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2024/01/14

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「身代り観音」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 これを以って「ま」の部は終わっている。]

 

   

 

 身代り観音【みがわりかんのん】 〔兎園小説第四集〕善光寺如来の百姓幸助が身代りにたゝせ給ひし事は、あまねくしる所なり。享和年中、浅草観音の影像身代りの事をきけり。そのさま幸助が事にさもにたり。ある田舎人(名所はよく糺すべし)霊巌寺の塔頭に逗留して、日毎に江戸見物にいでけるが、七月中、浅草観世音にまうで、還向《げかう》して新吉原の燈籠を見、かへり二更[やぶちゃん注:亥の刻。午後九時或いは午後十時からの二時間を指す。]過ぐる頃、帰路に趣きし所、土手にて酒狂人有り。白刃を振り、群集の人々あわてさわぎけるに、かの田舎人あやまちて、刃《やいば》にあたりたふれふしたり。かたへの人はまさしく殺害《せつがい》と見たり。当人もきられたりと覚えつゝ倒れて気絶しけり。そのひまに酒狂人は行方しれず。人々寄りてこれを見るに、刃傷《にんじやう》の様子にもなし。いづ方の人にか。息たえたれば、尋ねとはんやうもなく、とやせんかくやといひあへる折から、一人がいふ、この者昼のほど観音境内の何屋といふ茶店にて見しものなりといひければ、いでやとて駕籠にのせてその家につれ行き、いづ方の人にかと問ひけるに、茶店のあるじもあからさまに立ちよりし人なれば、住所もしらずといふ。こはいかゞせんと当惑しける折から、ふといき出でたり。よつてその住所をたづねければ、そこそことこたふ。すなはち深川の旅宿につれ行きたり。宿坊にては、深更に及びてもかへらねば、いづこにかやどりつらんとて、戸かぎをしめてねたり。さるに暁に及びて音づるゝにより、さしつる戸をあけて、たぞと問へば某《なにがし》帰りたりと云ふ。いかにしておそかりしといへば、しかじかと答ふ。まさしく切られたりとおもひしかども、身の内にきず付きし痕もなし。さらば尊《たつと》き守りにてもかけたりやと問へば、さる物ももたず。懐中に有る者とては浅草観世音の御影《みえい》のみなりとて、取り出でてひらき見れば、不思議なるかな、紙にすりし御影きれて有り。さては我が身がはりにたゝせ給ひしならんとて、渇仰の涙おきあヘず。頓て上のくだりゑがかせ、ゆゑよしをしるして観音堂の内に掲げて有りしを、享和年中、檜山坦斎まのあたり見たりといへり。今はなしとぞ。<『兎園小説第六集』『道聴塗説第三編』にもある>

[やぶちゃん注:私の『曲亭馬琴「兎園小説」(正編) 身代觀音』を参照されたい。なお、そちらにもリンクさせてあるが、同書第一集の『曲亭馬琴「兎園小説」(正編) 百姓幸助身代り如來の事』も同じく参照されたい。

「兎園小説第六集」同じく『曲亭馬琴「兎園小説」(正編) 身代り觀音補遺』を参照されたい。

「道聴塗説第三編」(だいちやう(別に「だいてい」とも読む)とせつ)一般名詞では「道聴途説」とも書く。「論語」の「陽貨」篇の「子曰、道聽而塗說、德之棄也。」(子曰はく、「道に聽きて塗(みち)に說(と)くは、德を之れ棄つるなり。」と。)による語で、路上で他人から聞いたことを、すぐにその道でまた第三者に話す意で、「他人からよい話を聞いても、それを心にとどめて、しっかりと自分のものとせぬままに、すぐ、他に受けうりすること」で、転じて、「いいかげんな世間のうわさばなし・ききかじりの話」を指す。この書は、越前鯖江藩士で儒者であった大郷信斎(おおごうしんさい 明和九(一七七二)年~天保一五(一八四四)年:当初は芥川思堂に、後、昌平黌で林述斎に学んだ。述斎が麻布に創った学問所「城南読書楼」の教授となった。文化一〇(一八一三)年には、藩が江戸に創設した「稽古所」(後に「惜陰堂」と名のった)でも教えた。名は良則。著作に「心学臆見論」などがある。宵曲は巻数を誤っており、「十編」ではなく、「第十四編」である。国立国会図書館デジタルコレクションの『鼠璞十種』第二(大正五(一九一六)年国書刊行会)のこちらで正規表現で視認出来る(リンク先は標題のみのページ。次のコマで本文全文が見られる。標題は『○身代の觀音』。]

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