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2024/01/18

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「山伏伝授の薬法」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 山伏伝授の薬法【やまぶしでんじゅのやくほう】 〔耳袋巻五〕水戸城下にて原玄養と一同、当時行はれ流行なせる医師の、名は聞違へけるが、かの医師の伜《せがれ》にて、これまた療治を出精して、在町《ざいまち》を駈け歩行きて療養をなしけるが、或途中にて老いたる山伏に逢ひしが、その許《もと》は医業に精を入れ給ふ事なれば、明後日彼《かの》町の裏川原《うらがはら》へ何時《なんどき》に罷り越し待ち給ふべし、我等伝授致し候事有りと言ひける故、承知の旨挨拶して立別れけるが、一向知る人にもこれなく、名前も聞かざれば如何せんと、宿元へ帰り咄しけるに、それは怪しき事なり、如何なる失《しつ》あらんも計り難きとて、親妻子も止めける故、期に至りても行かざりしに、また明けの日途中にて、かの山伏に逢ひしに、何故約束を違《たが》へしやと申しける故、しかじかの事《こと》故と断りしに、また明けの夜は必ず川原へ来り給へと期を約し立別れし故、宿元へ帰りてしかじかの事と語りて、今宵は是非罷るべしと言ひしを、両親その外親族など打寄り、それは俗いふ[やぶちゃん注:以下の私のものでは、『俗にいふ』である。]天狗などといふものならん、かまへて無用なりと諌め止めしかど、かの医師何分不得心《ふとくしん》の趣故、親族打寄りて不寝《ふしん》などして止めけるが、深更にも及び頻りに眠りを催す頃、かの医師密かに眼合《まあひ》を忍び出《いで》て、約束の河原に至りければ、山伏待ち居《をり》て五寸ばかりの桐の新しき小箱を与へける故、持帰りければ、家内にては所々尋ねて立騒ぎ居し事ゆゑ、大いに悦びて如何なる事やと尋ねしに、かの山伏人に語る事なかれと切に諌めける故、委《くは》しき訳も語らず。さてまた箱の内に薬法を認(したた)めし小さき書物あり。その奇効もつともと思はざるもあれど、右の内丸薬の一法を試みに調合なしける。不思議なるかな、右丸薬を求めんとて、近国近在より夥しくたづねきたりて、右薬を買ひ求めける事、誠に門前に市をなし、僅かの間に数万《すまん》の徳付きけるが、その外の薬法ども見しが、格別の奇法とも思はれねば、強ひて信仰の心もなく過ぎしが、右は正二月の事なりしに、三月とやらん近所へ療治に出《いで》しが、湯を立てけるゆゑ入り給へと、かの亭主の馳走に任せ、懐中物と一同、かの箱入りの書物も座敷に残し置きしに、勝手より火事出で来て、早くもかの懐中物差置きし場所へ火移り、一毫(がう)も残らず煙となりし故、かの医師右の奇物を惜しみ、火災の場所を捜しけるに、不思議に右桐の箱、土瓦の間に残り居し故、嬉しくも早々取上げ見しに、箱はふたみともに別条なけれど、合口《あひぐち》の透きより火気入り候様子にて、箱の内の奇書は焼け失せけるとなり。右箱をこの頃江戸表水府の屋敷へ持参して、見し者有りけると人の語りけるが、寛政八年の春夏の事なる由。

[やぶちゃん注:私の「耳囊 卷之五 水戶の醫師異人に逢ふ事」を参照されたい。]

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