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2024/01/15

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「茗荷谷怪異」 / 「み」の部~了

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 これを以って、「み」の部は終わっている。]

 

 茗荷谷怪異【みょうがだにかいい】 〔望海毎談〕江戸大塚村<東京都文京区と豊島区内>、今は御城より西北に続きて家居《いへい》の並《ならび》なり。この大塚の南の方の地低《てい》なる所を、茗荷谷と呼ぶなり。小日向の服部坂より登り、先へ通る所にして、小屋敷どもの前を通り、右の谷へ行く。この辺もおしなべて小身衆、或ひは小寺のみにて物淋し。寺地に右に付て通る所の左側に、明き屋敷地にて三四百坪ばかりの所、畠の作り物もせず、荒地なり。稲富氏の人主《あるじ》たりと云へども、屋敷守の人らしき者にて[やぶちゃん注:ママ。後に示す活字本でも同じ。せめて「も」を入れたい。]爰《ここ》にをらず。入口たる川の少し脇に、道心者のやうなるもの、小屋がけの如くにして、唯独り居《を》りて、出入の人終《つひ》に見かけず。いつの頃よりして有り来《きた》るや、屋敷の内に大なる石塔三ツ四ツありて、垣根よりはるか高く見えたり。すべてこの屋敷の由緒知る人なし。所がら一しほ物淋し。それに付て人通りもなき外面《そとも》なれば、夜に入《いり》ては曾て往来の人なき故、この辺にあやしき物有りといふより、右の明《あき》屋敷に化物ありと沙汰すること年久し。大野三太夫と云ふ者、小日向の方より大塚組屋敷の宿へ帰るとて、日暮過ぎに及びしかば、此所を通るにいと物すごき折ふし、先へ立《たつ》て行く出家あり。これこそよき道連れなりと足早に追付き、既に廿間[やぶちゃん注:三十六・三六メートル。]ばかりも隔つらんと思ひし時、その出家の丈《た》ケ高くなる事、明き屋敷の垣根を越し、大石塔の五輪の上より遙かに見上ぐる程になり、その門口《かどぐち》迄行くかと思ひしが見失ひたり。惣じてこの辺怪しきことども時々あり。山下氏の人、これも日暮に及びし頃通りしに付き、道を急ぎ、足もとヘ蛙《かはづ》鳴き出《いで》て飛び行くに連れて、そこ爰《ここ》よりも出《いで》つれて足にまとはる。半町[やぶちゃん注:五十四・五メートル。]ばかり斯くして道のさがりへ下《くだ》りて、溝端《みぞはし》の草むらに蛙多く集りしが、頓(やが)て東西に別れて、一疋ヅツ左右より出《いで》て喰合《くらひあ》ひたり。喰ひ負けたる方《かた》よりまた一疋出る時、向うよりもまた外の蛙出て喰合ふことなり。はや夜《よ》にも入《いる》る故、これを見捨てて立帰りしが、その跡たる所も知らずと物語りしけるに付き、我等も去年其所《そこ》にて、蛙のその如く喰合ひたるを見たり。その果《はて》には惣蛙《そうあ》両方より一度にかゝり喰合ふと語りし。

[やぶちゃん注:「望海毎談」江戸中期(十八世紀半ば)に書かれた、江戸名所旧跡についての伝説と、江戸以外のことも記した随筆。全七十三条(但し、内六条は目録のみにあり、本文は残っていない)。作者未詳。国立国会図書館デジタルコレクションの『燕石十種』第三(明治四一(一九〇八)年国書刊行会刊)のこちらで当該部が正規表現で視認出来る。標題は『大塚村怪異』。

「大塚村」「東京都文京区と豊島区内」「ひなたGPS」で示す。

「茗荷谷」東京都文京区小日向の、この中央附近(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。

「小日向の服部坂」同前の北位置に現存する。]

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