只野真葛 むかしばなし (112) 与四郎と狂える狼の戦い
一、柴田郡支倉(はせくら)村の内、宿(しゆく)といふ所の百姓に、與四郞といふもの有し。生付(うまれつき)、氣丈にて、力、勝(すぐれ)て、つよく、齒の達者なること、から胡桃(くるみ)を、くひわりなどして、近鄕にならびなかりし、とぞ。
[やぶちゃん注:先に言っておくと、本話は「奥州ばなし」に「與四郞」として同話があり、そこで、かなりリキを入れて注もしてあるので、本話を読んだ後に見られたい。
「柴田郡支倉村の内、宿といふ所」現在の宮城県柴田郡川崎町(かわさきまち)支倉宿(はせくらしゅく:グーグル・マップ・データ)
なお、以下は底本でも改段落している。]
寬政の頃、十二月末に、病狼(やみおほかみ)、あれて、宿の町のものども、數人(すにん)、あやめられしこと、有(あり)。
[やぶちゃん注:「寬政の頃」「十二月末」天明九年一月二十五日(グレゴリオ暦一七八九年二月十九日)に改元し、寛政十三年二月五日(同一八〇一年三月十九日)に享和に改元しているので、寛政元年から寛政十二年の閉区間の旧暦十二月となる。但し、旧暦十二月末はグレゴリオ暦では総て翌年になるので、一九九〇年から一八〇一年の内となる。]
其頃、與四郞、外(ほか)へ、夜ばなしに行(ゆき)て、九ツ[やぶちゃん注:午前零時。]頃かへるに、折ふし、眞(しん)の闇なりしが、何心もなく、小唄にて行(ゆく)うしろより、狼、出(いで)て、腓《こむら》を、くひたり。
「ハツ。」
ト、ふりむくうち、乳の下をくひ、又、とびこして、あばらの下を、くひし時、狼と心付(こころづき)、聲を、あげて、
「やれ、與四郞は、狼に、くはるゝぞ。たすけてくれ、たすけてくれ、」
と、よばわり[やぶちゃん注:ママ。]しかども、夜更(よふけ)といひ、たまたま聞付(ききつけ)る、人、有(あり)ても、おそれて、いであはず、前後左右より、くはるゝこと、數(す)ケ所なり。[やぶちゃん注:以下は底本でも改段落している。]
『此身は、くひころさるゝとも、やはり、敵《かたき》とらで、はてめや。』
と、おもへども、羽(はね)有(ある)ごとく、とびのき、とび付く、ひつく[やぶちゃん注:「引(ひ)つ付く」。]に、棒一本も持(もた)ざれば、せんかたなく、手にさわる時、とらへて、引(ひき)しき[やぶちゃん注:引っしぎ。]、膝をかけて、四足(よつあし)をおし折(をり)、おし折せしほどに、三本までは、折たれども、壱本にて、とびありき、くひつくこと、やまず。漸(やうやう)、壱本のあしを、とりし時、頤《おとがひ》ヘくひ付(つき)しを、兩手にて、引(ひき)なせば、肉まで、はなれしとき、狼の、のんどに、與四郞、くひ付(つき)て、やゝしばらくかゝりて、喉のかみをくひ切(きり)、かたきをとりし、とぞ。
與四郞は、惣身(そうみ)、血潮(ちしほ)にそまらぬ所、なし。
其あたりの戶を、たゝき、
「狼は、仕(し)とめたれば、心づかひ、なし。明(あけ)よ、明よ、」
と、いひし故、やうやう、明たる所に入(いり)て、かひほう[やぶちゃん注:ママ。「介抱(かいはう)」。]に逢(あひ)、夜(よ)のあくるを、まちて、長町といふ所に、狼に、くはれたるを、よく療治する醫師あれば、それが方へ行(ゆく)て、傷口をあらためしに、四十八ケ所、有しとぞ。
[やぶちゃん注:「長町」宮城県仙台市太白区長町(ながまち:グーグル・マップ・データ)。「支倉宿」とは直線でも十八キロメートル離れている。
なお、以下は底本でも改段落している。]
醫の曰く、
「かほど、くはれし人を、見しこと、なし。數ケ所の内には、急所かゝる所も見ゆれば、療治、屆(とどく)や、いなや、うけ合(あひ)がたけれど、先(まづ)。」
とて、取(とり)かゝる。
其仕方(しかた)は、狼にくはれたる所を、くりぬきて、艾《もぐさ》をねぢこみ、灸を、度々(たびたび)、すゑる[やぶちゃん注:ママ。以下も同じ。]ことのよし。
四十八所のきず口へ、十分に灸をせし内、與四郞は、ひるめる色なく、こらへて有しとぞ。
醫師、おもふほど、療治をして、此氣丈を感じ、
「今迄、數人(すにん)、療治せしが、只、一、二ケ所のきずにさへ、人參をのませながら、灸治するに、氣絕せぬものは、すくなし。五十にちかき疵口を、始終、かほど、たしかにて、療用うけしは、前後にまれなる氣丈もの。」
と、ほめしとぞ。[やぶちゃん注:以下は底本でも改段落している。]
「大毒[やぶちゃん注:ママ。以下、意味が通じないが、ここは「奥州ばなし」では、『犬毒』(けんどく)となっているので、真葛の誤記である。]も、のきたれば、よし。是より、禁物(きんもつ)、大切なり。第一に、ます・雉子(きじ)・小豆餠(あづきもち)なり。其外、油のつよきもの、みな、いむべし。」
と、いはれて、
「私事は下戶にて候へば、もち、大好(だいすき)なり。小豆餠、くわぬ事にては、生(いき)たるかひ、なし。左樣なら、今までの如く、灸を、また、一ペんすゑなば、早速より、禁物なしとも、よからんや。」
と聞(きき)し、とぞ。
醫の曰(いはく)、
「いや。さやうに、やきたりとて、禁物なしに、よき事には、あらず。先々(まづまづ)、かへれ。」
とて、歸しけるに、正月も、ちかし、三十日もたゝぬ内、餠つきとなりしに、與四郞、こらへず、小豆餠、たくさんに、くひしが、少しも、さわら[やぶちゃん注:ママ。]ざりし、とぞ。
雉子・ますなども、ほしきまゝに食(くひ)しが、まなこ、くらく成(なり)し故、
「一向、めくらに成(なり)ても、せん、なし。」
とて、後(のち)は、くはざりし、とぞ。
此文化九年の頃は、五十二、三なりしが、達者にて有し、とぞ。
是より、五、六年過(すぎ)て、又、狼、あれるといふ事、有しに、おなじ村の百姓に劍術をこのみて、たしなみしもの有しに、狼を切(きる)法【狼をきるには、左の手を出(だ)して行(ゆく)ば、それを、くらはんと來(きた)る時、手を引(ひき)て、きれば、見事にきらるゝと、おしへられしとぞ。】[やぶちゃん注:底本に『原頭註』とある。]を習(ならひ)しを、一度、ためし見たく、内心、願(ねがひ)しに、親類うちに、ふるまひ有(あり)て、夫婦づれにて出(いで)しこと有しに、家人は、
「かならず、早く、日のくれぬうち、かへれ。」
と、いひつけやりしかば、妻は、殊に、おそれて、先(さき)をも[やぶちゃん注:「奥州ばなし」では、『先方をも』となっている。これだと、「先方の親類も振舞いを(早々に終らし)」の意で続き、躓かない。]、早く仕舞(しまひ)て、七ツ時分、かへりしに、むかふに、狼、見へし故、少々、道を𢌞りて、かへりしが、家に入(いり)て、夫(を)ツトは、妻をおくと、すぐに、わきざしをもちて出行(いでゆく)を、
「かならず、けが、するな。」
と、とゞめしかども、きかず、
「ぜひ、きりて見たし。」
とて、出(いで)し、とぞ。
はじめの所に行(ゆき)て見しに、たゞ、すくみて居(をり)たるを見て、脇差を、ぬきもちて、左の手を、いだして、ちかよれば、十間[やぶちゃん注:約十八メートル。]ばかりに成し時、狼は、背をたてゝ、胸を地に付(つけ)、こなたを、めがけ、ねらふていなり。
『うごかば、きらん。』
と、心をくばり、よせしに、八間[やぶちゃん注:十四・五四メートル。]ばかりになりし時、とび來りて、手に、くひつきしが、一向、目に、さへぎらず、引(ひき)かねて、手をくはれながら、きりたり。
かしら、そげて、おちしが、口は手に付(つき)て有しを、
『先(まづ)、仕とめたれば、よし。』
と、おもひ、後(うし)ロ足に、なわ[やぶちゃん注:ママ。]をつけて、引(ひき)ながら、與四郞は、四十八ケ所、くわれてさへ、生(いき)おほせしを、
「只、一ケ所なれば、心やすし。」
と、おちつきて、かへると、すぐに、醫のもとに行(ゆき)、療治、たのしみが、一ケ所の灸治さへ氣絕して、おもふほど、療治、なりがたく、廿日もめぐらず、死(しし)たり、とぞ。
« 只野真葛 むかしばなし (111) 菅野三郎左衛門、山女に逢う | トップページ | 只野真葛 むかしばなし (113) 藤上検校の凄絶な体験 »