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2024/01/17

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「疫神同道」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 疫神同道【やくじんどうどう】 〔宮川舎漫筆巻三〕嘉永元申年の夏より秋に至り、疫病大いに流行なりし処、爰に不思議の一話あり。浅草辺の老女(名を失念)或時物貰ひ体《てい》の女と道連れになりし処、彼女いふ。私事三四日も給(たべ)申さず、甚だ飢におよび申候、何とも願ひ兼ね候へども、一飯御振舞の程願ふといふ。老女答へて、それは気の毒なれども、折悪しく持合せ無ㇾ之、しかし蕎麦位の貯へはあるべし、そばをふるまひ申すべしとて、蕎麦二椀たべさせける。彼女、大きに歓び、礼を述べ別れしが、亦々呼びかけ、さて何がな御礼致すべしとぞんじ候へども、差当り何も無ㇾ之、右御礼には我等身分御噺し申すべし、我等儀は疫神に候、若し疫病煩ひ候はゞ、早速鯲(どぜう)を食し給へ、速かに本復いたすべしと教へ別れけるよし。右は予<宮川政運>友松井子の噺なり。この趣と同断の事あり。予実父若かりし時、石原町に播磨屋惣七とて、津軽侯の人足の口入(くちいれ)なりしが、両国より帰りがけ、一人の男来り声をかけ、いづれの方へ参られ候やと問ふ。我等は石原の方へ帰るものなりといへば、左候はゞ何卒私義御同道下されかし、私義は犬を嫌ひ候ゆゑ、御召連れ下されといふ。それなれば我と一所に来れよと同道いたし、石原町入川の処にて右の男、さてさてありがたくぞんじ候、私義はこの御屋敷へ参り候、(向坂といへる御旗本にて千二百石、今は屋敷替に相成)さて申上候、私義は疫神に候、御礼には疫病神入り申さゞる致方を申上べく候、月々三日に小豆の粥を焚き候宅へは、私仲間一統這入り申さず候間、これを御礼に申上候といひて、形ちは消失(きえうせ)けるぞふしぎなれ、その日より向坂屋敷中疫病と相成候よし。予が実父へ播磨屋の直ばなしなり。右ゆゑ予が方にても、今に三日には小豆粥致し候。

[やぶちゃん注:前回分の私の注で電子化済み。]

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