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2024/01/06

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「火防の神」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 火防の神【ひぶせのかみ】 〔譚海巻六〕遠州秋葉山<静岡県浜松市>権現は火防(ひぶせ)の神なり。霊験掲焉(けちえん)なる事、口碑に伝ふる事多し。本坊に滞留の客常にたゆる事なし。それに饗する飯をば大釜にて焚くに、竃(かまど)も大なれば、山中より伐り貯へたる材木を丸樹のまゝにて焚くなり。飯出来れば長き鉄のまたふりにて、余燼の木をかきいだし、そのまゝ消《きえ》もやらぬを縁の下へ突入(つきい)れ置くに、おのづから火消えて、敢《あへ》て火災ある事なし。往古より然り。房中の座敷幾所にも一宿の旅客あるに、山中寒ければ座敷ごとにゐろりを構へ置きて、それへ台所より燃えくひのまゝを、重能《ぢゆうのう》に山の如く盛りて持てはこぶ。長き廊下など通りて遠き座敷などへ持行《もちゆ》くには、重能の火こぼれて、所々の座敷の畳の上にあれども、畳やくる事なし。重能を持帰るたよりにみれば、こぼれたる火ことごとく消えてあるゆゑ、手にてひろひ集めて重能に入れ帰るなり。その外《ほか》房に続きて、諸職人長屋だて続けたる大なる宅有り。それに諸職人住居して、鍛冶《たんや》、桶類・家具・諸雑器等を日々にこしらふる事なり。その職人等、昼は一日所作をなして、その部屋に人々薪材木をゐろりにたき、おもふまゝにあたゝまりをり、夕《ゆふべ》になれば所作を仕舞《しまひ》て房へ食事に行き、そのまゝ房に寝る事なるに、我部屋に夥しく焼捨てたる火を、消しもせず打捨て出で行くとも、その跡にて火おのづから滅して、失火ある事なしといへり。また毎年霜月<十一月>十六七日には火防の祈禱あり。かねて近在の僧徒、この役に候(こう)する例ある者共、数日《すじつ》別火潔斎して、その日に会集するなり。秋葉山の坊は洞家[やぶちゃん注:曹洞宗。]の禅宗なれば、みなその宗門の僧徒あつまるなり。黄昏より祈禱の修法《しゆほふ》はじまる。火を夥だしく盤に盛りて、その中へ誦経しながら火防の札を打入れ、長き鉄のまたふりにてかきまはし念呪するなり。この札この如く、火中にあれども、一枚も焼くる事なし。翌朝までそのまゝ置きて、火消えて後、冷灰の中よりこの札をひろひ出し、櫃《ひつ》にたくはへ置きて、一年の内参詣して札を乞ふ者に与ふる事とす。もつとも奇特ある事といへり。秋葉山遠州にある事に称すれども、その山は三河と遠江とに属して境内は二州にまたがりたる所なり。されば本堂は同じ山中ながら三河に属し境内は多分遠江に属せりといへり。堂の大きさ浅草観音堂<台東区浅草にある>の如しといヘり。それより八町奥に奥の院といふあり。本堂までは男女参詣すれども、奥の院へは女の参詣を禁ず。殊に深山にして、しばらくも長く留《とどま》りがたき、恐ろしき気味の所なりとぞ。本堂常には昼夜にぎはしければ、さにあらねども、霜月火防の祈禱の夜は何となく恐ろしく、修法に供する人の外は留宿《りうしゆく》するものなく、御供米《みくましね》をいたゞきて皆下山する事といへり。又この奥の院の外に、三里奥山中に別社あり。これはまことに非常の人のまれにいたるばかりにて、参詣するものもかねて潔斎精進して、先達をたのみて参詣する事とぞ。その道もおほくは懸崖絶壁にして、瀑水のそゝぐ所などをも、よけず過《すぐ》る所おほしとぞ。本堂よりふもとの町家へ下るに、表門は五十町、うら門よりは七十町あり。毎夜下山する人絶えざれば、本坊にて提灯蠟燭を借《か》す。らふそくは廿匁懸《がけ》ばかりのもの二挺《ちやう》づつ給《きふ》するなり。あたひも何ほどにてもかまはず、参詣の人の心次第に奉るなり。この裏門おもて門ともに、道の遠近異なれども、らふそく二挺にて、いづれより下山しても、宿まで火消《きゆ》る事なく、また二挺をはぶきて一挺にても火消る事なし。これを眼前のふしぎといひ伝ふる事なり。一挺にて下山せしものの、七十町の道を下り尽し、町家の宿へいたりてその火消さんとせしに、宿の亭主、山にて借り来り賜ふ火ならば、けさでもえ尽《つき》るとて、そのまゝあれといひければ、洗足《せんぞく》などして座敷へ入り、その提灯のまゝ座敷の長押《なげし》にかけ置きたるに、しばしありてらふそく燃えつきて消たりしが、消《きゆ》るとき下より人の火をおしあぐる如く、短かきらふそくの、提灯のふたの口まで、ばと燃えあがりて消たるをみたり。かゝるふしぎなる事はなかりしと、その人の語りしなり。

[やぶちゃん注:これは事前に「譚海 卷六 同國秋葉山權現の御事(フライング公開)」として公開しておいた。但し、当該条の終りの部分が、有意にカットされているので、見られたい。]

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