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2024/01/06

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「非人の茶」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 非人の茶【ひにんのちゃ】 〔耳袋[やぶちゃん注:ママ。本書では、「耳袋」と「耳囊」の二つが使用されているが、これは最後の『引用書目一覧表』のここに、宵曲が注して、『芸林叢書六巻・岩波文庫六巻。』(これは現在の一九九一年刊の三巻本とは異なる)『巻数は同じであるけれども各巻の編次は同じでない。『耳囊』(芸)と『耳袋』(岩)と文字を異にするより、これを別つ。』とある。 ]巻二〕茶道数寄《すき》の者の作説ならんが、或日茶事《ちやじ》の宗匠露路(ろぢ)を清め、独り茶を立てて楽しみける折から、表に非人躰(てい)の者、暫く立ちてその様子を伺ひ、庭の様《さま》などを称しけるにぞ、かの宗匠立出《たちい》で、汝も茶を好めるやと問ひければ、我等幼《をさな》より茶事を好み翫《もてあそ》びしが、今の身の上になりても、御身の茶事に染み楽しみ給ふをうらやましく、思はず立止りぬと答へければ、不便(ふびん)にもまた風雅に覚えて、古き茶碗に茶一服を与へければ、忝(かたじけな)き由を答へ、恐れある申し事《ごと》なれども、来《きた》る幾日の朝、そこそこの並木松何本目の元へ来り給へ、我等も茶を差上げんと言ひて去りぬ。如何なる事や不審《いぶかし》とは思ひしが、その朝かの松の木の下に至りしに、そのあたり塵を奇麗に掃きて古き茶釜をかけ、松の枯枝ちゝり〈松毬[やぶちゃん注:「まつぼつくり」。]〉やうのものをその下に焚きて、新しき清水焼《きよみづやき》の茶碗・茶入れ・茶杓、何れも下料《げれう》にて出来る新しきものを並べ置きて、かの非人はその辺にも見え侍《はべ》らず。実《げ》にも風雅なる心と、茶を独りたて楽しみ帰りけるが、如何なる者の身の果てなるや、やさしき事と右宗匠語りぬる由。

[やぶちゃん注:私の「耳嚢 巻之二 茶事物語の事」を見られたい。この話、作り話だったとしても、その映像が鮮やかに見えてくる、しみじみとした、いい話である。]

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