柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「游魂」
[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。
読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。
また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。
なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。]
游魂【ゆうこん】 〔海西漫録三〕予<鶴峯戊申>住吉にもしばらく住みし事あり。そのほど鄰家なる或人の妻の、予が後妻に語れる事あり。それは後妻かの人にあひて、しばらく見え給はざりしが、いかゞおはしましつるといへば、かの人、わらはは昨々日《をとつひ》の朝より大坂へまかり侍り、さきほど帰り侍りしなり、大坂の妹なる人、久しく煩ひて侍りつるに、つひに烟となり侍りつるなり、さても不思議なる事こそ候へ、十年ばかりもさきの事にや、妹の秘蔵したる簪《かんざし》の失せ侍りつれば、売卜《ばいぼく》にうらなはせなどして、年久しく尋ね侍りしが、終に見えざりければ、人に盗まれたるにやあらん、いかにせんとて過《すご》し来《きた》るに、おとつ日の暁《あかつき》、わらはが夢に妹来りて告げけるやう、姉さまよ、久しきあとに失ひつる簪こそ、土蔵の二階なる三番の簞笥の最下の引出しの底に、紙に包みて侍れ、この簪は姉さまにかたみにさしあげ侍り、早く来まして取り給へといふほどに、いそがはしく門をたゝく人あり、これに夢さめて、人を喚び起して門開かすれば、妹のなき人となりたる事をしらせ来れるにぞ有りける、せきあへぬ涙を袖につヽみ、俄かに大坂にまかり、はふむりの事営みつる後、親族の人々に、しかじかの夢見たるよし語りければ、そは誠ともおもはれず、されど物はためしなれば、試みにさがして見給へといふに、女どもと土蔵に入り、たんすを開きけるに、夢に見つるが如く、最下の引出しの底に紙に包みてぞ有りける、されば夢の告げの如く持ちかへり侍りしなりとて、その簪をも出して見せけるとなん。白石先生の『鬼神論』に、またある人の遠き国にゆくが、むかし我妻の心見んとて、その金《きん》の簪をとりて、壁の中にかくせし事のありしを、事にまぎれてかくともいはで出立ち、他国にて病におかされて、死ぬべきに臨みて、供に具したる男にこの事を告げけり。古郷にとゞまりたる妻、夫の行方をおもひつゞけて、只ひとり立ちしに、忽ちに大空の中にして、人の声するをあやしときくに、まさしき我夫の声なり。みづから既に死し侍りぬ、日ごろは見えざりし簪、誠は我かくせしなり、我死せし事、誠と思ひ給はざらんには、いづこの壁の中を見給へかし、これを印(しるし)としるべしとぞいひける。うつゝなき事と思ひしかど、教へのまゝにそこの壁の中を見るに、誠にかんざしありけり。妻は天をあふいでなく。やがてなき跡の事など営みてけり。いく程なくて夫は病愈えて帰り来りけれど、妻は死したる人の魂の帰り来りけると、大いにおどろきまどひけり。これ等のごときは、また游魂の人をあざむきて、かゝる振舞したるなりとぞ云ひつたへ侍る。(程子並びに東坡の書に見ゆ。宋の事なり。游魂はうかれ行く鬼《き》なりとや)と見えたり。 〔耳袋巻五〕これも中山氏にて召使ひし小侍、甚だ発明にて、主人も殊の外憐愍《れんびん》して召使ひしが、寛政七年の暮、流行の疱瘡を患ひて身まかりしを、主人その外殊の外に不便《ふびん》がり、厚く弔ひ遣はしける由。然るに中山の許へ心安かりける男、昌平橋<東京都千代田区内>を通りしに、かの小侍が死せし事も知らざりしが、はたと行き合ひて、如何主人には御変りもなきやと尋ねければ、相応の挨拶して立別れける。中山の許へ至りて尋ねしに、遙かに日を隔てて相果てし事を語りけるに驚きて、我等一人に候はゞ見損じも有るべしと、召連れし僕《しもべ》にも尋ねけるに、これもかの小侍はよく覚えて相違なきよし語り、共に驚きけるとなり。
[やぶちゃん注:前者の「海西漫録」(かいせいまんろく)は国学者鶴峯戊申(つるみねしげのぶ 天明八(一七八八)年~安政六(一八五九)年)の随筆。彼は豊後国臼杵(現在の大分県臼杵)に八坂神社神主鶴峯宜綱の子として生まれ、江戸で没した。著作は多く、中でも「語學新書」はオランダ語文法書に倣って当時の日本語の文法を編纂したもので、近代的国語文法書の嚆矢とされる(当該ウィキに拠った)。国立国会図書館デジタルコレクションの『百家隨筆』第三(大正七(一九一八)年国書刊行会刊)のこちらで当該部が正規表現で視認出来る。標題は『○游魂有ㇾ知』である。後者は、私の「耳囊 卷之五 遊魂をまのあたり見し事」を見られたい。]
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