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« 甲子夜話卷之八 5 轆轤首の話 | トップページ | 柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「路上の姫君」 / 「ろ」の部~了 »

2024/01/24

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「轆轤首」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 本篇は、大人気の轆轤首であることから、五話と、ややや長い。一字空けで、連続してしまっているが、注が附け難いので、特異的に改行して、注を挟んである。]

 

 轆轤首【ろくろくび】 〔甲子夜話巻八〕先年能勢伊予守訪ひ来て話せし中に、世に轆轤首と謂ふもの、実に有りとて語れり。末家能勢十次郎の弟を源蔵と云ふ。かれ性強直、拳法を西尾七兵衛に学ぶ。七兵衛は御番衆にして十次郎の婚家なり。源蔵師且親戚を以て常に彼の家に留宿す。七兵衛の家に一婢あり。人ろくろくびなりといへり。源蔵あやしみて、家人にその事を問ふに違はず。因て源蔵その実を視んと欲し、二三輩と俱に夜その家にいたる。家人かの婢の寝るを待ちてこれを告ぐ。源蔵往きて視るに、婢こゝろよく寝て覚めず。已に夜半を過れども、未だ異なることなし。やゝありて婢の胸のあたりより、僅かに気をいだすこと、寒晨に現る口気の如し。須臾にしてやゝ盛に甑煙の如く、肩より上は見えぬばかりなり。視る者大いに怪しむ。時に桁上の欄間を見れば、彼の婢の頭欄間にありて睡る。その状梟首の如し。視る者驚駭して動くおとにて、婢転臥すれば、煙気もまた消え失せ、頭は故の如く、婢尚よくいねて寤めず。就て視れども異なる所なしと。源蔵虚妄を言ふものにあらず、実談なるべしとなり。また世の人云ふ、轆轤首はその人の咽に必ず紫筋ありと。源蔵の云ふところを聞くに、この婢容貌常人に異なる所なし。但面色青ざめたり。またこの婢の斯の如くを以て、七兵衛暇をあたへぬ。時に婢泣いて曰く、某奉公に縁なくして、仕ふる所すべてその期を終へず、皆半にして此の如く、今また然り、願はくば期を完うせんと乞ひしかど、彼の怪あるを以て聴入れず。遂に出しぬ。彼の婢は己が身のかくの如きは露しらぬこととぞ。奇異のことも有るものなり。予<松浦静山>年頃轆轤首と云ふもののことを訝しく思ひたるに、この実事を聞きぬ。これ唐に飛頭蛮と謂ふものなり。

[やぶちゃん注:ルーティンで事前に公開しておいた「甲子夜話卷之八 5 轆轤首の話」を見られたい。]

〔閑田耕筆巻二〕世に轆轤首といふは、一種の奇病とす。あるひは是を飛頭蛮に混じて、数丈の間に徘徊するなどもいふを、俳諧師の遊蕩一音[やぶちゃん注:読み不詳。取り敢えず「ひとね」と訓じておく。]といへる男、正しく見たる話あり。その若き時、江戸新吉原にして一妓容貌美なる者を見て、即ち相接し、朝に帰るさ、友人のもとへ立より、この美貌を撰み得て接することを誇りしに、集ひたる二三の少年ども、皆掌を拍《う》ちて笑ふ。なぞといへば、子《し》しらずや、それはろくろ首の名有り、何の怪しきこともなかりしやといふ。一音初めは戯言なりと思ひてあらがひしかども、友人皆、その聞くことの遅きを嘲りて止まねば、さらば急に実否を見はてんといひて、またその席より引かへしてかしこにいたる。かの渡部《わたなべ》ノ綱が羅城門に趣きし心地なりけんと思ふもをかし。さて遊び戯れ、あまりに酔ひて、一ト夜よく寝(いね)て、明はてぬるに、かくながら帰りては、友人のためにいふべき詞なしと思ひて、またその日もそこに暮し、この夜は先(さき)の夜に懲りて、酔ひたるふりながら、露ばかりもねぶらず窺ひしに、妓は馴れてやゝ心解けしにやあらん、熟(うま)く眠りぬ。夜半過《すぐ》るころほひ、一音眼を開て見れば、その首、枕を離るゝこと一尺ばかりにして垂れたるに、心得ながらもおどろきてかけ出、われしらず大声をたてたれば、不寝《ねず》の番する男とみに来りて、一音が口をふたぎ、この客(まらうど)はおそはれ給へり、皆おはしませとわめきて、紛らはしたれば、かれこれの妓ども起出て、彼の妓は退《しりぞ》けて後《のち》、酒を勧め夜を明し、さて朝になりて家主より、こと更に盛膳《せいぜん》を出《いだ》し、人をもてひそかにいへらく、もしあやしと思《おぼ》すこともあらめど、必ず口に出し給ふことなからんを、深くねぎまゐらす、あしき名とりては、吾家《わがや》大かたならぬ愁《うれひ》に侍りと、ねもごろにいひしとぞ。おのれこの形状に思ふに、轆轤の名のごとく、頸の皮の屈伸する生質《たち》にて、心ゆるぶ時は伸ぶるなり。病《やまひ》にはあらじ。もとより飛頭蛮の話のごとく、数丈廷びて押下(なげし)に登るなどやうのことは、あるまじきことなり。

[やぶちゃん注:「閑田耕筆」「青木明神奇話」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆全集』第六巻(昭和二(一九二七)年国民図書刊)のここで当該部が正字で視認出来る。]

〔蕉斎筆記〕浄国寺先住増上寺の寮に居られし時、或夜人の首と覚しきもの、胸のあたりに来《きた》ると覚えしゆゑ、そのまゝ取りて抛《な》げられしが、行《ゆき》かたしれずなりにけり。翌朝に至り下総より抱へ置き候下人、不快の由にて起きざる故、自身には飯も炊き給(たべ)られけるに、昼時分になり下人漸《やうや》く起出でたり。和尚に向ひ願ひけるは、私へ御暇《おいとま》下さるべしと申しければ、不審に思ひ尋ねられけるに、下人申しけるは、御恥かしき事には候へども、夜前《やぜん》御部屋へ首は参り申さずや。成程首と覚しきもの、胸のあたりへ来りける故、抛付けたり、それより行方しれずなりぬ。その事にて候、私は下総の者にて抜首《ぬけくび》疾(やまひ)御坐候、きのふ手火鉢《てひばち》へ水入れやう遅きとて御叱りなされ候に、あれ程には御叱りに及ばざる事なりと思ひし故、夜前抜首になり御部やへ参り候、都(すべ)て腹立つ事あれば、いかに慎みても夜中に抜出申候、最早御勤めも相成申さずとて、暇を乞ひ帰りけるとなん。下総国はこの病あまたありとぞ。和尚の直咄《ぢきばなし》なり。

[やぶちゃん注:「蕉斎筆記」儒者で安芸広島藩重臣に仕えた小川白山(平賀蕉斎)の随筆。寛政一一(一七九九)年。国立国会図書館デジタルコレクションの「百家隨筆」第三(大正六(一九一七)国書刊行会刊)のこちら(左ページ下段五行目から次のコマまで)で視認出来る。最後にある絶対が一字下げの、否定的附記、及び、それに反論する「附箋」(筆者でない別人のそれと推定される)の一節が、カットされてある。以下に電子化しておく。

   *

私に云、此事虛說なるべし、誠の首拔出て行べきやうなし、可ㇾ信事にあらず、

〔附箋〕轆轤抔とて、五雜爼等にも書載せあれば、强ち虛說とも言ひがたし。

   *

この「五雜爼」は「五雜組」とも表記する。明の謝肇淛(しゃちょうせい)が撰した歴史考証を含む随筆。全十六巻(天部二巻・地部二巻・人部四巻・物部四巻・事部四巻)。書名は元は古い楽府(がふ)題で、それに「各種の彩(いろどり)を以って布を織る」という自在な対象と考証の比喩の意を掛けた。主たる部分は筆者の読書の心得であるが、国事や歴史の考証も多く含む。一六一六年に刻本されたが、本文で、遼東の女真が、後日、明の災いになるであろう、という見解を記していたため、清代になって中国では閲覧が禁じられてしまい、中華民国になってやっと復刻されて一般に読まれるようになるという数奇な経緯を持つ。以上から、中国で電子化されたものが見当たらず、刊本は所持しないので、当該部は判らない。早稲田大学図書館「古典総合データベース」にあるが、探すのが面倒なので、やらない。悪しからず。]

〔耳袋巻五〕宝暦の頃、神田佐柄木町<東京都千代田区内か>の裏店に、細元手に貸本をなして世渡りせし者有りけるが、不思議の幸ひを得し事ありしとや。その頃遠州気賀最寄りに有徳なる百姓有りしが、田地も六十石余所持して、男女の僕も少からず、一人の娘有りしが、容顔また類なく、二八の頃も程過ぎて、所々へ聟の相談をなしけるに、年を重ねて調はざる故、父母も大いに歎き、格禄薄き家よりなりとも聟を取らんと、種々辛労すれど、彼娘は轆轤首なりといふ説、近郷近村に風聞して、誰ありてうけがふ者なし。彼娘の飛頭蛮なる事、父母も知らず、その身へ尋ねけれどいさゝか覚えなけれど、邂逅(たまさか)に山川を見廻る夢を見し事あれば、かゝる時我首の抜出《ぬけいづ》るやと言ひて、誰《たれ》見たる者もなけれども、一犬影に吠ゆるの類《たぐひ》にて、その村は更なり、近郷近村迄もこの評判故、聟に来る者なく、富饒《ふねう》の家の断絶を父母も歎き悲しみしが、伯父なる者江戸表へ年々商ひに出しが、かゝる養子は江戸をこそ尋ねてみんとて、或年江戸表へ出て、旅宿にて色々人にも咄し、養子を心掛けしに、誰有りて養子に成るべきと言ふ者なし。旅宿の徒然《つれづれ》に呼びし貸本屋を見るに、年の頃取廻しも気に入りたれば、かゝる事あり、承知なれば直《ただち》に同道して聟にせんと進めければ、かの若者聞きて、我等はかく貧しき暮しをなし、親族とても貧なれば支度も出来ずと言ひければ、支度は我々よきに取賄《とりまかな》はん間《あひだ》参るべしと進めける故、禄も相応にて娘の容儀もよく、支度のいらざるといへるには、外に訳こそあるべしと切《せつ》に尋ねけれど、何にても外に仔細なし、只轆轤首というて人の評判なせるなりとの事ゆゑ、轆轤首といふもの有るべき事にあらず、仮令《たとひ》轆轤首なりとて恐るべき事にもあらず、我等聟になるべしと言ひければ、伯父なる者大いに悦びて、さあらば早々同道なすべしと申しけれど、貧しけれども親族もあれば、一通り咄しての上挨拶なすべしとて、かの貸本屋は我家に帰りしが、色々考へみれば、流石に若き者の事ゆゑ、末々如何有らんと迷ひを生じ、兼ねて心安くせし森伊勢屋といへる古著屋の番頭へ語りければ、それは何の了簡か有るべき、送ろ首といふ事あるべき事にもあらず、たとひその病《やまひ》ありとも、何か恐るゝにたらんや、今後かの貸本屋をなして生涯を送らん事のはかなさよと、色々進めければ、かの若者も心決して、弥〻行かんと挨拶に及びければ、かの伯父なる者大いに悦びて、衣類・脇差・駄荷《だに》其外、大造《たいさう》に支度《したく》をなして、かの若者を伴ひけるが、養父母も殊の外悦び、娘の身の上を語りて歎きける故、かゝる事有るべきにあらず、よしありとて我等聟になる上は何か苦しかるべきと答へける故、両親娘も殊の外欣びて、まことに客(まらうど)の如くとゞろめける由。素より右娘、轆轤首らしき怪しき事いさゝかなく、夫婦めでたく栄えしかど、またも疑ひや有りけん、何分江戸表へ差越さず、これのみに難儀する由、森伊勢屋の番頭が許へ申越しけるが、年も十とせ程過ぎて、江戸表へ下りて、今は男女の子共も出来ける故にや、江戸出もゆるし侍るゆゑ罷り越したりと、かの森伊勢屋へも来りて、昔の事をも語りしと、右番頭予<根岸鎮衛>が許へ来り、森本翁へ咄しける。森本翁もその頃佐柄木町に住居して、右の貸本屋も覚え居たりと物語りぬ。

[やぶちゃん注:私の「耳囊 卷之五 怪病の沙汰にて果福を得し事」を参照されたい。]

〔北窻瑣談巻四〕越前国敦賀、原仁右衛門といへるは、余<橘春暉>が多年格別懇意の人なり。この人、用の事ありて、数月《すげつ》京へ登り居《ゐ》し留守の事なりしが、その妻千代といへるが、二歳になる岩助といふ小児を養育し、下婢《はしため》一人召遣ひ居《をり》けるに、主人旅行の留守なれば、外に男子もなければ淋しとて、また一人廿六七歳ばかりなる下婢をやとひ、留守を守り居けり。寛政元年酉十月[やぶちゃん注:一七八九年十一月十七日から十二月十六日。]の事なりし。夜更けてかの下女、殊の外にうめきければ、妻も目覚めて、持病に痰強き下女なれば、また痰や発(おこ)れる、尋ねばやと思ひしに、枕もとに有りける有明《ありあk》の燈火(ともしび)消え居《ゐ》ければ、小児を懐(ふところ)に抱《いだ》きながら起出《おきいで》て、燧《ひうち》をうち、有明の燈火を点じ、下女がいねたる次の間の障子を開きたるに、下女が枕もとの小屛風の下に、何か丸きもの動きて見えければ、何やらんと有明の燈火をふり向け見るに、下女が首《くび》引結髪(ひつくくりがみ)のまゝにて、屛風の下に引添《ひつそ》ひ、一二尺づつ屛風へ登り付《つき》ては落ち、登り付ては落ちする程に、妻も見るより胆《きも》消え魂《たましひ》飛んで、気絶もすべく覚えしが、小児を抱き居《をり》ければ、驚かん事を恐れ、右の手に小児をかゝへ、左りの手に有明の燈火をさげて、その儘に居《ゐ》すわり、暫くは物も言はで有りけるが、かの首毎度《まいど》屛風へ登り付ては落ち落ちして、つひに屛風を越えて内に入り、また下女がうめきおそはる声聞えし。妻は下女をも起し得ずして、その儘に障子引《ひつ》たて、また我閨《わがねや》に入りて、夜《よ》明《あく》るまで目も合はず。蒲団を引被《ひつかづ》き居《ゐ》て、夜明《よのあく》るを待ちかねて、里方《さおかた》の大坂屋へ人して、急《きふ》に兄の長三郎を呼び、しかじかの事をかたり、何となく他《た》の事に寄せて下女にいとまやりぬ。この下女、仁右衛門留守中ばかりやとひたる事にて、近き町の者なりければ、世上の評説を恐れて、この事深く秘し、今一人の初めより居《ゐ》る下女へも聞かしめず。唯京に居ける夫仁右衛門へ、この事告げ来《きた》るついでに、余が多年親しき事なれば、文(ふみ)して委しく申来れり。後《のち》にその妻も京に登り住みければ、余も直《ぢき》に猶委しく聞けり。夢幻(ゆめまぼろし)などの事にてはなく、正しく轆轤首を見けるも、いと奇怪の事なりける。余、この事を後《のち》につくづく考ふるに、妖怪にてはなく、病《やまひ》の然《しか》らしむる事なるべし。痰多き人は、陽気頭上にこずみ[やぶちゃん注:一つ所に凝り固まって。]、その気、形を結んで首より上に出《いづ》るなるべし。その人の寝《いね》たるを見ば、正真《しやうしん》の首はその儘、身に付《つき》て有るべし。離魂病《りこんびやう》の類《たぐひ》なるべし。かの下女は鋲風の内に寝《いね》たる事なれば、首は身に付き居りしや無かりしや、見ざりしと妻女語りき。

[やぶちゃん注:「北窻瑣談」は「網に掛った銘刀」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆全集』第四巻(昭和二(一九二七)年国民図書刊)のこちらで当該箇所が視認出来る(右ページ四行目から)。

「離魂病」現在で言うドッペルゲンガー(Doppelgänger)を他者が見ること。]

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