フライング単発 甲子夜話卷四十七 7 東本願寺狐誑
[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして、句読点の変更・追加と、読み・記号・改行・段落を加えた。]
47―7 東本願寺狐誑(こきやう)
去冬(さるふゆ)、京、東本願寺自火(じくわ)のこと、第四十二卷に出(いだ)せり。
この頃、京より、來(こ)し人の物語に、その火事前のことゝかや。
洛外に別莊の地を見立(みたて)て、門跡自身、見分として越(こ)しけるが、その地に、古き狐穴(きつねあな)、多く有りしを、
「彌(いよいよ)、別莊に經營せば、穴は、皆、埋(うづ)むべし。」
と決評(けつひやう)して、歸りし途中より、狐に誑(たぶらか)されて、一行の人數(にんず)、殘らず、恍惚とし、同じ路を、幾遍か、往來して、夜(よ)も、已に更け、遂に竹垣へ、駕籠の棒を突入(つきい)れて、後(あと)へも、先へも、行(いか)れず。
其時、門跡も、從者も、一同に、夢の醒(さむ)る如く、初(はじめ)て、狐に迷はされしことを悟り、やうやうに本願寺に歸りし、となん。
その後(のち)、幾程もなく、自火ありしかば、
「この火災も、狐の爲(な)したること。」
と云ふ取沙汰、京中、盛(さかん)なり、とぞ。
「昔より、德有る人の、狐に憑(つか)れしことは、無きことなり。かゝる事、ある僧、何の貴(たふと)きことや、有るべき。然(しかる)に、その宗旨を奉ずる輩(やから)、尙も、歸依するは、如何なる心にや。咲(わら)ふべし。」【林(りん)、話(はなし)。】
■やぶちゃんの呟き
「東本願寺自火」文政六(一八二三)年十一月十五日の火災。東本願寺は江戸時代に四度の火災に遭っており、その火災の多さから、「火出し本願寺」と揶揄されたが、東本願寺が火元となったのは、この一件だけである。
「第四十二卷に出せり」これは「20」の「一向宗に人心傾く事」を指す。そちらも、友人の林述斎の談話の形をとっている。この火事の際には、門徒衆の被差別民である穢多の人々が二百人余り集まって消火に当たったが、思うに任せず、猛火が襲い、その内の百人ほどは本堂とともに灰燼に帰したという記載が、目を惹くが、本話とは、直接の強い連関性を持たないので、そちらはフライング公開はしない。それにしても、林は、余程、浄土真宗、或いは東本願寺門跡がお嫌いならしい。ここまで言わんでも、という気もするがな。どうも、述斎は好きになれない。静山は、友人である彼を対等に捉え、批判はしないが、その引用には、ある種の、傍観的冷静の感があって、着かず離れず、好ましい。
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