柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「盲人旅宿」
[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。
読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。
また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。
なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。]
盲人旅宿【もうじんりょしゅく】 〔翁草巻百二十五〕或人中国辺旅行のころ、何方にか止宿せしに、相宿に盲人余多《あまた》泊り居《ゐ》る。これはその辺《あたり》の習ひにて、富家《ふか》大家《たいか》等に吉凶有る時は、近郷の盲人ども申合せ、その家に行きてこれを賀し、或ひは弔ひて、それぞれに禄をもらひ帰る事なり。彼の旅人壁を隔て、その云へるを聞けば、若き盲人どもと見えて、いざや今宵は芝居して遊ばんと云ふ。各九諾してさて何をかせんと、取り取りに相談して『盛衰記』に究《きはま》る。而して役割をせり合ふ事喧《かまびす》し。或ひは[やぶちゃん注:ママ。]我梅ケ枝《うめがえ》にならん、渠《かれ》は源太などと役割をせり合ひ、やゝ定《さだま》りて、暮過ぐる頃より、始まれる音す。旅人興有る事と思ひ、さらば余所《よそ》ながら見物せんと、その家の庭伝ヘに、隣座敷指(さし)のぞきければ、一点の燈《ともしび》もなく、常闇《とこやみ》にて唯声するばかりなり。実《げ》にも盲人の芝居なればさも有りなん。実《まこと》に燭台行燈《あんどん》様《やう》のもの有りては、足場の邪魔になれば、闇の趣向もつともなりと独りごちて帰り臥しぬと、その人の語りし。
[やぶちゃん注:「翁草」「石臼の火」で既出既注。正字の当該部は国立国会図書館デジタルコレクションの「翁草」校訂十三(池辺義象校・明三九(一三〇六)年五車楼書店刊)のここで視認出来る。標題は『盲人旅宿』。
「盛衰記」ここは浄瑠璃「ひらかな盛衰記」のこと。文耕堂・三好松洛・浅田可啓・竹田小出雲(二代目竹田出雲)・千前軒(初代出雲)の合作。元文四(一七三九)年四月、大坂竹本座で初演された。外題の源義仲が滅亡する「粟津の戦い」から「一ノ谷合戦」までの間の「平家物語」・「源平盛衰記」の世界を、樋口兼光・梶原源太景季と、その関係者を登場人物にして描いたもの。ここに出る「梅ケ枝」は源太景季の愛人千鳥で、彼女は遊女となって、「梅が枝」を名乗っている。「神崎揚屋の段」では、源太の出陣費用三百両が必要になり、掛川の観音寺に伝わる無間の鐘の伝説を思い出し、手水鉢を鐘に見立てて打ち、「無間地獄に堕ちても金がほしい」と祈ると、小判が降ってくる。]
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