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2024/01/08

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「二つ岩弾三郎」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 二つ岩弾三郎【ふたついわだんざぶろう】 〔燕石雑志巻五の上〕佐渡ノ国二ツ岩(或ハ作二ツ山[やぶちゃん注:底本に「ニ」はない。後に示す活字本では、あり、『ちくま文芸文庫』版では補塡されてある。])といふ山中に、年来(としごろ)ひさしく棲む弾三郎《だんざぶらう》といふ狸は頗る霊《れい》ありといふ。この老狸《ふるたぬき》むかしは人に金を貸しけり。彼に借《か》らんと思ふものは、金の員数と返璧《へんへき》の日限を書《かき》つけ、これに名印《ないん》を押して穴のほとりにさしおき、詰(あけ)の朝またゆきて見るに、貸さんと思へばその金《かね》穴の口にあり。後《のち》には金を借るものあまたあるまゝに、返さゞるものもまた夥(あまた)ありしかば、遂に貸さずなりしとぞ。医師《くすし》伯仙は佐渡の人なり。三世《さんせい》方伎《はうぎ》[やぶちゃん注:ここは「医術」のこと。]によし。その父嘗て佐渡にありしとき、一夕《あるゆふべ》隣里(ちかきさと)なる某甲(なにがし[やぶちゃん注:二字へのルビ。])急病ありとて、轎子(のりもの)を齎《もた》らし叮嚀に迎へらる。知る人にはあらねども、辞するによしなくて、その家に赴き、湯薬膏薬を与へて、また送られて帰りつ。かくて四五日を経て、患(やむ)人おこたり果てたり[やぶちゃん注:病気の者が完全に快癒した。]とて、みづから詣来(もうでき[やぶちゃん注:ママ。])てよろこびを述べ、謝物《しやもつ》として方金《はうきん》数百顆《しひやくつぶ》を盆に盛りてさし出《いだ》しにければ、医師大きに怪しみて、これを受けず。僅かに四五貼《ちやう》の薬剤を進《まゐ》らしたるに、かゝる謝物をうくべき事かは、われ年来《としごろ》こゝに住めば、豪家《ごうか》はその名を知らざるものなし、抑〻《そもそも》足下(そこ)は何人《なんぴと》ぞと問へば、件《くだん》の男うち微笑《ほうえ[やぶちゃん注:後掲する活字本に拠った。]》みて、疑はるゝも理(ことわり)なり、我は人間にあらず、二ツ岩の弾三郎なり、まげてこの金ををさめ給ひねといふに、医師頭《かうべ》をうち掉(ふ)りて、弾三郎ならばいよいよ受けがたし、金銭は人間日用の宝《たから》にして、禽獣の為に益なし、しかるに汝甚だ富みたり、必ず不良の財《たから》なるべしといへば、弾三郎またいへらく、おのれが金は不正のものにあらず、或ひは兵火に係り、或ひは洪水によつて溝壑《こうがく》[やぶちゃん注:溝(みぞ)や谷。]に埋れるものを、拾ひ集めて貧人《まづしきひと》を済(すく)ふのみ、疑はずして受け給へと請ひすゝむれども、医師固辞(いなみ)て受けざりしかば、その日はむなしく立帰り、次の日に短刀《のだち》[やぶちゃん注:「野太刀・野劍」で自営用の短刀「刺刀(さすが)」を差す。]一口をもて来つ。これを医師《くすし》に送りていヘらく、この刀は貞宗が釧(うち)たるものなれば、おのれ年来《としごろ》秘蔵せり、国手《こくしゆ》の蔭を蒙りて、疾病《やまひ》忽ちに怠たりぬるに、物受け給はぬは心苦しくこそ候へ、これをば受けをさめて、わが志《こころざし》を果さし給へかしといひつゝ刀を主人(あるじ)のほとりに置き、形は消えてなかりけり。さればかの短刀《のだち》(無銘)を伯仙につたへて家宝にせりといひ伝へたりとなん。みなこれ土俗の口碑に遺す昔物語にして、今はかの老狸《ふるたぬき》を見たるものなしといへば、あるべきことならねど、童子の為に記《しる》すのみ。しかるや否やは知らず。按ずるに『越後名寄《えちごなよせ》』(巻の三十一)云く、寺泊・出雲崎<新潟県>の海辺《かいへん》にて、春夏秋の間《あひだ》、天《そら》はれたるゆふべ、海上遙かに佐渡を眺望(ながむ)れば、二ツ山のかたにあたりて、雲にもあらず、霞にもあらず、青きに黒色《こくしよく》を帯びたる気のたちて、或ひは楼閣、或ひは[やぶちゃん注:ママ。]城墩(じやうくわく)、渡殿(わたどの)、廊下(ほそどの)、築牆(ついひぢ)、石垣に至るまで、全備《ぜんび》して見ゆ。海市蜃楼《かいししんろう》にはあらず。これは佐渡なる二ツ山に弾三郎といふ狸あり。かれが所為《わざ》なりとぞ。時々これありといへり。佐渡には狐なく、狸と貉(むじな)はありて吹革(ふいご)の用をなせり。またこれ造化不測《ざうくわふしぎの功なり。

[やぶちゃん注: 「二ツ岩弾三郎」馬琴のリキの入った文章だが、ちょっと残念なのは、『彈三郞』ではなく『團三郞』である。団三郎狸を祀ったとされる本拠地二ツ岩神社(大明神)には、一年前、二〇一八年の三月の三度目の佐渡行で私の希望で友ら皆で参った(火災で哀しく酷いことになっていた)。ここである(グーグル・マップ・データ)。私は《団三郎狸の親衛隊》で、古くは、次に出る、

「耳囊 卷之三 佐州團三郞狸の事」

に始まり、佐渡に特化した怪談集の、

「佐渡怪談藻鹽草 鶴子の三郎兵衞狸の行列を見し事」

「佐渡怪談藻鹽草 窪田松慶療治に行事」

「佐渡怪談藻鹽草 寺田何某怪異に逢ふ事」

の外、

『柴田宵曲 續妖異博物館 「診療綺譚」』

に出る。他にも柳田國男の「一目小僧その他」の「隱れ里」の、

『柳田國男「一目小僧その他」 附やぶちゃん注 隱れ里 八』

等で、言及している未見の方は是非、読まれたい

「燕石雑志」は滝沢解(戯作名は曲亭馬琴)が著した随筆。文化八(一八一一)年)刊。全五巻。古今の多岐に亙る事物を、和漢の書籍に拠って考証したもの。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』第二期第十巻(昭和四(一九二九)年日本随筆大成刊行会刊のここ(右ページ六行目下方から)で正規表現の本文が見られる。これ自体は長大な『(二)田之怪(たぬけ)』という狸の怪に関わる長篇の枕の後に第一に出る主要なる一節で、間には、「兩巖圖說幷春日宗二郞傳」と大字で掲げた後日の追加附記(宵曲はカットしている)があり、その跡に挿絵図が、ここ(二ツ岩周辺の俯瞰図とキャプションから成る)と、ここ(左右二幅。左が弾三郎狸の図で、右が二ツ岩近景)で計三幅あるので、是非、見られたい。読みは一部を以上の原本で補った。宵曲のルビ振りが如何にヒドいものかが、お判り戴けるはずである。必要でない箇所に振り、なければ、絶対にそうは読めない部分を、多数、知らんぷりしている。サイテイだね!

「越後名寄」全三十一巻から成る三島郡寺泊町の医師丸山元純(良陳)が編述した越後国の代表的な地誌。宝暦六(一七五六)年成立 。巻一から巻九までが、国郡郷庄・名所・天象・山川・神社仏閣・旧跡・関・港・市・駅路・古城・水火・温泉等で、巻十から巻三十までが動物・植物・鉱物などの天産、巻三十一で、人倫・城下役所などに及ぶ。別称を「越後名録」「越後菜薬之記」 ともする。]

〔耳囊巻三〕佐州相川<新潟県佐渡市相川>の山に、二ツ岩といへる所あり。かの所に往古より住みける、団三郎狸といへるあるよし、彼地の都鄙、老少となく申し唱へけるに、具(つぶ)さにその語を聞きしに、誰見しといふ事はなけれども、古来より申し伝へぬるよしなり。享保・元文の頃、役人の内、寺崎弥三郎といへるありしが、相川にて狸を見懸けて、抜打に迯《にげ》る所を、足をなぐりしよし。(この寺崎はのちに不束の事ありて家名断絶せしよし)しかるに、芝町に何の元忠とかいへる外科のありしを、夜に入て急の病人ありとて、駕《かご》を以て迎ひける。右何心なく、元忠も駕に乗りて行きしに、二ツ岩とも覚ゆる所に、門長屋その外家居《いへゐ》等、美々しき所に至り、主《ある》じ出《いで》て、その子怪我せしよしにて、元忠に見せ、薬など貰ひ、厚く礼を施しかへしけるよし。しかるにその後《ご》薬を取りに来《きた》る事もなく、厚く謝礼等もなしける事ゆゑ、また尋ねんとも思ひけるが、曾てその所を知らず。程過ぎて聞合せぬるに、元忠療治なしつるは、団三郎が子狸にてありしや、実《げ》にも人倫の様体にもあらずと語りし由、国中に語り伝へしとなり。<『譚海巻二』にもこの事がある>

[やぶちゃん注:私の「耳囊 卷之三 佐州團三郞狸の事」を参照されたい。

「譚海巻二」私の「譚海 卷之二 佐渡國風俗の事」を見られたい。]

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