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2024/01/21

フライング単発 甲子夜話卷十一 14 眞龍を見し事

[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして、句読点の変更・追加と、読み・記号・改行・段落を加えた。]

 

11―14 眞龍(しんりゆう)を見し事

 明和元年大火の後(のち)、堀和州の臣、川手九郞兵衞と云ふ人、その君(くん)の庫(くら)の燒殘(やけのこ)りしに、庇(ひさし)を掛けて、勤番ながら[やぶちゃん注:「~のようにして」の意。]、住居(すまふ)なり。

 その頃、大風雨せしこと有りしに、夜中、燈燭も吹消(ふきけ)したれば、

「燧箱(ひうちばこ)を、さがす。」

とて、戶外(こがい)を視れば、小挑燈(こぢやうちん)の如き火、二つ、雙(なら)んで、邸(やしき)北の方より來たり。

『この深夜、且(かつ)、風雨はげしきに、人來(きた)るべきやうも、なし。』

と、怪しく思ひながら、火を打ち居(をり)たるに、頓(やが)て、その前を、行過(ゆきすぐ)る時、見れば、火、一つなり。

 いよいよ、不審に思ふ内、そのあとに、松の大木を橫たへたる如きもの、地上、四尺餘(あまり)を行く。その大木と見ゆるものの中(うち)より、石火(せきくわ)の如き光、時々、發したり。

 その通行の際は、別(べつし)て、風雨、烈しくありき。

「かゝれば、先きに雙燈(さうとう)と見えしは、兩眼(りやうがん)、近くなれば、一方ばかり見ゆるより、一つとなり、大木は、その躬(み)にして龍ならん。」

と云(いひ)し、と。

 また、同じ時、下谷煉塀(ねりべい)小路の御徒押(おかちおさへ)[やぶちゃん注:将軍の御成りに徒歩で供奉し、行列を監督する職名。]林善太夫の子善十郞、年十六なるが、屋上に登り雨漏(あまもり)を防ぎゐたるに、これも、

「空中に、小挑燈の如き雙火の飛行(ひぎやう)するを見たる。」

となり。彼の龍の空中を行きしときならん。

 奧州莊内藩の某、語りしと聞く。その人、かの藩の城下に居(をり)しとき、迅雷烈風雨せしが、夏のことゆゑ、ほどなく晴れたり。このとき、家邊を往來するもの、何か噪(さわがし)く、言ふゆゑ、出(いで)て、空を仰ぎ見たれば、長(た)け二丈餘もあらん、虵形(じやけい)の頭(かしら)に、黑き髮、長く生下(おひさが)り、兩角(りやうづの)は見えざれど、繪に描(ゑが)く龍の如くなるが、蜿蜒(ゑんえん)す。視るもの、言ふには、

「今や地に落ち來たらん。さあらば、何ごとをか、引出(ひきいだ)さん。」

と、人々、懼れ合ひたり。

 この時、鳥海山の方(かた)より、一條(いちでふ)、薄黑き雲、あしはやく來りしが、かの空中に蜿蜒せるものの尾にとゞく、と等しく、一天、墨の如くなりて、大雨(だいう)、傾盆(けいぼん)す。

 暫(しばらく)して、また、晴(はれ)たり。

「そのときは、虵形も見えざりし。」

と云ふ。

 如ㇾ此(かくのごと)きもの、洋人の著書【書名「ヨンストンス」。】に見えし。

 また、仙波(せんば)喜多院の側(かたはら)に、小池、あり。一年(ひととせ)、旱(ひでり)して、雩(あまごひ)せしとき、其池中より、一條の水氣、起騰(おこりのぼ)りて、遂に、一天に覆ひ、大雨そゝぎ、大木三十六株、捲倒(まきたふ)せしことあり。

 所謂、「たつまき」ならん。其龍を、

「觀ん。」

とて、野村與兵衞と云ふ小普請衆、

「天をよく視居(みをり)たれど、たゞ、颱風(たいふう)、旋轉(せんてん)して、龍のかたちは、少しも見ず。」

と、予に語れり。

■やぶちゃんの呟き

「明和元年大火」不詳。明和元年には江戸に関しては「大火」はないと思う。或いは、これ、「明和九年」の誤記、或いは、判読の誤りかも知れない。「元」と「九」は崩し方が悪いと、判別がつかないことがあるからである。

「ヨンストンス」漢字表記では「勇斯東私」。ヨーン・ヨンストン(一六〇三年~一六七五年)。ポーランド生まれのスコットランド人(父の代にポーランドに移住)。ドイツでの教育を受けた後、スコットランドのセント・アンドリューズ大学で学士号・修士号を得(専攻は神学・スコラ哲学・ヘブライ学)、一時、ポーランドへ戻ったが、ケンブリッジ大学で植物学と医学を学び、フランクフルトやライデンでも研鑽を積んだ。一六三四年にライデン大学・ケンブリッジ大学から医学・哲学博士号を得た。ポーランドの大貴族レシチンスキ家に近侍し、同家の公子の海外遊学に同行し、帰国後はレシュノ(ドイツ名「リサ」)でレシチンスキ家に仕えた(ヨンストンの死後、同家のスタニスラウはスエーデン支配下のポーランド王となっている。ここまで「東京人形倶楽部 あかさたな漫筆」の藤倉玄晴氏の記載に拠る)。後に出る「禽獸蟲魚の譜」、“Historia naturalis animalium,1650-53”(「鳥獣虫魚図譜」「動物図説」などとも訳される。同書は将軍吉宗も所蔵していた)を始めとする図入り博物書を刊行したが、このオランダ語訳が江戸期の日本にも輸入され、本邦本草学の発展に寄与した(ここは主に荒俣宏「世界大博物図鑑」の人名索引解説に拠った)。

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