只野真葛 むかしばなし (81) 徹頭徹尾奇体な茶席
秋本樣は、多年、御懇意にて有(あり)しが、
「茶の湯は、むつかしきもの。」
とて、好ませられざりしを、少し御嘲弄の心や有けん、無理に御勸め、茶の御ふる舞、有し。
[やぶちゃん注:「(45)」に出た出羽山形藩第二代藩主で館林藩秋元家第八代の秋元永朝(つねとも)のことか。]
御正客介添(ごしやうきやくかひぞへ)、公儀御茶道一人、御脇は父樣、善助おぢ樣、誹諧師の柏塘(はくたう)御詰なりしとぞ。
[やぶちゃん注:「御正客介添」茶会での城跡の客に付き添って世話をする役の人を指す。]
御客、被ㇾ爲ㇾ入(いれなさられる)と、駒次郞【駒次郞樣は出羽樣の御末子、一生むそくにて、をはらせられし人なり。】[やぶちゃん注:底本に『原頭註』とある。]、御先立にてしばらく御いで、箱の樣なる大廊下へかゝり、早足に御あゆみ被ㇾ成しが、ふと、姿を見失ふと、跡も先も、戸口
「ぴん、ぴん。」
と、錠(かぎ)のおりる音して、一向、行(ゆく)端(はな)なし。
「是は、是は、」
と、其廊下に、しばらく、まごつきて有しが、やゝありて、何方(いづかた)よりか、駒樣、御いで有(あり)、
「こなたへ。」
と被ㇾ仰るを、
「それ、此度(このたび)は見失ふな。」
と、帶にすがらぬばかりにして、從ひ行(ゆく)に、圍(まはり)と云(いふ)は、極(ごく)下人の番部屋と見えて、疊ばかり新しく、柱・天上の煤けた事、幾年へたりとも、しられず。
生花(いけばな)には、六月の大柳、柱ほどのふとさの木を、橫だをし[やぶちゃん注:ママ。]にしたる物にて、座中、一ぱいにひろがり、
「蟲など、落(おち)やせん。」
と、むさ苦しき事、いわんかたなし。
御亭主は、はだか身へ、其比(そのころ)、中村のしほが、舞臺へ着て出(いで)し袖なし羽織に、袴を、めされ、紫ぼうしを、おきて、のしほが聲色(こはいろ)なり。【路考、早く死せし後、のしほを、かはりに召(めさ)れし。】[やぶちゃん注:底本に『原割註』とある。]
[やぶちゃん注:「中村のしほ」歌舞伎役者の名跡中村野塩。屋号は天王寺屋。恐らくは、二代目中村野塩(宝暦九(一七五九)年~寛政一二(一八〇〇)年)で、二代目生島十四郎の門弟、初代中村富十郎の娘婿で養子。
「路考」「80」に出た二代目瀬川菊之丞の俳号。彼は三十四歳で亡くなっている。]
焚物(たきもの)には、薰陸(くんろく)・硫黃を夥(おびただし)くくべて、こまらせ、茶釜へは、きのふあたりから、煮つめておきしと覺しき番茶を入(いれ)て、眞黑にせんじ、大兜鉢(おほかぶとばち)に、一ぱい、汲(くみ)て出(いだ)されしは、一口も吞(のま)れず。
[やぶちゃん注:「薰陸」二種あるが、ここは「出羽」から、松・杉の樹脂が地中に埋もれ固まって生じた化石で、琥珀に似るが、琥珀酸を含まない。粉末にして薫香とする。岩手県久慈市に産するそれであろう。]
御料理も、大方、わすれたれど、「菓子わん小塚原」とて、かまぼこにて、人の腕を少さく拵(こしら)ひたる、すましなり。
猪口(ちよく)に、なますが、てうど、灰吹(はひふき)の形したるうつわへ、ひどり昆布を、ふきがらの如く、まろめて、此わたにてあへたるが、味はよくて、むさくろし[やぶちゃん注:ママ。]。
給仕人は「ヲランダ」と「黑ぼう」なり。瘦(やせ)て背の高き人を「かびたん」に拵(こしら)ひ、八ツばかりなる兒を、墨にて眞黑に塗(ぬり)て、まるはだか、ちんぼう、だして、立(たち)ながら、正客の前へ行(ゆき)、
「汁を、かへろ。」
と、早言にいふ、にくさ、限(かぎり)なし。
[やぶちゃん注:「灰吹」煙草の吸殻を吹き落としたり、叩き入れたりする筒。多くは竹を節を底にして上を伐った円筒形で煙草盆に附属してある。
「ひどり昆布」「日取り昆布」で天日干しのコンブのことであろう。
「ふきがら」「吹き殼」で煙草の吸殻。
「此わた」「海鼠腸」(このわた)。ナマコの腸で作る塩辛。古代より能登の名産として知られた珍味。]
腹あしきながら、膳、をはりて、待合へ行(ゆく)所、是も、變なる古藏(ふるぐら)の、きたなき所なり。中へいれて、外より
「ぴん。」
と、錠をおろす音。
「なむさんぽう。」
と、皆、顏見合はせて居ると、腰掛に烟草盆はあれども、火は、炭を丹(に)にて塗(ぬり)たる拵ひ物、「きせる」は、節をぬかぬ、長(なが)らうにて、つんぼのごとし。
[やぶちゃん注:「長らう」長い羅宇(らう)。「らう」は煙管(きせる)の火皿と吸口の間を繋ぐ竹の管(くだ)で、インドシナ半島のラオス産の黒斑竹を用いたのが、この名の起こりという。江戸時代に喫煙が流行するとともに、三都などで、「らう」のすげかえを行う「羅宇屋」が生まれた。]
小便所ばかり、[やぶちゃん注:以下は底本よりOCRで読み込み、トリミング補正した。]
の形を上に書(かき)たる札、たてゝ、
「此所 小便可ㇾ被ㇾ成候」
と書付あり。
暮(くれ)かゝれば、蚊の多き事、ふりかゝるが如し。
正客は、はじめから、殊の外、御迷惑のてい。中にも、此待合、あく藏(ぐら)にて、誰もケ樣の所に入(いる)事、なし。茶道(ちやだう)こそめいわく、正客にいく度も、
「是が、茶の湯に有事(あること)か、有事か。」
と、いわれ、
「いや。かつて、ござりませぬ事。」
といふ。
[やぶちゃん注:「あく藏」長く使用していない空き蔵のことであろう。]
御答も、百度、千度、いゝつくし、せんかた、つくれば、正客はくよくよと、
「おれも十萬石の家に生れ、夏は『かやりよ、蚊拂(かばらひ)よ。』と、分相應に不自由なるめも見ざりしを、かやうの責(せめ)に逢(あふ)事は、何のむくひ・たゝりならん。」
と、淚ぐみての、よまい事、只、
「御尤(ごもつとも)。」
と申(まふす)より、外に事なし。
其近き塀(へい)、ひとへ内の座敷にては、おもしろそふに[やぶちゃん注:ママ。]酒盛の音、三味線、取々、けん酒(しゆ)なり。咽草が吞(のみ)たくてならぬ、同腹《どうぶく》らへ、色々のたばこの榮耀《えよう[やぶちゃん注:ママ。歴史的仮名遣は「ええう」が正しい。]》ばなししながら吞逢(のみあふ)てい。
何も、愁歎する外(ほか)なし。
「是は、手を打(うつ)がよかろふ[やぶちゃん注:ママ。]。」
と、人々、手を打(うて)ども、一向、しらぬ顏なり。
やうやう、人の來る音して、藏の戶を開き、駒次郞樣、御いで、
「今日は、色々、不禮・御氣つめ・御大屈、申上べき樣(やう)なし。さあ、さあ、こなたへ。」
とて、好(よき)御座敷へ、いれ、燭臺、あまた、ともし、女藝者三人、其外、色々、御もてなし有(あり)、終日の恨(うらみ)、はるゝばかりの御饗應なりし、とぞ。
いづれも、やうやう生(いき)たる心(ここち)して、快よく食(くひ)て、明がた近く、御立成(おたちなり)し、とぞ。
此時の難義、御正客は、勿論の事、父樣・おぢ樣・茶道・はいかい師に至るまで、一生におぼえぬことなりし、とぞ。