藥箱とも、駕に入て、一さんに、かつぎ行(ゆく)。
醫師は、松の木へ、しばり付られて、まぢまぢしてゐると、雨もやみて、おぽろに月も出(いで)たり。
むかふより、灯燈(ちやうちん)の火、みゆる。
「やれ、うれしや。」
と待間(まつま)ほどなく、前を過行(すぎゆ)けば、
「モシモシ。」
と、聲、かけ、
「かやうかやうの難に逢候間、何卒お慈悲にお助被ㇾ下。」
と、淚ながら語れば、
「やれやれ、それは、さぞ、御難儀ならん。しかし、身に怪我なくて仕合(しあはせ)なり。」
とて、繩を解(とき)、
「是より、此道を、すぐにゆけば、あかりが見えべし。其所(そこ)の主(あるじ)は慈悲ふかき人故、行(ゆき)て賴まれよ。」
と、をしへて、行過(ゆきすぎ)たり。
「有難し。」
と、一禮、のべ、敎(をしへ)の如く行てみれば、すかし垣(がき)に、しおり戸有(あり)て、風雅のすまゐと見えたり。
立よりて、あなひ[やぶちゃん注:ママ。]を、こひ、ありし事共を語れば、
「それは、さてさて、あぶなき事。幸(さいはひ)、ふろの立(たて)てあれば、先(まづ)、いられよ。」
とて、すぐに、湯殿へ伴なへ[やぶちゃん注:ママ。]行(ゆく)。
其湯どのの結構、申(まふす)ばかりなし。
竿(さほ)に懸(かけ)たるゆとりをきて、出)いで)んとする時、
「是にても、召されよ。」
と、何か一重(ひとがさ)ねの衣類を取いでゝ、着せる。
「かさねがさねの御情(おなさけ)、いつの世にか忘るベき。」
と、禮を述(のぶ)れば、
「是を御緣に、御心やすく御出入被ㇾ下たし。承れば、御醫師の由。幸、娘、少々、病氣なれば、容子御覽被ㇾ下よ。」
と賴み、
「まづ、御空腹ならん。」
と奇麗の茶漬めしを出(いだ)し、其後(そののち)、娘らしき女、出て、容子(ようす)みてもらひ、
「お藥箱有合(ありあはせ)の品、是にても御用被ㇾ下。」
と出せしは、先に取(とら)れし我(わが)藥箱故、心付(こころづき)、衣類を見るに、それも、はぎ取れしに違(たがひ)なし。ふしぎ晴(はれ)ねど、粗忽(そこつ)にも、とわれず多[やぶちゃん注:ママ。]、ためろふ[やぶちゃん注:ママ。]内、しづしづと、人を拂ふ音して、
「殿樣の御入成(おいりなり)。」
と、ひしめき、すらすらと、あゆみいでゝ、座に着せられしを見れば、繩をといてくれし飛脚ていのものと、おもえし人なり。
是、御目通(おめどほり)のはじめなりし、とぞ。
ちらもなく、廻り道をして、御庭口より通りて、御やしきへ入(いり)しを知らざりしなり。
枝折戶(しをりど)の家は、御茶屋にて有(あり)し、とぞ。
此咄しは、江戶中、ぱつと、評判にて、芝居・草ぞうし・讀本類に迄(まで)いでゝ、人のはなしも百色(ももいろ)ばかりなれば、いづれ、實說といふ事、たしかにしり難し。其ひとつをとりて、しるす。
[やぶちゃん注:この事件の張本人は、前の「81」で奇体な茶席をやらかした『秋本樣』で、恐らく、出羽山形藩第二代藩主で館林藩秋元家第八代の秋元永朝(つねとも)かと思われる。]