甲子夜話卷之八 9 飯田侯【堀大和守。】、憲廟拜領の御麻上下幷佐野肥後守が祖先の上下
[やぶちゃん注:これまでのフライング単発で、恣意的正字化変換や推定歴史的仮名遣の読みは勿論、句読点・記号変更・追加、段落成形を行ってきた関係上、以下でも、読者の読み易さを考え、「卷之七」の後半で既にその処理を始めているのだが、それをルーティンに正式に採用することとする。なお、カタカナの読みは、静山自身が振ったものである。
なお、この前の「甲子夜話卷之八 8 鳥越袋町に雷震せし時の事 + 同卷之十一 15 雷火傷を治る藥幷雷獸の食物」で、既にフライング・カップリンング単発で公開してある。]
8-9 飯田侯【堀大和守。】、憲廟拜領の御麻上下(かみしも)幷(ならびに)佐野肥後守が祖先の上下
林子、云ふ。
「飯田侯堀大和守が家に、憲廟より、拜賜の御麻上下あり。曩日(なうじつ)[やぶちゃん注:昔。]、請(こひ)て拜瞻(はいせん)せしに、肩の巾(はば)は、至(いたつ)て狹く、袴腰(はかまごし)の木を、一幅の麻にて包み、腰ぎはより、幾重も捻(ねぢ)りて、其先(そのさき)、左右を、細く疊みて、紐とせり。
後、佐野肥後守に話せば、
『その祖先、伏見討死(うちじに)より、三代目に當れる人の着せし上下を藏せるが、その製、同じこと。』
と、なり。さすれば、昔は尊卑とも、皆、如ㇾ此(かくのごとき)製なりと、見ゆ。」
「捻りたる所、見苦し。」
など云(いふ)より、今の形に變りたるなるべし。
■やぶちゃんの呟き
「飯田侯【堀大和守。】信濃飯田藩第十代藩主にして、「伺い譜代」として幕閣に連なり、老中にまで登りつめた堀親寚(ちかしげ 天明六(一七八六)年~嘉永元(一八四九)年)。当該ウィキを参照されたい。
「憲廟」第四代将軍徳川家綱。
「袴腰の木」。袴の後ろの腰にあたる部分を「袴腰」と呼び、男子用のものでは、中に長方形で上の削げた厚紙、或いは、薄い木の板を入れて仕立てる。
「拜瞻」謹んで見せていただくこと。
「佐野肥後守」旗本佐野康貞なる人物と思われる。「甲子夜話卷之二 11 佐野肥後守發句の事」に登場している。
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