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2023/12/15

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「天狗の情郎」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 天狗の情郎【てんぐのやろう】 〔黒甜瑣語巻三[やぶちゃん注:『ちくま文芸文庫』版では、『黒甜瑣語一編ノ三』に訂正されてある。]〕世の物語りに天狗の情郎《やらう》となん云ふ事ありて、爰かしこにて勾引(かどはさ)るゝあり[やぶちゃん注:拐(かどわか)されることがある。]。或ひは[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。後の活字本では『或は』。]妙義山に将《ゐ》られて[やぶちゃん注:連れて行かれ。]奴《やつこ》とせられ、或ひは讚岐の杉本坊の客となりしとも云ふ。我藩にもかゝる事あり。元禄の頃、仙北稲沢村<秋田県仙北郡協和村稲沢>の盲人が伝へし不思議物語にも多く見え、下賤の者には別して勾引るゝ多し。近くは石井某が下男《しもを》は四五度もさそはれけり。はじめは出奔せしと思ひしに、下男の諸器褞袍(おんぽう[やぶちゃん注:ママ。「うんぱう」(現代仮名遣「うんぽう」)が正しい。保温・防寒用として綿を入れた「どてら」のこと。丹前。綿入れ。])ものこりあれば、それとも云はれずと沙汰し物語りしが、一ト月ばかり過ぎて立帰れり。津軽を残らず一見して、委しき事云ふばかりなし。その後一年ほど過ぎて、此男の部屋何か騒がしく、允(ゆる)して給はれとさけぶ。人々出《いで》て見しに早くも影もなし。この度も半月ほど過ぎて越後より帰りしが、山の上にて越後城下の火災を見しと云ふ。諸人委しくその事を語らせんとすれども、遁辞《まぎらし》して云はず。もしも委曲を告ぐれば身の上にもかゝらんとのいましめを聞きしとなり。四五年も経て或人に従ひて江戸に登りしが、また道中にて行方なくなれり。この度は半年ほど経て大坂より下れりと。また一友人の物語りに、片岡某とかや云ふは仙北郡の代官たりしが、その下男《しもを》夕方酒沽(か)ひに行きし道にて、大山伏に遇ひけり。我に従ひて来れと云ふ。下男の云く、主人の酒とりにゆくなれば後にゆかんと云ふ。山伏聞入れず。その事は苦しからず、我に任《まか》すべしとて、無躰(むたい)に誘ひゆく。酒壜(とくり)はかの山伏引取りしが、いかゞしてや酒を盛りて某が縁畔(えんさき)にとゞけあり。それより刈和野《かりわの》村<秋田県仙北郡内>へ連れ行き、今此所大火なれば見物して遊ばんとて、樹上に坐して物語り兎(と)や角(か)うの中《うち》、村はづれより出火して、一宇も残らず焼けたり。暁方にまたこの方へ送り届けて山伏は行衛なし。翌朝片岡某下男をよび、昨夜より何方《いづかた》へ往きしやと尋ねけるに、右の事どもを物語る。某大いにいぶかり、刈和野村なれば我宰知(さいち)の所なり、左程の火災ならば定めて訴へもあるべしと物語りの折から、飛脚到来して夜べの状告げたり。かゝる事其佗(そのた)もあり。天狗は諸儒の論ありて、いろいろの説をなせども、誣(し)ふべからざる[やぶちゃん注:ありもしないことを事実のように言っているのではない。]事かくの如し、去る宝暦丁丑<七年>[やぶちゃん注:一七五七年。]の春、医家稲見氏広小路の上土橋(うはとばし)の辺《へん》を行きかゝりし時、人数多《あまた》集りて虚空を望(ながめ)居《をり》たり。何事ぞと問へば、あれ見給へ、空中を人が行くなりと云ふ。稲見氏仰ぎ見るに、年の齢《よはひ》は定かならねども、外套(はおり)大小して形付《かたつき》[やぶちゃん注:模様を染め出した。]の袴を著《き》、白き蹈皮(たび)を穿《は》きし男、飄々《へうへう》として風《かぜ》を御《ぎよ》して行くがごとく、暫時にして見えず。又まのあたり予<人見寧>が覚えしは、安永丁酉<六年>[やぶちゃん注:一七七七年。]の秋、初夜[やぶちゃん注:現在の午後八時から午後九時頃。]過《すぐ》る頃、空中に大勢の声して、それきれきれ討て討てとのゝめく[やぶちゃん注:「めく」は接尾語で「~のようになる」の意で、「罵(ののし)り騒ぐ・わいわい言う・声高(こわだか)に呼ぶ・喚(わめ)く」の意。]事頻りなり。初めは長野と聞え、長野辺にては山の手と聞え、楢山辺にては根小屋中城と聞きし者もあり。予が知る所の人、山の手より手形へゆく時聞きしは、如意山《によいさん》の阪《さか》の辺り喧嘩ありと覚えて、大勢の声にてひしめきしが、行きかゝり見れば、その声は自然に高く虚空に上るに、鎌おこせ鎌おこせと叫ぶをたしかに聞けりと。同じく天狗の所為ならんと語り合へり。

[やぶちゃん注:「黒甜瑣語」「空木の人」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの活字本(明治二九(一八九六)年版)のこちらで正規表現で視認出来る。標題は『天狗の情郞』。それにしても、かなり漢字の読みが難しい。一部はそちらの読みに従った。

「仙北稲沢村」「秋田県仙北郡」「協和村稲沢」現在は秋田県大仙市協和稲沢(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。

「刈和野村」「秋田県仙北郡内」現在は大仙市刈和野

「広小路の上土橋」久保田城大手門前にあった橋。当時は地図上の西にある大堀りが、大手門前を経て、東方向に続いており、そこにこの橋が架かっていた。

「長野」秋田県秋田市飯島長野か。久保田城の北西方向にある。

「山の手」秋田市山手台か。 久保田城の北西方向にある。

「楢山」秋田市楢山であろう。前の秋田市山手台に北西直近にある。

「根小屋中城」「根小屋」の地名は秋田県内に複数あるので、特定不能。城の名では探し得なかった。

「如意山の阪」不詳。]

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