譚海 卷之六 江戶深川土橋遊女詠歌の事
[やぶちゃん注:これまでのフライング単発で、推定歴史的仮名遣の読みは勿論、句読点・記号変更・追加、段落成形を行ってきた関係上、以下でも、読者の読み易さを考え、「卷之六」以降、それをルーティンに正式に採用することとする。]
○「隱遊女(かくれいうぢよ)」を召(めし)とられて、新吉原に下さるゝ事、昔は、生涯、奴(ど/つぶね)の事にてありしに、享保中、大岡越前守殿、町御奉行、勤(つとめ)給ひし時、奴に成(なり)たる遊女のよめる歌、
はてしなきうき世のはしにすみた川
ながれの末をいつまでか汲(くむ)
越前守殿、此歌に感ぜられて、夫(それ)より、「かくし遊女」、吉原へくだし置(おか)る事、三ケ年の年限に定(さだめ)られける、とぞ。
[やぶちゃん注:「享保中、大岡越前守殿、町御奉行、勤給ひし時」かの大岡忠相は、享保二年二月三日(一七一七年三月十五日)に普請奉行から江戸南町奉行に異動し、「越前守」を名乗って、元文元年八月十二日(一七三六年九月十六日)に南町奉行から寺社奉行に異動している。享保は享保二十一年四月二十八日(グレゴリオ暦一七三六年六月七日)に元文に改元しているから、その閉区間となる。]