譚海 卷之六 越後國くびきおちや蒲原郡等冬月風俗幷信州うすひ峠雪の事
[やぶちゃん注:これまでのフライング単発で、推定歴史的仮名遣の読みは勿論、句読点・記号変更・追加、段落成形を行ってきた関係上、以下でも、読者の読み易さを考え、「卷之六」以降、それをルーティンに正式に採用することとする。標題の「くびき」は本文に出る通り、旧「頸城」郡で、郡域は当該ウィキを見られたい。「おちや」はママ。現在の新潟県小地谷市(おぢやし:グーグル・マップ・データ。以下同じ)。「蒲原郡」は新潟の旧郡。郡域は当該ウィキを見られたい。「幷」は「ならびに」。]
○越後國、頸城(くびき)・おじや・蒲原郡(かんばらのこほり)の民家は、ゐろり、五間四方ほどづつ、有(あり)。
夫(それ)ヘ、大木を、丸のまゝ、伐(きり)て、薪(たきぎ)となし、用ゆ。
雪中などには、夜中も、はだかにて、其ゐろりの灰の中へ寢(ね)、ふし、する故、夜具の類(たぐひ)、一切、いらず、すはだかにて、寝るゆゑ、男女とも背の皮は、皆、灰黑也。
又、信州うすひ峠[やぶちゃん注:ママ。碓氷峠。]の邊にては、雪のふかく積(つもり)たるときは、山上より、雪、なだれ落(おつ)る、それを所の者は「ぞれ」といひて、はなはだ、恐(おそる)る事也。
雪の「ぞれ」、山上の石を包(つつん)で落(おつ)る故、人にあたるときは、打殺(うちころ)され死する也。牛馬も、是に當れば、死する事を、まぬかれず。
出羽の國にては、是を「なで」と云(いひ)、「ぞれ」は信州の方言也。
又、天氣よき日、雪後(せつご)に、坂本(さかもと)にとまりて、うすひ峠をこえん、とせしかば、宿の亭主、堅くとゞめて、
「いまだ、輕井澤より、今朝(けさ)、來(きた)る人、なし。かならず、とうげ、こえがたかるべし。晝まで待合(まちあひ)給ひて、こえ來る人あらば、行(ゆき)給ふべ。」
と、いひけれど、
「かほど、快晴なる天氣の、何とて、いかやうの事、ある。」
とて、しひて[やぶちゃん注:ママ。]、出立(しゆつたつ)しければ、
「さらば、先(まづ)、おはして御覽ずべし。乍ㇾ去(さりながら)、けふは、越給ふ事、難かるべし。」
と云(いふ)。
不審ながら、駕籠に乘(のり)て出(いで)けるに、峠ちかくなりて、風もなく、快晴なるに、四山(しざん)の雪を、吹(ふき)たてて、行人(ゆくひと)の眼口(めくち)に入(いり)、行先は、霧のたなびきたる如く、一向に前後を忘却して、一寸も、進みがたし。かごの者も、
「此吹雪(ふぶき)にては、峠にいたらば、死(しす)べし。」
とて、行(ゆか)ざれば、ぜひなく、もとのやどりに歸(かへり)たるに、亭主、
「さればこそ。」
とて、そこに一宿して、翌日、ゆるやかに立(たち)て、人の行來(ゆきき)あるに付(つい)て、峠を、こえける。
「かく、風もなく、快晴なるに、峠は、雪を吹立(ふきたつ)る事、暴風の如くなるは、更に心得がたき事なれども、是も、快晴の日は、地下の晴氣(せいき)、昇(のぼ)る故、其氣に吹(ふか)れて、雪を、ふき立(たて)、風の如く、かく、有(ある)事也。冬は、地中、暖氣せまれば、時々、如ㇾ此(かくのごとき)事、あるもの也。」
と、ところの人の、物がたりぬ、とぞ。
« 譚海 卷之六 肥前長崎渡海の事 附大坂川口出船つとに過たる事 | トップページ | ブログ2,090,000アクセス突破記念 「蘆江怪談集」始動 / 表紙・裏表紙・背・「妖怪七首 ――序にかへて――」・「お岩伊右衞門」 »