譚海 卷之六 信州山中熊の事
[やぶちゃん注:これまでのフライング単発で、推定歴史的仮名遣の読みは勿論、句読点・記号変更・追加、段落成形を行ってきた関係上、以下でも、読者の読み易さを考え、「卷之六」以降、それをルーティンに正式に採用することとする。]
○信濃國、山中(さんちゆう)にて、熊、小共(こども)、二、三疋、引連(ひきつれ)、出(いで)て求ㇾ食(しよくをもとめ)ける。
親熊、大(だい)なる磐石(ばんじやく)をもて、あげて、其下に有(あり)ける蟻(あり)を、子どもの熊に、あさり、くはせけるに、獵師、はるかに、是を見やりて、鐵炮を打(うち)かけしが、打損じて、熊にあたらず。
されども。親熊、此ひゞきにおどろきて、おもはず、かの、もてあげける石を、とりはづしぬるに、あやまたず、子熊ども、此磐石に、おされて、みな、死(しし)たり。
さるとき、親熊、はなはだ、怒り、をどりあがりて、そこら、にらまへ[やぶちゃん注:「睨みつけて」の意か。]、もとめけれども、獵師、ふかく、かくれて見えざりければ、熊、終(つひ)に獵師をもとめえず、やゝかなたこなた、もとめかねて、熊せんかたなき體(てい)にて、もとの所へ立かえりしが、やがて、又、その磐石、もてあげて、子熊の死たる上にかさなり、磐石、わが身に、おとしかけて、我も、子熊と共に、死(しし)ける、とぞ。
「異類なれ共、子をおもふ心は、淺からざりける。」
と、後(のち)に、獵師、物語(ものがたり)て、慚愧(ざんき)しけるとぞ。