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2024/01/27

甲子夜話卷之八 13 養老酒の事

[やぶちゃん注:これまでのフライング単発で、恣意的正字化変換や推定歴史的仮名遣の読みは勿論、句読点・記号変更・追加、段落成形を行ってきた関係上、以下でも、読者の読み易さを考え、「卷之七」の後半で既にその処理を始めているのだが、それをルーティンに正式に採用することとする。なお、カタカナの読みは、静山自身が振ったものである。「續日本紀」の不全・不審の訓点は総てママである。

 

 久(ひさし)く懇(ねんごろ)しける某(なにがし)なるもの、酒一器を携來(たづさへきたり)て、贈る。予、視るに、

「養老麓高田 養老酒 酒家八十郞造」

と題す。

 某、云ふ。

「大垣の戶田侯に、しるべありて、此頃、濃州より取寄(とりよせ)たり。『養老の瀧水』にて釀(かもし)たるなり。」

と。

 予、試飮(こころみの)むに、醇酒なり。

 某、又、曰(いはく)、

「養老瀧は、數丈(すじやう)直下の流(ながれ)にして、其冷なること、寒氷(かんひやう)の如し。高田は地名、酒家(しゆか)は彼(かの)瀧の邊(ほとり)にあり。」

と。

 今、都下に「養老酒」と稱するものは、似もせざる麁品(そひん)なり。

 「續日本紀」「元正紀」、養老元年九月丁未、天皇行-幸ス美濃國。丙辰當耆多度山美泉。十一月癸丑、天皇臨ㇾ軒詔シテ。朕以今年九月、到美濃不破行宮、留連スルコト數日。因當耆郡多度美泉、自フニ手面皮膚如ㇾ滑ルガ。亦洗フニ痛處ㇾ不除愈。在朕之躬其驗アリ。又就而飮-スル者、或白髮反ㇾ黑、或頽髮更、或闇目如シトㇾ明ナルガ。自餘痼疾皆平愈。符瑞書曰。醴泉者美泉ナリ。可以テ養一ㇾ。蓋水之精ナレバ也。寔ルニ美泉卽合ヘリ大瑞。朕雖ㇾ痛ㇾ虛天貺。可天下。改靈龜三年養老元年。十二月丁亥、令シテム下二美濃國、立春シテ醴泉而貢於京都、爲醴酒也。

 これ、養老の瀧水を以て、釀する權輿(こんよ)とすべし。

■やぶちゃんの呟き

「大垣の戶田侯」信濃松本藩第七代藩主にして戸田松平家第十二代当主松平光年(みつつら)である。

「養老麓高田」現在の岐阜県養老郡養老町(ようろうちょう)高田(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。

「養老の瀧水」岐阜県養老郡養老町養老公園にある名水「菊水泉」の水。上流に「養老の滝」がある。

「續日本紀」の訓読を試みる。訓点は不全・不審なので、必ずしも従っていない箇所もある。なお、参考に国立国会図書館デジタルコレクションの『國文六國史』第三の「續日本紀」(武田祐吉・今泉忠義編/昭和九(一九三四)年大岡山書店刊)の当該箇所を参考にした。途中を飛ばしてあるので、そこは、概ね、改行したが、静山の底本とは異なる者の可能性もあり、表現上、それが出来なかった箇所も多い。

   *

 「續日本紀(しよくにほんぎ)」の「元正紀(げんしやうき)」に、

養老元年九月丁未(ひのとひつじ)、天皇(てんわう)、美濃國(みねのくに)に行幸(みゆき)す。

丙辰(ひのえたつ)、當耆(たぎ)の郡(こほり)の多度山(たどやま)の美泉に幸(みゆき)す。

十一月(しもつき)の癸丑(みづのとうし)に、天皇、軒臨(のぞみ)まして、詔(みことのり)して曰く、

「朕(われ)、今年(ことし)の九月(ながつき)を以(も)て、美濃國(みののくに)の不破(ふは)の行宮(かりみや)に到り、留連(とどまり)すること、數日(すにち)なりき。因りて、當耆の郡、多度の山の美泉を覽(み)て、自(みづか)ら、手と面(おも)とを盥(あら)ふに、皮膚(はだ)、滑(すべ)るがごとし。亦、痛き處(ところ)を洗ふに、除-愈(い)えずといふこと、無し。朕(わが)躬(み)に在りて、其の驗(しるし)あり。又、就(つ)きて、之れを飮み、浴(ゆあみ)するを、或いは、白髮、黑に反(かへ)り、或いは、頽髮(たいはつ)、更に生(しやう)じ、或いは、闇目(あむもく)明(あきらか)なるがごとし。自餘(じよ)の痼疾(こしつ)咸(ことごと)く、皆、平愈す。「符瑞書(ふずゐしよ)」に曰はく、『醴泉(らいせん)は美泉なり。以(も)て、老(おい)を養ふべし。』と。蓋(けだ)し、水(みづ)の精(しやう)なればなり。寔(まこと)に、惟(おもひみ)るに、美泉は、卽ち、大瑞(だいずゐ)に合へり。朕(われ)、痛(いた)むと雖(いへど)も、虛を、何ぞ天貺(てんきやう)に違(たが)はん。大(おほい)に天下(てんが)に赦(しや)すべし。靈龜(りやうき)三年を改めて、養老元年と爲(な)す。」

と。

十二月(すはす)丁亥(ひのとゐ)、美濃國に令(めい)じて、立春の曉(あかつき)に、醴泉(らいせん)を挹(くみ)して、京都に貢(かう)し、醴酒(らいしゆ)と爲(な)さしむなり。

   *

この「元正」元正(げんしょう)天皇(在位:霊亀元(七一五)年~養老八(七二四)年)は女帝である。

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