柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「山姥」
[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。
読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。
また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。
なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。
因みに、ブログ・カテゴリ「柴田宵曲」は1,000件に近づいてしまった。本ブログのカテゴリ内バック・ナンバーは1,000件までしか表示されないため、ブログ・カテゴリ「柴田宵曲Ⅱ」新規作成して、現在の柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」の作業を続ける。その第一投稿がこれとなる。私は「随筆辞典 奇談異聞篇」終了しても、後、少なくとも、柴田の俳諧関連随筆を電子化する予定であるからでもある。]
山姥【やまうば】 〔塩尻巻九十二〕癸卯秋の頃尾城北小木村(春日井郡)<現在の愛知県小牧市内か>の民《たみ》語りし。十八年前、処民《ところのたみ》の妻産して後《のち》心みだれ、迷ひ出《いで》て行方《ゆくへ》なくうせしか[やぶちゃん注:ママ。後掲活字本も同じだが、これは著者の「が」の誤記であろう。]、この秋家に帰る。そのさま裸にして草葉を腰にまとひ、髪赤くつくも[やぶちゃん注:「九十九髮」。老女の髪(通常は白髪を指す)。]の如く、眼《まなこ》大に身《み》骨立《ほねだ》ちてすさまじき姿なり。久しく家を離れしか[やぶちゃん注:ここもママ。或いは、著者は「が」の濁音がお嫌いなのかもしれない。]、さるにても恋しく帰り侍るよしといへど、夫も興さめ物おそろしく家にもあられず、逃げ出《いで》て友なる者の処へ行き、しかじかと語る。これを聞きて一村の者集り見る。とかく家には叶ふまじ、出でゆけといふに、女は打うらみ、我むかし家を出《いで》し後、夢のごとくうかれ、山に入りてけふまで有りし、つれなくいとへる[やぶちゃん注:「厭える」。]口惜《くちを》し、いかでかゝる所に有るべきとて、走り出《いだ》し路《みち》に猟師の居《をり》しが、そのさま異にしていぶせかりしかば、銕砲《てつぱう》を以て打殺すべしとて、煙薬《えんやく》[やぶちゃん注:「火藥」に同じ。]取出《とりいだ》すを、女《をんな》風のごとく馳せ来り、猟師が手をとらへ、我を殺すべきしたくこさんなれ[やぶちゃん注:ママ。やはり、著者は濁音が好きでないと断定する。]、我はこの里何某が妻なり、かゝる事にて出しが、家に帰りしをいぶかり追出せしとて始終を語り、たとひ銃火猛なりとも、豈我死すべきや、これを見よ、先に銃丸にあたりし跡なりとて、胸を開き見するに、黒点数多《あまた》あり。猟師云ふ、いづくに住み何をか食せる、多くの年月を過ぎしも疑はしといふに、女云ふ、我うかれ出し後は、うつゝなく山より山に入りしに、人心地付きて物ほしかりしかば、蟲をとらへ喰ひしが、事足らぬ様に覚えしかば、狐狸見るに随ひとらへ引さき食とせし、力つきて寒きとも物ほしきとも思はず、月日を山上谷下《やまうへたにした》に送ると云ふ。猟師さればこそ妖魅《えうみ》のおそろしき者なりとおもひしかば、急ぎ立去りかへり見れば、髪空たちてはしる事獣《けだもの》のごとく山に分け入りし。所にはそれが妻こそ山姥《やむば》になりしと雷同して語るといふ。嗚呼《ああ》さらぬだに罪深き女の生きながら毛ものの類《るゐ》となりしは、如何なる過去世の業報《がふほう》にやと、聞くさへ浅まし。
[やぶちゃん注:「塩尻」「鼬の火柱」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの「隨筆 塩尻」下巻(室松岩雄校・明治四〇(一九〇七)年帝國書院刊)のここ(左ページ上段最初から)で正字で視認出来る。
「山姥」私のものでは、「老媼茶話巻之五 山姥の髢(カモジ)」の私の注が、一番、宜しいと思う。他に『柳田國男「妖怪談義」(全)正規表現版 山姥奇聞』もあるのだが、これは、内容がフラットな解説ではなく、柳田特有の癖で、自分の好きなフィールドに引き込んで語っているために、どうも妙な違和感がある。「山姥」の総論的内容を期待すると、失望するので、ご注意あれかし。
「癸卯秋の頃」以上は、この原本の終りの方に出る。作者である江戸前期の尾張藩士で国学者であった天野信景は享保一八(一七三三)年没しており、そこに近い「癸卯(みづのとう/きぼう)は乾元二・嘉元元年(一三〇三年)である。
「尾城北小木村(春日井郡)」「現在の愛知県小牧市内か」
「十八年前」前注から、本怪奇談部分の時制は享保五(一七二〇)年となる。]
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