只野真葛 むかしばなし (114) 茶坊主「近藤いせん」の事
一、公義御(お)ぼうづ、「近藤いせん」といひしは、數代(すだい)、富家(ふけ)にて、今の「いせん」が、ぢゞの代までは、誠にさかんのことなりし、とぞ【家居(いへゐ)のけつかう[やぶちゃん注:ママ。]、酒は、甘(あま)に、辛(から)に二樽ヅヽ、常に、たくわひ[やぶちゃん注:ママ。]、「百樹(はくじゆ)」といひし「いせん」は若且那とて、常に八丈そろひの衣類にて、はなはだ、おごりのことなりし、とぞ。】[やぶちゃん注:底本に『原頭註』とある。]。
[やぶちゃん注:「近藤いせん」不詳。]
其「いせん」は、中年にて死し、若世(わかよ)[やぶちゃん注:若主人の支配する時代。]に成(なり)て、とりしまり、なく、其頃は、田沼世界にて、ばくゑきの制、ゆるく、家ごとにして、とがめなかりしかば、人々、あつまりて、ばくちに夜をあかす事、つねなりし故、茶の間に、こたつをして置(おき)、下女は、大方、それにあたりて、夜をあかすことなりしに、ふと、「いせん」、
「用たしに行(ゆく)。」
とて、茶の間を、とほりしに、下女と、むかひ合(あひ)に、こたつにあたりて、ねむりたる男、有(あり)し故、立(たち)どまり、見るに、兩人共、たわひなく[やぶちゃん注:ママ。]寢入(ねいり)て有しが、一向、見なれぬ男なりし故、ゆりおこして、
「いづくより、來りしものぞ。」
と、たづぬるに、ふつゝかなる挨拶なりしを、おして、とへば、
「御隱居樣方へ、金の出入(でいり)にて、つかひにたのまれ參りしが、餘り、手間どれ候間(あひだ)、一寸、此火に、あたり、寢(ね)わすれし。」
と、いひて、誤り入(いれ)して、いにして有(あり)しに、下女も、一向、しらぬ人故(ゆゑ)、目、さめ、おどろきて有(あり)し、とぞ。[やぶちゃん注:以下は底本でも改段落している。]
隱居といふは、「いせん」ぢゞ夫婦にて、別家にすみて、「ほまち金(がね)」を廻して、隱居料とせし故、えしれぬ人のいりくるは、常の事ながら、たのまれし人の名をかたらぬ故、隱居へ人を聞(きき)につかわす[やぶちゃん注:ママ。]間(あひだ)、番人をつけて置(おき)しに、其男の仕度(したく)、白き手おひに、脚絆かけて、旅出立(たびいでたち)のていなりし、とぞ。
[やぶちゃん注:「ほまち金」ここでは「へそくり」或いは「定収入以外に得た臨時収入」の意。「外持金」とも書く。平凡社「改訂新版 世界大百科事典」によれば、本来は、主として東国で、河原や河川の中州などに開かれた小規模な耕地を指して言った。「ほまち田」とも称し、洪水などの被害に遭いやすいところに開墾されていたので、不安定な収穫しか得られぬ劣悪な耕地であった。年貢の賦課される田地の売券には、田数が明記されるのに対し、「ほまち田」の場合は「ほまち田一枚」とか「何斗蒔」(なんとまき)と記されるのみであり、領主の関心外の耕地であったと考えられている。小百姓や下人たちが、主人の目を盗んでか、或いは、余暇の労働によって開墾し、生活の資としたり、その自立・成長の基礎とした場合が多かったと思われる。それが、近世になって、秘かに蓄えた金銭や、定収入以外に得た臨時収入をも意味するようになった。西国では、これを「まつぼり」といい、例えば、近江甲賀郡の「山中文書」には「まちほり」の用例がみられる、とあった。]
番人に、むかひて、いふは、
「小水(しやうすい)[やぶちゃん注:小便。]、つまりし間(あひだ)、御面倒ながら、一寸、外へ、ついて行(ゆき)て被ㇾ下。」
といふ故、戶を明(あけ)ておもてへ、つれ行(ゆき)し時、のし立(だて)の塀へ、手をかくるやいな、
「ひらり」
と上(あが)りて、飛鳥(ひてう)のごとく、いづちへかに、げさりし、とぞ。
「扨こそ、あやしきものにたがひなし。」
といひおる内、隱居へ、やりし人、かへりきて、
「一向、隱居にても、おぼえなきよし。」
を、いひし、とぞ。
茶の間のこたつのわきに、野太刀(のだち)と紙入(かみいれ)を置(おき)て行(ゆき)し故、其刀をぬきて、みたれば、今がた、人をあやめしと見へて、つば本(もと)まで、なまなましき、血、つきて有しを見て、いづれも、おそれ居(をり)しに、かみ入を、あらためし時、けつかうなる香疊(かうだたみ)、有(あり)しを見て、「いせん」、色を、かへて、いふは、
「其(その)たとうは、先年、くらのやじりをきりて入(いり)し『ぬす人』、あまたの品をとりし時、ひとつにとられし疊なり。しからば、その時、いりしぬす人の、また、あだ、しに、來りしならん。」
とて、殊の外、おそれて有し、とぞ。
年頃、三十七、八、未(いまだ)四十には、ならじ、と、見ゆる男なりし、とぞ。
[やぶちゃん注:「香疊」とは「香木」・「香包」(こうづつみ)・「香箸」(こうばし)・「銀挟(ばさ)み」などの香道具を包む畳紙(たとうがみ)。「こうたとう」とも言う。単に「たとう」とも呼ぶ。]
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