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2024/01/27

譚海 卷之六 江戶中橋金丸藏人隱德の事

[やぶちゃん注:これまでのフライング単発で、推定歴史的仮名遣の読みは勿論、句読点・記号変更・追加、段落成形を行ってきた関係上、以下でも、読者の読み易さを考え、「卷之六」以降、それをルーティンに正式に採用することとする。]

 

○江戶、中橋[やぶちゃん注:底本に訂正傍注があり、「京橋」の誤りとする。]に、金丸藏人(くらうど)といふ浪人、有(あり)。

 諸事多藝なる人にて、殊に鑓(やり)の名人なれば、弟子あまたあり、八十四歲までありて、死(しし)たり。

 その子の某(なにがし)成(なる)人、又、篤實なる生質(たち)にて、殊に、人をあはれむ心、ふかくありしが、六十歲斗りの時、深川邊へ、一日(いちじつ)あそびありきたるに、途中にて、ふと、勢州桑名の人に行連(ゆきつ)れ、終日(ひねもす)、物語して、つれだちしに、某、桑名の人にいひけるは、

「今日(けふ)、しばらく同道いたし、終日、心安くかたらひ申(まふす)に付(つき)て、存寄(ぞんじより)たるに、そこ許(もと)は、何か、心中に苦勞せらるゝ事、あるやうに存(ぞんじ)られ、とかく、はなしの言語(ことば)のはしばしも、力なく、おもしろからぬ體(てい)に見え候。いかなる事にや。」

と、いひければ、桑名の人、

「さればに候、御尋(おたづね)に付(つき)、つゝまず、御物語(おんものがたり)いたし候。我等事、此度(このたび)、江戶へ、くだり居(をり)候間、よしなきものに誘引せられ、遊里へ、はまり候て、心の外に、金子、つかひはたし、殊の外、難儀致候。このせつ、金子三兩ほど無ㇾ之候ては、在所へ歸り候事も相成(あひなり)がたく、一命にも及(および)候難儀有ㇾ之候に付(つき)、自然(おのづ)と、其(その)氣ざし、たえず、御自分樣、御目にも、咎(とが)められ候ほどの事に相見え候事。」

と申せしかば、某、甚だ、氣のどくに存じ、

「さてさて、了簡にも及ばざる事なれども、一日同道致(いたし)、御心易(おこころやすく)相成、かやうの御物語も承り、何とも笑止なる事に候間、先(まづ)、いづれにも、今晚、拙者方へ御同道申べし。其上にて、何とか工夫も有(ある)べし。」

といへば、桑名の人も、恭[やぶちゃん注:ママ。国立国会図書館デジタルコレクション版も同じだが(左ページ上段十行目最下)、何かおかしい感じが私にはする。思うに、「忝」(かたじけなく)の誤記であろう。]覺えて、それより同道して京橋のやどりへ來り、一宿させ、懇(ねんごろ)にもてなし、某、何とか、才覺したりけん、金子三兩、相調(あひととのへ)、翌日、桑名の人に、あたへければ、

「おもひがけぬ事にて再生の御恩也。」

とて、殊の外、悅(よろこび)、立(たち)わかれける。

 其後(そののち)、一兩年、過(すぎ)て、某、親の弟子兩人と、同道にて、下人壹人、召連(めしつ)れ、上下(うへした)四人にて、伊勢參宮せしが、歸路に、桑名にいたり、

「船にのらん。」

と、せしに、先年、江戶にて、金子三兩、調へ遣(つかは)したる男に、風(ふ)と、船乘場(ふなのりば)にて出逢(いであひ)、たがひに、大よろこび、しばらく、物がたりして、

「いそぎの船なれば、乘(のり)申さん。」

と別(わかれ)を告(つげ)ければ、此男、

「かく、珍敷(めづらしき)所にて御目にかゝり、殊に、再生の御恩を得し事、晝夜、相(あひ)わすれ不ㇾ申。何とぞ、しばらく、拙者宿へ御立寄下され。せめて、しばらく、御休息ありて、今日、御逗留ありて、明日、船に乘(のり)下さるべし。」

と、わりなく[やぶちゃん注:むやみやたらに。]申せしかば、もだしがたく、其男と打連、宿へ行(ゆき)て、一宿せしに、亭主も、隨分、酒食をとゝのへ、いんぎんを盡して、もてなしけり。

 然(しか)るに、昨日(きのふ)、乘(のり)おくれし船、七里の海中にて、にはかに、風、起り、波、あれて、船、あへなく、くつがへりたれば、船中の人、殘らず、溺死せし、とぞ。

 某の子、桑名の人に逢(あひ)、無理に、宿へ、いざなはれ、船にのりおくれし故に、溺死の禍(わざはひ)を、まぬかれたる事、ふしぎ成事也。

「是、しかしながら、陰德の報(むくい)なるべし。」

と、人々、いひあへる、とぞ。

[やぶちゃん注:この同類の話、私の怪奇談に枚挙に遑がない。取り敢えず、「耳囊 卷之六 陰德危難を遁し事」をリンクさせておく。]

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