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2024/01/31

「蘆江怪談集」 「怪談靑眉毛」

[やぶちゃん注:本書書誌・底本・凡例は初回を参照されたい。本篇の底本本文の開始位置はここ。]

 

 

     

 

 

         

 

 宮部(みやべ)三十郞(らう)は筆を下に置いて詠草(えいさう)を手にとつた。

「泣顏を隱(かく)せば行燈(あんどん)搔(か)き立てゝ――大分艶(えん)な場面になつたの」

「左樣、お手前には得意(とくい)の擅場(だんぢやう)ぢや、さあ、充分(じうぶん)色(いろ)つぽいワキをつけてもらひたいな」とうしろに手を突いて身體を反(そ)らしたのは高坂杢之)進(たかさかもくのしん)、柱にもたれてニコニコとしてゐるのが神村甚(かみむらじん八。

 何れも旗本(はたもと)の御次男(ごじなん)。

「よし、かういふ風に付けよう、――障子(しやうじ)にうつす影(かげ)の怖(こは)さよ――どうぢや」

「いや。少し怪談(くわいだん)じみて來たの」

「なるほどなるほど、泣顏(なきがほ)を隱せば行燈(あんどん)かき立てゝ、障子にうつす影(かげ)の怖(こは)さよ、か、よしよし、さて次は私の番(ばん)か」と高坂杢之進が頭を兩手に抱(かか)へ込(こ)んだ。

 其時、突然(とつぜん)、神村甚八が一膝乘(ひざの)り出して、

「怪談(くわいだん)で思ひ出したが、近々(きんきん)に百物語をやつて見ようではないか」と云(い)つた。

「百物語、うむ、それは面白(おもしろ)い、早速(さつそく)囘狀(くわいじやう)を𢌞すとしよう、何か趣向(しゆかう)をするかな」

「趣向は要(い)るまい、いつもの通りの百物語ぢや、只(たゞ)幽靈(いうれい)の掛地(かけぢ)ぐらゐは二三本あつてもよいの」[やぶちゃん注:「掛地」掛物。掛け軸。]

「幽靈の掛地なら臼井氏(うしゐし)の筆で描(か)いてもらつたらそれで濟(す)むわ」

「なるほど、臼井氏なら凄(すご)い繪(ゑ)を畫(か)いてくれるであらう」

 臼井といふのは國友(くにとも)と號して浮世繪(うきよゑ)のたしなみを持つ同じ旗本の次男仲間(じなんなかま)である。

「場所は何處(どこ)がよからうの」

「拙者(せつしや)の邸でもよいが、それでは女どもが集(あつ)めにくい、百物語ならば女が多勢(おほぜい)ゐなければどうも凄味(すごみ)が付かぬものぢや、水神(すゐじん)へ持ち出すとしようか」[やぶちゃん注:「水神(すゐじん)」「水」の音「スイ」は明治・大正・昭和初期頃までは、歴史的仮名遣を「すゐ」とするのが一般的であったが、その後、中国音韻の研究が進み、現在は「すい」でよいことが決定されている。なお、この「水神」は意味不詳。或いは、現在やや移動している隅田川神社(グーグル・マップ・データ)の鎮守の森を「水神の森」と呼んだから、この周辺にあったかも知れない茶屋等を指すか。識者の御教授を乞う。]

「なるほどそして堀(ほり)の連中を呼(よ)び上(あ)げるかな」[やぶちゃん注:「堀」吉原遊廓は新旧ともに堀で囲まれていた。]

 いつか百物語の催(もよ)ほしの下相談に移(うつ)つて、折角卷かけた歌仙(かせん)はもう藏(しま)ひ込(こ)まれて了つた。

 百物語の場所や日取、呼(よ)び集(あつ)める友だちの顏(かほ)ぶれなど、それぞれ申合せが濟(す)んだ時は、もう亥(ゐ)の上刻[やぶちゃん注:現在の午後九時から午後九時四十分比までを指す。]といふ刻限(こくげん)。

「さあこれで又一つ新規(しんき)な樂(たの)しみが出來たといふものだが、そのお庇(かげ)で折角(せつかく)卷(ま)きかけた歌仙は中止になつたの」

「なに歌仙(かせん)はこの儘(まゝ)にして置けば、いつでも卷(ま)けるわ、兎に角あらまし申合せも濟(す)んだから今夜は散會(さんくわい)としようではないか」

「なるほど、もうかれこれ四つ[やぶちゃん注:午後十時。]ぢや」と神村(かみむら)が先に腰(こし)を上げる、高坂も立上ると、阿部(あべ)[やぶちゃん注:ママ。「宮部」の誤記か誤植。]はまだ引止めたい顏(かほ)つきで、

「では拙者(せつしや)も風に吹かれがてら、其處までお見送(みおく)りをいたさうかな」小刀(せうたう)を一本さした儘(まゝ)でぶらりと靑葉(あをば)の月の下に立つた。

 宮部の邸は濱町河岸(はまちやうがし)、三人はその河岸通りを懷手(ふところで)で、尙(なほ)仕殘(しのこ)した話を續けながら兩國廣小路(りやうごくひろこうじ[やぶちゃん注:ママ。])へ出ようとする。

 兩國廣小路の見世物小屋(みせものごや)も、もうそろそろ人の散(ち)り際(ぎは)と見えて、點(とも)しつられた燈(あかり)が、齒(は)のぬけたやうに洩(も)りかけてゐる、その廣小路へかゝる一寸手前の橫町兩側は、町家の隱居所(いんきよじよ)や妾宅(せふたく)の立ちならんだ仕舞屋(しもたや)ぞろひの中に、只(たゞ)一軒二間間口[やぶちゃん注:「にけんまぐち」。約三・六四メートル。]の見世屋がある、元來(ぐわんらい)小(こ)ざつぱりとした荒物屋だが、とりわけ物淋(ものさび)しい橫町に只一軒の見世屋である爲めに一層(そう)際立(きはだ)つて見える。

 宮部三十郞は其處まで來ると、心圖(ふと)立止(たちど)まつて「御兩君(ごりやうくん)」と小聲で呼びかけた。

「あの荒物屋(あらものや)の見世先に坐(すは)つてゐる女を、何と見られる」

「なるほど、これは素晴(すばら)しい美人ぢや」

「美人(びじん)といふだけか」

「大分(だいぶ)凄味(すごみ)があるの、併しあの位のは一寸(ちよつと)稀(まれ)ぢや」

「少しつんと仕過(しす)ぎて居るの」

「それぢや、そのつんとしてゐるのが、何(なん)となく私に目ざはりで堪(たま)らない、私はあゝいふ女こそ間男(まをこと)をする女ぢやと思つて居る」

「間男をしさうな女といふのか、うむ、これはよい目(め)のつけどころぢや、私もさう思(おも)ふ」

「あれでもう娘(むすめ)ではないのか」

「なにあの家の女房(にようぼ)ぢや、邸(やしき)の仲間が何處かで聞いて來た話には、何でもあの店(みせ)の主人といふのは大工で、店は家内が手内職(てないしよく)に出してゐるのださうな、可愛い獨(ひと)り息子(むすこ)に日本一の美人を嫁(よめ)にしてやりたいといふのが日頃の望(のぞ)み、その日本一の美人といふ鑑定(めがね)に叶(かな)つて、つい一月ほど前に嫁入つて參(まゐ)つたのがあの女ぢや。あの女の親は辻駕籠(つぢかご[やぶちゃん注:ママ。])をかついでゐるさうぢやが、嫁(よめ)にとつて以來あの家の兩親(りやうしん)はそれが大自慢(おほじまん)であの通り、晝となく夜となく見世先(みせさき)へさらしづめにしてゐるのぢや」

「荒物屋繁昌(あらものやはんじやう)の爲めの看板女房ぢやな」

「いやさうとばかりは限(かぎ)らない、只自慢に見せびらかしてゐるといふ次第(しだい)さ、あの女の顏を始(はじ)めて見た時に、拙者(せつしや)は何といふ理由(りいう)なしに、間男をしさうな女ぢやと思つた、それ以來(いらい)この橫町を通(とほ)るのがいやでいやでたまらない、いやでたまらない癖(くせ)に、あの女の事が氣(き)になつて、ついつい、かうして此の橫町(よこちやう)を通つてはあの見世を覗(のぞ)き込(こ)む癖がついて了うた、これはどうした譯(わけ)か拙者自身(せつしやじしん)にも解(げ)せないで困つてゐるのぢや」

「貴公(きこう)、あの女に惚(ほ)れたのであらう」

「いや、其樣(そんあ)な事は神以(かみもつ)てない、只(たゞ)憎々(にくにく)しくてたまらないのぢや」

「はゝゝ、人の疝氣(せんき)を頭痛に病(や)むといふ事もあるが、餘りといへば筋(すぢ)ちがひの毛嫌(けぎら)ひぢや」[やぶちゃん注:「他人の疝氣を頭痛に病む」自分に何の関係もないことに、余計な心配をすること]の喩え。但し、諸辞書の使用例を見ると、昭和以降の事例のみなので、江戸時代のシークエンスで使用するのは違和感がある。]

「うむ、さう云はれても仕方がない、若(も)しあれが私の妹(いもうと)か何ぞであつたら、疾(とう)の昔に切り捨てゝ了つてゐるかも知(し)れぬ」

 宮部はかう云つてゐる間も氣をいらくさしてゐた、あとの二人は格別(かくべつ)氣(き)にも止(と)めず、

「兎(と)に角(かく)、美人は美人だが、たしかに愛嬌(あいけう)は乏(とぼ)しいの」と一口に云ひ切つて「では臼井氏の方は拙者手近で賴(たの)んで置く事にするが、水神(すゐじん)へはお手前から附込(つけこ)んで置いてもらひたい」

 「宜しい、承知した」と云つて、宮部は高坂、神村と別れて引返した。

 

         

 

 それから三日目の夜(よる)、宮部は仲間(ちうげん)の宅助(たくすけ)を連れて外出のかへりがけ例(れい)の橫町へさしかゝると、宅助が、

「若旦那樣、昨日か今日の中(うち)に、例のお玉(たま)の顏を御覽(ごらん)になりましたか」と聞く、

「そこの荒物屋の若女房(わかにようぼ)の顏が、どうかしたといふのか」

「ヘイ、ぢやまだ御覽になりませぬな、すつかり元服(げんぷく)をしましてな、水々と靑岱(まゆ)を引いて素晴(すばら)しい女房ぶりを造(つく)つて、相變(あひかは)らず見世先に坐(すは)つて居ります」

「あの女が元服をした、一層(そう)憎(にく)らしい顏であらう」

「いやどうも、世の中に美人は俺(お)れ一人といふ風な素振(そぶり)で、そつくりかへつて居ります」

 二人がこんな話をしてゐる間(うち)に、二人の身體(からだ)はこの荒物屋の前(まへ)へさしかゝつた。

 なるほど其のお玉(たま)は水々した靑眉毛(あをまゆげ)の元服姿で見世先に坐つてゐた。

「若旦那、憎(にく)らしい姿ぢやありませんか」

「うむ、いよいよ間男(まをとこ)をしさうな女ぢやの」

「何(なん)とかからかつてやりませうか」

「どうして、からかはうといふのぢや」

「何か買物(かひもの)をしながら、話しかけます」

「止(よ)せ止せ、碌(ろく)でもない事を」と云ひ捨てにして宮部は足(あし)を早(はや)めた。

「あの女め、若旦那(わかだんな)のお顏を見おぼえて了(しま)ひましたぜ、今お通りがかりに、會釋(ゑしやく)をして居りました」

「なに、會釋(ゑしやく)なぞするものか、其方(そのはう)の思ひなしでさう見えたのぢや」

「いゝえ、たしかに笑顏(えがほ[やぶちゃん注:ママ。])を造りました」

「どうでもよい、捨(す)て置(お)け捨て置け」

 宮部はいらいらしながら步(ある)いた。

 更(さら)に三四日經(た)つた雨の夜、仲間の宅助が、

「若旦那樣、臼井樣(うすゐさま)からお使(つか)ひでございます」と閾越(しきゐご)しに云ひ入れた。

「使ひの用(よう)は」

「ハイ、こゝにお手紙と、包(つゝ)みものが屆(とゞ)いて居ります。只若旦那樣へさし上(あ)げればよいと申(まを)しまして、使(つかひ)は直ぐに立ちかへりました」

「うむ、百物語に用ふる幽靈(いうれい)の繪(ゑ)であらう、包(つゝ)みの封(ふう)を切つて見やれ」と云ひながら宮部は手紙を讀(よ)みはじめた。

 宅助の手で解(と)かれた包みは假卷(かりまき)に仕立てた掛地(かけぢ)が一本。

「若旦那の仰(おつ)しやる通りでございます、掛けて見ませうか」と、獨(ひと)り合點(がてん)で長押(なげし)に火箸(ひばし)を挾(はさ)んで假卷を開(ひら)いた。

「やあ、これは物凄(ものすご)い」と宅助は身慄(みぶる)ひをして廊下(らうか)へ飛び退つた[やぶちゃん注:「しざつた」。]。

「うむ、國友としては天晴(あつぱ)れ上出來ぢや、今にも鬼火(おにび)が燃(も)え出しさうな幽靈ぢや」と云ひ云ひぢつと見る中に、宮部の目は掛地に吸(す)ひよせられるやうに、据(すわ)つて了(しま)つた。

「臼井樣の若旦那樣(わかだんなさま)がお描(か)きなされたのでござりますか」

「うむ」

「どうも凄(すご)いものでござりまするな」

「うむ」

「これは何にお使(つか)ひなさるのでござりまする、幽靈(いうれい)の繪など、迚(とて)もお邸の床(とこ)にお用ゐになるのはあんまり緣起(えんぎ)のよいものとは思はれませぬが」宮部はもう默(だま)つて了つて、只一心に繪(ゑ)に見入つてゐる。

「若旦那樣(わかだんなさま)、どうかなされましたか」

 宅助は怖氣立(おぢけた)ちながら、宮部(みやべ)の顏色を見い見い、怖(おそ)る怖る尋ねた。

「宅助、妙(めう)な事があるものぢやの」

「ヘイ」

「私は二三日前の晚(ばん)、不思議な夢(ゆめ)を見た」

「ヘイ」

「その夢の話を其方(そち)に話さう、馬鹿(ばか)げた事などと思はずに聞(き)いてくれ、その夢といふのはかうぢや、人通りの尠(すくな)い邸町(やしきまち)の眞晝間であつた、日かげ一つなくカラカラに照(て)りつけてゐる土塀(どべい)のかげに蠟細工(らふざいく)のやうな海棠(かいどう)の花が咲(さ)いてゐるところを、私は猩々(しやうじやう)のくせ舞(まひ)を謠(うた)ひながら通つてゐた、何處の町かは知らない、すると行く手に何やら、長々(ながなが)と橫(よこた)はつてゐるものがある、私は不審(ふしん)に思ひながら、ずつと側(そば)へ寄(よ)ると、それが若い女が一人、往來(わうらい)の眞中に寢(ね)そべつてゐるのぢや、はてこのやうなところで、酒(さけ)に醉(よ)つたのか、それとも病氣かと、引起してやる氣で女の寢姿(ねすがた)の前に立ちかゝつたが、はツと思つた、女は眞白(まつしろ)な右の肌(はだ)を惜(を)しげもなく帶際(おびぎは)かけて肌(はだ)ぬぎのやうになつてゐる、其の右の乳(ちゝ)の下あたりにづぶりと出刄庖丁(でばぼうちやう[やぶちゃん注:ママ。])が突きさしてあるのぢや」

「ヘイ、殺(ころ)されたのでございますか」

「さうぢや、それにしても誰(だ)れ一人氣が付かぬとは不思議(ふしぎ)な事ぢや」とこのやうな事を思(おも)ひながら私は屍骸(しがい)の顏を覗き込むと、さあ誰れやらに似(に)てゐると思つたが、どうしても思ひ出せない、ぬけるほど色の白い靑眉毛(あをまゆげ)の美人であるが、只一突に急所(きふしよ)を刳(えぐ)られて居るので、もう手當(てあて)の仕樣もない、切(せ)めては屍骸を片付(かたづけ)けてやらうかとしたが、それとても何處へ片付けてよいか判(わか)らず、つまらぬ掛り合ひになつて暇(ひま)をつぶされるのも馬鹿々々しいからと、見すごした儘(まゝ)通(とほ)り過(す)ぎた、これで夢(ゆめ)はさめた。

 醒(さ)めての後にも、ハテ妙(めう)な夢を見るものぢや、それにしても、あの女の顏(かほ)は誰れやらに似たと三日以來心にかゝるがどうしても思(おも)ひ出(だ)さぬ」

「ヘイ、それでどうなされました」

「其處で此(この)幽靈(いうれい)の顏ぢや、これが不思議にもあの夢の中の女の顏と生(い)き寫(うつ)しぢや、どう思ひ直しても同(おな)じ顏ぢや、これはどうしたわけであらう」

「ヘイ、まア一口にまぐれ當(あた)りといふのでございませうか、併(しか)し不思議(ふしぎ)な事でござりますねえ、さう仰(おつ)しやれば、若旦那樣まだ不思議な事(こと)がございます」

「不思議(ふしぎ)とは」

「今若旦那樣のお言葉(ことば)では、夢の中の女は、右の乳(ちゝ)の下を出刄で刳(えぐ)られてゐたと仰(おつ)しやいましたね」

「さうぢや」

「これを御覽(ごらん)なされませ、この繪(ゑ)の女も右の乳の下に血(ち)がにじんで居ります」

「うむ、なるほど、同じ場所(ばしよ)ぢやの、益々(ますます)不思議ぢや」

「若旦那樣、私はもう一つ不思議に思ふ事(こと)がございます」

「まだ不思議(ふしぎ)があるといふのか」

「ヘイ、若旦那樣はその夢の中の女に、見おぼえがあるが、何處(どこ)の誰(だ)れであつたか思ひ出せぬと仰しやいましたが、私はこの繪の女をあの荒物屋(あらものや)のお玉に似(に)てゐると思ひましたが、如何でございませう」

「此(こ)の繪(ゑ)がお玉(たま)に、なるほど、さういへば私も心付(こゝろづ)かなんだが、私の夢の中の女もお玉の顏に似て居(を)つたのぢや」

「臼井の若旦那樣があのお玉の似顏(にがほ)をお描(か)きなされたのでござりませうか」

「いや其樣事(そんなこと)はない、神村と高坂はあの女を見たが、臼井(うすゐ)には噂(うはさ)もした事がない、よしんばあの臼井がわざわざあの女の似顏にして此(こ)の繪を描(か)いたにしたところが、私の夢(ゆめ)にまで見させる事は出來(でき)まい」

「ヘイ、それは仰(おつ)しやる通りでございます、何にしても、かう物事がバタバタと打突(ぶつか)ると空恐(そらおそ)ろしいやうな氣(き)がいたしまするな」

「あの女に何か、間違(まちが)ひでもある知(し)らせではあるまいか」

「まさか、そんな事(こと)もございますまい」

「何にもせよ、私は氣もちが惡(わる)くなつて參つた、この繪を早う片付けてくれ」と宮部(みやべ)は目をふさいで立上(たちあが)つた。

 

          

 

 宮部は立上つてから緣先(えんさき)へ出た、沈丁(ちんいやう)の花の香が何處ともなく匂(にほ)ふ、其花の香を懷(なつ)かしんで、宮部は庭(には)へ下りた、もう雨は止(や)んでゐた。

「私は少し河岸通(かしどほ)りをぶらついて來るから、其間に座敷(ざしき)を片付けさしてくれ」と宅助(たくすけ)に云ひつけて、庭木戶(にはきと)を開けた。

「私、お伴(とも)いたしませうか」

「いやそれには及(およ)ばぬ」と云ひ捨てゝ外へ出たが、足はいつの間(ま)にか、例(れい)のお玉の見世(みせ)の橫丁へ出(で)た。

 見たくない見たくないと思(おも)ひながら、お玉の見世をちらと覗(のぞ)き込(こ)むと、丁度其時、仲間體(ちうげんてい)の男が見世先に腰(こし)をかけて、頻(しき)りに話し込んでゐる。

 お玉(たま)はいつもの通(とほ)り、つんと胸を反(そ)らして靑眉毛(あをまゆげ)をてらてらと光(ひか)らせながら、その仲間體の男に何かを手渡(てわた)した。

「ハテ、あの仲間(ちうげん)は」と宮部が一寸(ちよつと)眉(まゆ)をくもらせると、仲間の方にもそれが感(かん)じたらしい、宮部の方を振返(ふりかへ)つた、そして大急(おほいそ)ぎで立ち上つて、つかつかと宮部の側(そば)ヘ寄(よ)ると、

「これはこれは宮部の若旦那樣でございましたか、只今(たゞいま)お邸(やしき)までお邪魔(じやま)いたしました」といふ。

「あゝ、其方(そち)は臼井氏の御家來か」

「左樣(さやう)でございます、市助(いちすけ)めでございます、旦那樣はどちらへおいでゝございます」

「うむ、何處(どこ)といつて當(あて)もなくぶらついてゐるのぢや、其方(そち)はあれから今まであの見世(みせ)にゐたのか」

「ヘイ、つい話(はな)し込(こ)みまして」

「其方(そち)、あの家と懇意(こんい)ぢやと見えるの」

「いえ、懇意(こんい)といふわけではございませぬが、一寸(ちよつと)」

 市助は宮部の顏を見ながら、あとは言葉(ことば)を濁(にご)らして了つた、そして急(きふ)に思ひ出したやうに、

「では宮部樣、御免下(ごめんくだ)さりませ」と云ひ捨てに、頭だけは丁寧(ていねい)に下げて急ぎ足で歸(かへ)つて去(い)つた。

 宮部の心持(こゝろもち)は何となく穩(おだ)やかでない、もう橫丁(よこちやう)を廣小路の方へ出ぬけて了ひさうになつてゐる市助のあとを自分も追(お)ひかけようとしたが、さうもならず、只(たゞ)ふらふらと步いた、が、步く足に力がぬけた、何ともつかず廣小路(ひろこうぢ)に出かけた、が、まだ此の町に殘(のこ)つてゐる宵(よひ)のざはめきを見るのもいやな氣(き)で、すぐにうしろへ引返(ひきかへ)した。

「かういふ晚(ばん)は早くかへつて寢(ね)るとしよう」と呟(つぶ)やきながら、又しても例(れい)の橫丁ヘ戾つた。

 荒物屋(あらものや)では珍らしく、お玉の亭主(ていしゆ)が見世先に出てゐる、もう見世をしめるのか、お玉の亭主はそはそはと見世先の取片付をして立働(たちはた)らいてゐる、奧(おく)の方ではお玉の姑(しうとめ)であらう、白髮交(しらがまじ)りの老女が次の間に床(とこ)を展(の)べてゐる、舅もその奧(おく)で何か立働いてゐる樣子(やうす)であつたが、お玉ばかりは往來へ出て物靜(ものしづ)かな外の樣子を眺(なが)めたり、こぼれかゝるやうな初夏(しよか)の夜の星(ほし)を數へてゞもゐるやうな風情(ふぜい)。

 宮部はとりわけて苦(くる)しい思ひがした、多寡(たくわ)が荒物屋の嫁風情(よめふぜい)で、舅姑(しうとしうとめ)に立働らかせ、亭主に見世の取片付(とりかたづけ)を打任せて何といふ寬怠(くわんたい)[やぶちゃん注:「なおざり」に同じ。]さであらうと、いらいらした氣持になる、見(み)るのもいやと思ひながら、宮部(みやべ)は女の顏を睨(にら)みつけるやうにして、こゝの前を通(とほ)り過(す)ぎやう[やぶちゃん注:ママ。]とした。

 其時、女の目は宮部とばつたり出逢(であ)つた、穴(あな)のあくほど睨(にら)みつけてやる氣でゐた宮部の目は、いつか橫(よこ)へ反(そ)れてゐた、而(しか)も女は宮部の思ひなしか、目許(めもと)に笑(え[やぶちゃん注:ママ。])みを含(ふく)んで宮部をぢつと見ながら會釋(ゑしやく)したかと思はれる、宮部はたまらなくなつて、急(いそ)ぎ足に我家(わがや)へ馳(は)せ戾(もど)つた。

「あの女め、若旦那(わかだんな)の顏を見おぼえて了ひましたぜ」と宅助(たくすけ)が云つたが、今の樣子(やうす)ではさうらしくもある。

 あんな女に見おぼられたかと思ふと、腹立(はらだ)たしいほどの不愉快(ふゆくわい)さである。宮部は不機嫌(ふきげん)さうに我家に歸(かへ)つて、そこそこに床(とこ)へ入つた。

 憎(にく)らしい女め。

 癪(しやく)にさはる女め。

 薄暗い有明(ありあけ)の燈火(ともしび)を睨みつけながら、くりかへして思つた。

 が、不圖(ふと)氣(き)が付くと、俺(お)れは一體何の爲めにあの女の事がこれほど心(こゝろ)にかゝるのか、何の爲(た)めに腹立(はらだ)たしいのか、少しも判(わか)らない。

 判らない中(うち)から、今度は臼井の仲間市助を思ひ出した。

 市助(いちすけ)があの店へ可成(かな)り長い間、立よつてゐたのは、市助自身とあの女とが知合(しりあ)ひなのか、それとも只何かの買物(かひもの)だけに立よつたのか、とかういふ疑問(ぎもん)が起つて來る。

 途端(とたん)に、臼井の畫いた幽靈の繪(ゑ)がありありと有明行燈(ありあけあんどん)のかげに浮びよつて見えた[やぶちゃん注:「よつて」はママ。『ウェッジ文庫』版では、『上つて』で、本底本のそれは、誤植と断じてよいだろう。]。

 行燈には丁字(ちやうじ)が立つたか、パチパチと音がして、急に灯(あか)りが暗(くら)くなつた。[やぶちゃん注:「丁字(ちやうじ)が立つた」これは「丁子頭」(ちょうじがしら)が立つ]で「灯心の燃えさしの頭(かしら)に出来た塊り」を指す。形が丁子の果実に似ていることからの謂いである。なお、俗に「丁字頭を油の中に入れれば貨財を得る」と言い、「丁子が立つ」で、縁起担ぎの民俗があり、これは「茶柱が立つ」と同義である。]

 三十郞は半ば身體(からだ)を起して、行燈(あんどん)の灯をかき立てた。かき立てた機(はづ)みに今度は「泣(な)き顏(がほ)をかくさば行燈(あんどん)かき立てて、障子(しやうじ)にうつす影の怖さよ」といふ付句(つけく)が心の中に思ひ浮(うか)んで來た。

「臼井(うすゐ)とあの女とが知合であるのかも知(し)れない」

 不圖(ふと)かういふ心持が湧(わ)いて來た、その臼井の使で市助めもあの見世(みせ)へ立寄(たちよ)つたのだ、何か云ひさうにして、市助(いちすけ)が急ぎ足に慌(あはた)だしく驅(か)け去(さ)つたのもその爲めである。

「臼井とあの女が知合(しりあひ)であつたとすれば何であらう」

 今度はかう思ひ始(はじ)めた。

 が、考(かんがへ)へたところで、この解決(かいけつ)はいつまでもつきさうに思はれない。

「我れながら馬鹿(ばか)げた事だ、用もない事に心を惱(なや)ますには及ぶまい」と口の中で云つて苦笑(にがわら)ひをしながら寢(ね)ようとした、が目はいよいよ冴(さ)えるばかりである。

 

         

 

 翌日(よくじつ)になると又宅助が變(かは)つた報告を齎(もた)らした。

「若旦那樣、あの女はつい先頃(さきごろ)まで深川にゐた女ださうでございます」

「あの女とはお玉(たま)の事か」

「ヘイ、深川の梅本(うめもと)で一寸の間娘分(むすめぶん)になつてゐたのだと申しました」[やぶちゃん注:「梅本」深川に実在した料理茶屋。遊女や芸者を呼んで遊興の出来る揚茶屋を兼ねていた。]

「誰(だ)れがそのやうな事を申(まを)した」

「ヘイ、私どもの仲間(なかま)のものがさういふ噂(うはさ)をして居りましたが」[やぶちゃん注:「仲間(なかま)」のルビは絶妙。蘆江は、ここまで「中間(ちゆうげん)」を「仲間」と表記してきたから、意訳ルビとして多重して表現しているのである。]

「なるほどさう申せば、さういふ種類(しゆるゐ)の女にも見える。が、それにしては餘(あま)りに愛嬌(あいけう)がなさすぎるではないか」

「それでございます、その愛嬌(あいけう)がなさすぎる爲めに深川のつとめが勤(つと)まらず、あんな叩(たゝ)き大工風情(だいくふぜい)の女房(にようぼ)になつたのださうでございます、それにあの大工とあの女とは從兄妹同士(いとこどうし)で幼(をさな)い時からの許嫁ださうでございます」

「さうすると縹緻望(きりやうのぞ)みで探しあてた辻駕籠(つじかご)かきの娘といふのは噓(うそ)か」[やぶちゃん注:「縹緻」 顔だち・みめ・容姿。 「器量」の当て字。]

「若旦那樣(わかだんなさま)、よくおぼえておいでゞざいますな」

「はゝゝ、その位の事忘(わす)れはせぬわ」

「ヘイヘイ、その辻駕籠かきの娘といふのに間違(まちがひ)はありません。それから縹緻望(きりやうのぞ)みといふのにも噓はありません」

「でも從兄妹(いとこ)で許嫁(いひなづけ)ぢやと申すではないか」

「ヘイ、それがそのやうでございます、幼(をさな)い時(とき)からの許嫁ではございますが、女の方が男を嫌(きら)つていよいよ夫婦(ふうふ)にされやうといふ時、女は家出(いへで)をしたのださうでございます、家出をすると間もなく惡者(わるもの)に引かゝつて深川(ふかがは)へ賣られたのでございます、ところがあの通り何となく氣位(きぐらゐ)が高くて愛嬌(あいけう)がありませんので、梅本でも困つてゐましたさうで」

「その中(うち)に大工の方が手をまはして、その女を引取(ひきと)つたと申すのか」

「ヘイ、何(なに)しろ大工の家はあゝ見えてゐましても一寸(ちよつと)小金(こがね)を持つて居るさうで、それにあの伜(せがれ)がどうせ持つ女房(にようぼ)ならあの位の縹緻(きりやう)の女を女房にしたいと云ひくらして居りますので、早速(さつそく)手をまはして引取(ひきと)つたのでございます、まァ嫌(きら)はれて、許嫁(いひなづけ)を金で買(か)ひ戾(もど)したやうなものでございますな」

「それであの女め、あの通(とほ)りに我儘(わがまゝ)をしてゐるのぢやな」

「ヘイ、隨分(ずゐぶん)我儘(わがまゝ)をして居る樣子でございます」

「一體(たい)誰(だ)れにそのやうな話を聞いてまゐつた」

「え、なに、私たちの仲間(なかま)でよくお饒舌(しやべり)をいたしますので」

「さうか、臼井の宅(たく)の市助に聞いたのであらうな」

「ヘイ」

「さうであらう、どうぢや當(あた)つたか」

「ヘイ、若旦那樣、どうしてそれを御存(ごぞん)じでございます」

「なに、大抵(たいてい)は判(わか)つて居る、それにあの市助が、今なほ時々お玉(たま)の家へ立ちよることも知つて居る」

「へえ、それはどうも大した早耳(はやみみ)でございます、それほど御存(ごぞん)じなら、あの女のところへ臼井の若旦那樣がしげしげお通(かよ)ひになつた事も御存(ごぞん)じでございますな」

「うむ、其の事についてはあまり深(ふか)くは知らぬ、何しろ臼井が極(きは)めて内々にして居るでの」

「何でも臼井樣(うすゐさま)はあの女がつき出しの始めからお客(きやく)だつたさうにございます、それからずつと、大方每日よしんば間が離(はな)れたにしても三日目には必(かな)らずお通(かよ)ひになつたさうで、お互(たが)ひに大分深い馴染(なじみ)といふほど迄(まで)になつておいでださうでございます」

「臼井め、中々(なかなか)隅(すみ)に置けぬ奴(やつ)ぢや、我々をさし置いて拔驅(ぬけが)けの深川遊びをしてゐようとは思はなかつた」

「ヘイ、隨分(ずゐぶん)お堅(かた)い御樣子にお見受け申しますが、この道(みち)ばかりは別(べつ)でございます」

「なるほど、それであの幽靈(いうれい)の繪がお玉の似顏(にがほ)になつてゐる所謂(いはれ)も判(わか)つたわ」

「左樣(さやう)でござりまするな」

「あいつ、思(おも)ひ遂(と)げた女の事を忘(わす)れかねて、切(せ)めて繪筆に似顏などを描(か)いては思ひをまぎらしてゐるのであらう」

 宮部は目前の霞(かすみ)がすつかり晴(は)れたやうに思つた。

 

         

 

 臼井の描(か)いた幽靈の繪が水神(すゐじん)の離(はな)れの床にかゝつて蚊帳越(かやご)しに見える籠行燈(かごあんどん)の灯(あか)りが、幽靈の靑眉毛(あをまゆげ)をほんのりと見えさせる夜(よる)が來た。

 もう彼(か)れこれその夜も丑滿(うしみ)つに近からうと思ふ刻限(こくげん)である。

 寺島村の堤下(どてした)、見るかげもない茅屋(あばらや)から一人の侍(さむらひ)が四方を見まはしながら出て來た、そのうしろから女が一人追ひすがるやうにして寄(よ)り添(そ)つた。[やぶちゃん注:「寺島」「ひなたGPS」の戦前の地図を見られたい。「寺島町」が確認出来る。現在の東向島で、隅田川神社の南東二キロ圏内に当たる。]

「どうでもお戾(もど)りなさらねばなりませぬか」

「うむ、もう怪談(くわいだん)も盡(つ)きた頃であらう、私の姿(すがた)が見えぬと判つて、そろそろ皆が騷(さわ)ぎ出す時分ぢや」

「このあとはいつお目(め)にかゝれる折(をり)もありませぬのに」

「さあ、何(なん)にしても邸(やしき)の親どもがやかましすぎるので儘(まゝ)にならぬ身の上、今夜だけは百物語(ものがたり)にかこつけて曉方(あけがた)までのひまが出てゐるので、漸(やうや)く其方(そち)に逢(あ)へたが、――なに、又何とかして折を造らう、その時は又(また)市助(いちすけ)をやつてたよりをする事にしよう」

「其の折(をり)の參るのを待(ま)つて居ります」

 二人は堤(つゝみ)に上つた。

「父(ちゝ)によろしく申してくれ」

「ハイ、あのやうなむさくるしい住居(すまゐ[やぶちゃん注:ママ。この「居」は当て字で、正しくは「すまひ」と読む。])へお連(つ)れ申して申譯(まをしわけ)がございません」

「何(なん)の、そのやうな事を心にかけるには及(およ)ばぬ事ぢや、其方(そち)が親なら私の親も同然ぢや」

「あれ勿體(もつたい)ない事を仰(おつ)しやります」

「ではお玉、此の夜更(よふけ)にあまり遠とほ」くへ出ては物騷(ぶつさう)ぢや、早く戾つてくれ」

「ハイ」

「さ、戾(もど)れと申すに」

「ハイ、あの臼井樣(うすゐさま)、もう一度お顏(かほ)をお見せ下さりませ」

「はゝゝ、死(し)に別(わか)れでもするやうぢやの」と云ひながら、二人は星(ほし)あかりの下に向ひあつて立つた。さうして抱(だ)き交(かは)して名殘(なごり)を惜(を)しんだ。

「いつそ此儘(このまゝ)、どこぞへ連れて退(の)いて下さいませ」

「私(わし)も幾度そのやうな事を思つたか知れぬ。が、私の身(み)には、家庭(かてい)といふものがつきまとつて居る、其方には年老(としと)つた父親がある、二人の思ふ儘(まゝ)にはどうしてもならぬのぢや」

「なぜ深川(ふかがは)にあの儘(まゝ)殘(のこ)つてゐる氣にならなかつたものか。と、それが口惜(くや)しうございます」

「さ、さ、それを云はれると、五十兩(りやう)とまとまつた金の使へぬ此身の腑甲斐(ふがひ)なさがかへすがへすも口惜(くや)しい、もう何もいふな、一年先か三年先か又(また)今夜(こんや)のやうな逢瀨(あふせ)を造るのを待つてゐてくれ、私も其方の似顏(にがほ)を畫いて切(せ)めてもの心遣(こゝろや)りにして居よう」

「ハイ、どうぞお身體(からだ)をお大事に」

「さあ早く戾(もど)つてくれ」

「ハイ」

「さあ、だんだん夜(よ)が更(ふ)ける、私が水神(すゐじん)をぬけ出た事が目立つたらよい事はあるまい、さあ戾つてくれ」

「ハイ」

 二人は思ひ切つて左右(さいう)に別(わか)れた、互ひに見かへり勝(がち)に二足三足と步いたが、男は心を强(つよ)く持(も)つて急(いそ)ぎ足(あし)になつた。

 丁度(ちやうど)その時、堤(つゝみ)の奧(おく)から一人の武士が見えた、二人の姿を星(ほし)かげにすかして見つけられたやうに立止まつた、その立止まつた場所(ばしよ)は女の戾(もど)らうとする道である。

 出あひがしらに女(をんな)ははつとした。

 相手の顏を見る事も出來ず、女は輕(かる)く會釋(ゑしやく)をして薄氣味惡(うすきみわる)く堤を下へ、前の茅屋(あばらや)の小道へ下らうとした。

「お玉待て」と武士は尖(とが)り聲で呼(よ)んだ。

 女はぎよつとしたが、聞(きこ)えぬ振(ふり)でうしろを向かなかつた。

「待て待て、今の男は誰(だ)れぢや」と又(また)呼(よ)びかけた。

「誰(だ)れであらうとお咎(とが)めを受ける所謂(いはれ)はありませぬ」と女はきつぱり云つて、權高[やぶちゃん注:「けんだか」。]に相手を睨みつけた。

「不義(ふぎ)もの」

「大きにお世話(せわ)です」と女はもう振向きもしなかつた。武士は齒(は)をくひしばつてゐたが、右手は刀(かたな)の柄(つか)にかゝつた、そして一足踏込(ふみこ)むと拳下りに斬り下げた。[やぶちゃん注:「拳下り」は「こぶしさがり」と読み、長刀や槍など長い武器を持って構える際、その先端が、手元より上がるようにすることを言う。]

 女の身體(からだ)はぐつとも云はず、朽木(くちき)を倒すやうに摚(だう)となつた。

[やぶちゃん注:「摚(だう)」歴史的仮名遣は「どう」で「どうど」が古い表記で、後に「どうと」となった。これは歌舞伎脚本のト書の用語で、通常は「どうとなる」の形で用いる。倒れるさまを表わす語である。

 なお、次の一行空けは底本通りである。]

 

 翌日の夕刻(ゆふこく)、國友を名乘る臼井金三郞の手許(てもと)へ宮部の仲間宅助が文筥(ふみばこ)を持つて來た、臼井が開けて見ると、前書(まへがき)も何もなしに、手紙は可成(かなり)急(いそ)いだらしい手許(てもと)で書いてあつた。

[やぶちゃん注:以下は底本では全体が一字下げで記されてある。ブログ・ブラウザの不具合を考えて、一行字数を減じた。]

昨夜、寺島の堤下(どてした)、辻駕箭屋久兵衞方の前

で女を殺(ころ)したは拙者(せつしや)の仕業(し

わざ)に候。寺島の堤下まで拙者を導(みちび)き候

ものは貴殿(きでん)御揮毫(ごきごう)の幽靈の一

幅に候。かねて拙者あの女ほど憎(にく)い奴(や

つ)は世の中に又とあるまじく覺えて、高坂神村の兩

氏(りやうし)へも此事相洩(あひも)らし候事有之

候折から貴殿の幽靈の一幅、異樣(いやう)に心にか

ゝり、昨夜も屢々(しばしば)あの幅の前へ端坐(た

んざ)して、睨みつけ申候。其中(そのうち)彼(か)

の幽靈の繪(ゑ)ありありと拔(ぬ)け出(い)で候

まゝ、あとをつけ申しつゝ寺島村まで參り候。其折

(そのをり)あの女は一人の男と別れを惜(を)しみ

つゝ立(た)ち盡(つく)し居り候。其樣子を見るま

ゝに、只々(たゞたゞ)腹立(はらだ)たしさ譯もな

しにムラムラと胸(むね)に迫(せま)り只一刀に斬

(き)り捨て申候。今にして思へば、憎し憎しと思ひ

候拙者の心は、却(かへ)つて激(はげ)しき戀慕

(れんぼ)の裏(うら)に候ひしものかと感じられ候、

あの折の拙者は、法界妬氣(ほふかいとき)のつきつ

めたる亂心(らんしん)にて有之候べく候、斯(か)

く心づき候につけ、只々(たゞたゞ)御貴殿(ごきでん)

に申譯なさに只今切腹致して相果申候、遺髮(ゐはつ)

一束(たば)後の證據(しようこ)に差出(さしだ)し

申候。

              以  上

とあつて髻(たぶさ)が封(ふう)じ込(こ)めてあつた、そして自分の名の上には亂心者(らんしんもの)三十郞(らう)百拜(はい)とあり、宛名(あてな)には昨夜寺嶋村にて見しうしろ姿(すがた)の主(ぬし)へとあつた。

 臼井は只々(たゞたゞ)腕(うで)を拱(こまね)いて呆氣(あつけ)にとられてゐた。

[やぶちゃん注:「却(かへ)つて激(はげ)しき戀慕(れんぼ)の裏(うら)に候ひしものかと感じられ候」の「裏(うら)に候ひしものか」の箇所は、底本では、「裏(うら)に候いしものか」となっている。誤記か誤植と断じて、特異的に訂しておいた。

「法界妬氣(ほふかいとき)」自分には関係がないものを羨望したり、妬んだりすること。

本来は、主に、他人の恋愛に対してのことを言う場合に使う。「法界」は「全ての世界・宇宙万物」の意で仏教語である。

 本篇はなかなか読ませる怪奇談というか、一種の強迫神経症的悲劇である。最後のカタストロフは、多くの読者は予想出来難い点で、最終章で、断然、意外性を打ち出した作品である。]

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