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2024/01/28

甲子夜話卷之八 15 養老瀧の景勝

[やぶちゃん注:これまでのフライング単発で、恣意的正字化変換や推定歴史的仮名遣の読みは勿論、句読点・記号変更・追加、段落成形を行ってきた関係上、以下でも、読者の読み易さを考え、「卷之七」の後半で既にその処理を始めているのだが、それをルーティンに正式に採用することとする。なお、カタカナの読みは、静山自身が振ったものである。

 本篇は前の「甲子夜話卷之八 13 養老酒の事」の関連続篇である。漢文部の訓点不全はママ。]

 

 前の「養老酒」の條に、その瀧のことを引(ひき)たるが、後(のち)に、親(したし)く彼(かの)處に往(ゆき)たる人に、其地のありさまを聞(きく)に、

「まづ、この瀧の處に到るには、兩山の間、左右、大石(だいせき)、群立(ぐんりつ)し、谿水(たにみづ)、曲流の道を、數町、入りて、飛泉の處なり。

 瀑水、絕壁を直下すること、十四丈[やぶちゃん注:四十二・四二メートル。]、幅は二間[やぶちゃん注:三・六四メートル。]ほども有(あら)ん。

 信(まこと)に素練(すねり)を曳(ひく)が如し。

 また、其降流の下、所謂、瀧つぼまで行(ゆき)て觀らるゝなり。

 濆沫(ふんまつ)、四方に散じて、霏雪(ひせつ)[やぶちゃん注:絶え間なく降る雪。]とひとしく、其聲、轟雷(がうらい)の如く、數町に聞ふ。」

と。

「又、其瀧の、四、五町、こなたの丘陵に、一社あり。

『天神を祀る。』

と云(いふ)。この社地の中に、泉あり。「菊水の井」と云(いふ)。然(しかれ)ども、人力にて穿(うがち)たる井(ゐ)にあらずして、天然の淸泉に、四邊に石をたゝみたるなり。方二間もあるべし。

『此泉、古(いにしへ)の「養老泉」なり。』

と云(いふ)と也。

 近年、建(たて)たる碑、其泉の傍(かたはら)に在り。

 土人も、かくすれば、「瀧」と「泉」と違(たが)へるにや。

 「續紀」の文に『美泉。』とありて、「飛泉」となければ、此泉なるも、知るべからず。然ども、『多度山(たどさん)の美泉を覽(みる)。』とあれば、山上より落(おつ)る水と聞(きこ)ゆ。かの社地の泉(いづみ)は、山上に非ざれば、又、不審なり。

 又、『就而飮-。』とあり、『令シテ美濃醴泉。』などあれば、かの「菊水の井」なるや。

 愚意には、「菊水の井」は「掬水」を訛(なま)り、「泉」の語を略して「井」とのみ言傳(いひつたへ)し歟。其碑文を左に錄す。これは「瀧」と「泉」と兩處を合せ言(いふ)とも覺ゆ。尙、人の考を挨(まつ)のみ。」

[やぶちゃん注:以下は、底本では、全体が一字下げ。]

  濃州養老泉碑銘   備藩侍讀近藤篤識

元正御極、王道平々、問疾苦、閔ㇾ物ㇾ天。當耆之郡、多度之山、天降嘉瑞、地出奇泉。淸潔可ㇾ食、養而不ㇾ窮。人受其福。王明之功、一飮一浴、不ㇾ老不ㇾ死。衰耄再、※癃可ㇾ起。有ㇾ本如ㇾ是。萬古混々、君子。鑑戒堪タリㇾ存ルニ。陵谷變遷。湮晦是懼。於ㇾ是ㇾ碑、以識ルス其所

 乾隆五十年歲乙巳正月吉旦 吳超程赤城書

[やぶちゃん字注:「※」=「疒」の中に「罷」。]

■やぶちゃんの呟き

 どこまでが、「親く彼處に往たる人」の言であるかが、判然としない。林述斎の引用などでは、その直接話法だけの場合も、ないことはないが、私は、静山の記述方法では、通常は、自身の感想や意見を添えるのが、普通であるので、私は、当初、「愚意」以下の漢文前の箇所のみを、静山の考えたこととしようとしたのだが、静山が自分の意見を「愚意」と謙遜表現したものを、今までは、一度も見たことがない。近藤篤(後注参照)の作った漢文の前に、それを挟むというのも、どうも受け難かった。従って、以上は、最後まで、この「親く彼處に往たる人」の見解とすべきであると断じた。

「こなたの丘陵に、一社あり」「天神を祀る」「と云」「菊水霊泉」の東直近にある養老神社(グーグル・マップ・データ。以下同じ)であろう。ここの祭神には菅原道真が含まれてある。この境内に、本来の「菊水泉」が別にある。

「濃州養老泉碑銘」を以下で訓読する(但し、静山の振った訓点には必ずしも捉われなかった)が、この「備藩侍讀近藤篤」とは、儒者で備前岡山藩の藩校教授を勤めた近藤西涯(せいがい 享保八(一七二三)年~文化四(一八〇七)年)の本名。河口静斎に朱子学を、文雄(もんのう)に音韻学を学び、詩もよくした。古学派が有力な同藩内で、果敢に朱子学を唱えた。享年八十五歳。著作に「韻鏡発蘊」・「西涯館詩集」などがある(講談社「デジタル版日本人名大辞典+Plus」に拠った)。本篇が書かれた文政五(一八二一)年は、亡くなって十四年が経っている。而して、この近藤が記した「養老の泉碑銘」は養老の霊泉のどこかに、まだ、残っているはずであると私は考えている(グーグル・マップのサイド・パネルで幾つかの場所を探してみたが、見当たらなかったのは残念である。ご存知の方はご一報あれ!)。何故なら、早稲田大学図書館「古典総合データベース」の、三浦千春著「美濃竒觀」の「下」巻のここに、『〇養老山碑七基あり』とあって、その『養老泉碑銘』の第一に、『備藩侍讀』『近藤篤 識』とあって、ここには、以上の碑文の全文が載るからである。さらに、「ヤフオク!」のここに、「中国古拓本 備藩侍讀近藤篤 呉超 程赤城 乾隆五十年 麋城 煙漁老屋」(中国古拓本はママ。お笑いである)として、この石碑を拓本したものが、売りに出されてあるからでもある。因みに、漢文の本文を読んで、「乾隆」云々とあるのを不審に思った方も多かろうが、そこには最後に、『乾隆五十年ハ我天明五年』(西暦一七八五年)『なり。程赤城ハ浙江の乍浦といふ所の人にてそのころ年々長崎へ耒』(きた)『る商沽』(商人)『なりきを西遊旅談に見えたり』とあることで、氷解する。恐らく、書道をよくした人物なのであろう。

   *

 「濃州養老の泉」碑銘   備藩の侍讀(じどく)近藤篤(とく)識(しき)す

元正の御極(おほんきわみ)、王道、平々、民の疾苦(しつく)を問ひ、物を閔(あはれ)み、天に則(のつと)る。當耆(たき)の郡(こほり)、多度の山、天(てん)、嘉瑞(かずい)を降らし、地、奇(くす)しき泉を出だす。淸潔にして、食(く)ふべく、養ひて、窮(きは)まらず。人、其の福を受く。王明(わうめい)の功、一飮一浴、老(お)いせず、死せず。衰耄(すいもう)、再び盛んに、※癃、起こすべし。本(もと)に有りて、是(かく)のごとし。萬古(ばんこ)混々(このこん)、君子は、是れ、取るなり。鑑戒(かんかい)、存(ぞん)ずるに堪(た)へたり。陵谷(りやうこく)は變遷す。湮晦(いんくわい)、是れ、懼(おそ)る。是れに於いて、碑を建て、以つて、其の所を識(し)るす。

 乾隆五十年の歲(とし)の次り[やぶちゃん注:静山の送りがなに従うが、読みも意味不明。]乙巳(いつし/きのとみ)正月の吉旦 吳超の程赤城(ていせきじやう)書(しよ)す

   *

・「元正」元正(げんしょう)天皇(在位:霊亀元(七一五)年~養老八(七二四)年)。女帝。

・「當耆の郡」養老郡養老町が含まれた旧多芸郡(たぎぐん)の上古の呼称。

・「※癃」(「※」=「疒」の中に「罷」)で、所持する「廣漢和辭典」にも載らず、読みどころか、意味も判らない。但し、「癃」は「背中が盛り上がって曲がる病」の意ではあるから、二字で老人性の骨壊死や骨変形症の類いであろう。読みは一応、「ひりゆう(ひりゅう)」としておく。

・「鑑戒」「戒めとすべき手本。

・「混々」尽きることがなくして。

・「湮晦」「堙晦」とも書く。「湮」は「隠れる」、「晦」は「暗い」の意で、「うずもれ、隠れること・姿や才能をくらますこと」の意。ここは「死」の意か。

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