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2023/12/25

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「野衾」 / 「の」の部~了

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 因みに、本篇を以って「の」の部は終わっている。]

 

 野衾【のぶすま】 〔梅翁随筆巻四〕午四月鎌倉河岸辺<東京都千代田区内神田>へ怪しきもの出るよしいひけるが、打殺すものもなくありし。松下町の薪河岸《まきがし》にて、猫をとり血を吸ふ所を、鳶の者に伊兵衛といふが走り寄り、打殺したるによりて、人々集まりてみるに、面体《めんてい》鼬(いたち)のごとく、つまりしやくみ、眼《まなこ》は兎のごとく、左右翅《はね》のごとくにして羽にあらず。その先に爪あり。手の指四本、足の指五本、竪横壱尺二三寸、尻尾その外毛色香《にほ》ひとも、栗色のごとくなり。町内にてしるものなければ、手習ひ素読謡《うたひ》等をも少々をしふる浪人に尋ねければ、大いに驚きたる体《てい》なりしが、しばらく見ていふやう、このもの深山にありては珍らしとするにたらず、いはゆる野ぶすまこれなり、しかれども深山幽谷に住むべきものの、今繁華の地に生ずる事、これ気候の変のなす所にして、世の給息にあづかれり、政事《まつりごと》を執る人のもつとも心を用ふべき所なり、早々訴へ出《いづ》る方《はう》宜《よろ》しかるべしと申しける。その子細は知らねども、手習師匠のかく申す事ゆゑ、則ち西御番所へ申出ける。村上肥後守勤役《つとめやく》の時なり。江戸には珍らしきものなりとて、取置きて人々にも見せたり。後に聞けば今度《このたび》日光御修営に付き参りし者の内に、とらへて帰府せしが、そのうち取《とり》にがしたり。餌《ゑ》にうゑてこの辺に出《いで》けるとなり。<『半日閑話巻二十五』に同様の文がある>

[やぶちゃん注:「梅翁随筆」は既に複数回既出。著者不詳。寛政(一七八九年~一八〇一年)年間の見聞巷談を集めた随筆。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』第二期第六巻(昭和三(一九二八)年日本随筆大成刊行会刊)のこちらで正字表現のものが見られる。標題は『○野衾をとらへし事』。

「野衾」「野ぶすま」「後に聞けば」、「今度」、「日光御修営に付き参りし者の内に、とらへて帰府せしが、そのうち」、「取にがしたり。餌にうゑて」、「この辺に出けるとなり」と正体と出所が明らかにされてある。結論を言うと、これは、

哺乳綱齧歯(ネズミ)目リス亜目リス科リス亜科 Pteromyini 族ムササビ属 Petaurista(全八種で東アジア・南アジア・東南アジアに分布)で、本邦に棲息するのは、日本産固有種ホオジロムササビ Petaurista leucogenys

或いは、同一種と誤解している方も多い(江戸時代まで区別されていなかった)と思うのだが、別種で形態は似ているが、遙かに小さい、

リス亜科モモンガ族モモンガ属ニホンモモンガ Pteromys momonga

である。博物誌は、私の「和漢三才圖會第四十二 原禽類 䴎鼠(むささび・ももか) (ムササビ・モモンガ)」を参照されたいが、「古今百物語評判卷之四 第三 野衾の事」で江戸時代に妖獣とされていたことが判り、しかも著者の山岡元隣は正体を正しく記している。また、『柳田國男「妖怪談義」(全)正規表現版 妖怪名彙』でも、「ノブスマ」として挙げて(私の電子化注では、分割して電子化しており、当該部はここ)、

   *

ノブスマ 土佐の幡多《はた》郡でいふ。前面に壁のやうに立塞《たちふさ》がり、上下左右ともに果《はて》が無い。腰を下して煙草をのんで居ると消えるといふ(民俗學三卷五號)。東京などでいふ野衾《のぶすま》は鼠(むささび)か蝙蝠《かうもり》のやうなもので、ふわりと來て人の目口を覆ふやうにいふが、これは一種の節約であつた。佐渡ではこれを單にフスマといひ、夜中後《うしろ》からとも無く前からとも無く、大きな風呂敷のやうなものが來て頭を包んでしまふ。如何なる名刀で切つても切れぬが、一度でも鐵漿《かね》を染めたことある齒で嚙切《かみき》ればたやすく切れる。それ故に昔は男でも鐵漿をつけて居たものだといひ、現に近年まで島では男の齒黑《はぐろ》めが見られた(佐渡の昔話)。用心深い話である。

   *

とある。また、「生物學講話 丘淺次郎 第五章 食はれぬ法 (一)逃げること~(1)」でも、モモンガが絵入りで語られてあるので、参照されたい(二〇一二年の古い電子化で正字不全があるが、そこは許されたい)。

「午四月」前記本の前方の記事を確認したところ、これは寛政十年戊午と確認出来た。グレゴリオ暦では旧暦四月一日は五月十六日である。

「鎌倉河岸辺」「東京都千代田区内神田」ここ(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。この河岸名は江戸幕府開府の頃、江戸城を普請するために、鎌倉から来た材木商らが、ここで築城に使う木材を仕切っていたことから名付けられたと伝わっている。

「松下町の薪河岸」現在の東京都千代田区外神田の神田川のここの左岸附近。ここは旧神田松住町内で、当時、やはり材木を扱う商人が集まっていたことから「材木町」という通称があり、さらに、この町の南を流れる神田川の川辺周辺には、薪(まき)を売る商人が集中していたことから、「薪河岸(まきがし)」という異名もあったとされる(「千代田区」公式サイト内の「町名由来板:神田松住町(かんだまつずみちょう)」を参照した)。

「給息」底本にはなにも記していないが、意味が判らぬ。前記活字本を見ると、ママ注記がある。本文の謂いから見て、凶兆で、世の「終焉」の意か。

「村上肥後守」旗本で江戸南町奉行となった村上義礼(よしあや 延享四(一七四七)年~寛政十年十月二十二日(一七九八年十一月三十日)。従五位下肥後守。当該ウィキによれば、寛政四(一七九二)年十一月、『西ノ丸目付』であった『時、通商を求めたロシアの使節ラクスマンと交渉する宣諭使』『に目付石川忠房とともに選ばれ、蝦夷地松前に派遣され』、『翌年』の六月二十七日の『会見で、通商交渉のための長崎入港を許可する信牌を与えた』人物としても知られ、彼は寛政八年九月に『江戸南町奉行とな』り、まさに、この事件から七ケ月ほど後に、『在任中』のまま、『没した』とある。村上個人にとっては、「終焉」の凶兆だったのかもと、言えなくもない。

「『半日閑話巻二十五』に同様の文がある」「半日閑話」は「青山妖婆」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆全集』第四巻(昭和二(一九二七)年国民図書刊)のここにある(右ページ二行目)、これは標題が『○怪異三種』の二条目であるが、「同様」とは言えない。但し、前の記載から、同じ寛政十年で、出現地は比較的近いから、別ソースの同じ実際にあった「野衾事件」の別話(本篇か、これの孰れかが、流言)ではあるとは言える。短いので、電子化しておく。一部に読点を追加し、推定で歴史的仮名遣で読みを添えた。

   *

一車力《しやりき》のもの【此車力は盜人なりしとぞ。此十二月初《はじめ》に刑せらる。】、石町河岸《こくちやうがし》にて、野衾、猫を、まきて居しを、朝、みつけ、棒を持て、打しゆへ[やぶちゃん注:ママ。]、野衾は死し、猫は足を損じたる、と云。この野衾は町奉行により、上覽に入しといふ。

   *

頭の「一」は条数字。「石町河岸」は現在の中央区日本橋本石町四丁目で、ここ。]

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