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2024/01/30

譚海 卷之六 甲州高麗郡なら田村無年貢の事 附尊純親王時鳥和歌の事

[やぶちゃん注:これまでのフライング単発で、推定歴史的仮名遣の読みは勿論、句読点・記号変更・追加、段落成形を行ってきた関係上、以下でも、読者の読み易さを考え、「卷之六」以降、それをルーティンに正式に採用することとする。標題の「甲州高麗郡なら田村」及び「なちだ村」は正しくは「巨摩郡奈良田村」で、現在の山梨県南巨摩郡早川町(はやかわちょう)奈良田(ならだ:グーグル・マップ・データ。以下同じ)。北岳の南方の山間である。二十六の頃、晩秋、山仲間の友人と北岳登頂を目指したが、天候悪化のため、断念し、「奈良田の湯」に入り、山中の優しい老夫婦の民家に泊まったことがある(生憎、姓を覚えていない。「高木」だったかも知れない)。御主人は驚くほど背が高く、老妻ともに気品に満ちていた。私は貴人の末裔か、高位の落人のそれか、と思ったほどであった。また、生まれたばかりの猫がいっぱいいて、ほんに可愛かった。後半は「附」(つけたり)「尊純親王時鳥」(ほととぎす)「和歌の事」と読む。

 

○甲州高麗郡なちだ村に、「笹はしり」と云(いふ)峠、有(あり)。[やぶちゃん注:山梨県南巨摩郡早川町笹走(ささばしり)の内。]

 昔、東照宮、御通行の時、道、生繁(おいしげ)りて、わきがたかりしを、此所(ここ)の者共、御先立(ごせんだつ)をなし、道を、ひらき、通行ましませしかば、其御賞報(ごしやうほう)に、

「守護不入(ふいり)の地。」

に仰付(おほせつけ)られ、今に、一村十四里のほどは、無年貢にて、作り取(とり)の所、有(あり)。

 一村、皆、「高木」[やぶちゃん注:姓。]一黨(いつたう)ばかりにて、婚娵(こんしゆ)[やぶちゃん注:嫁入りと嫁取り。]も、他村にもとめず、其所(そこ)斗(ばかり)りにて婚姻する事也。

 是、則(すなはち)、後水尾院の八の宮諒純親王、左遷ありし地也。

 八宮の御歌(ぎよか)に、

  なけば聞(きき)きけば都の戀しきに

      此里過(すぎ)そ山ほとゝぎす

と、御詠ありしより、

「時鳥、今になかず。」

と云(いふ)。

 東照宮御墨付(おすみつき)、庄屋方に所持し、人柄も、いやしからぬもの也。

 一とせ、官(くわん)の事にて、此村に滯留せし人ありしに、

「旅館を、きよらかに、しつらひ、庄屋、その家に日夜、詰居(つめをり)て、高き所に坐し、諸事を世話いたし、甚(はなはだ)、丁寧成(なる)事也。高き所に居(を)るは、村のもの共(ども)、『新役に、もし、不調法あらんか。』とて目付(めつけ)する爲(ため)也。出立(しゆつたつ)の日、人足を、やとひて、貨錢を拂(はらひ)たるに、一向に申受(まふしうけ)ず、

『我等、無高(むだか)・無年貢の地に、年來(ねんらい)、住居(すまひ)し、せめて、かやうのせつ、御用相勤(あひつとめ)申べき事、本望(ほんもう)の至(いたり)也。』

とて、申うけざりしかば、

『さには、あらず。是を受(うけ)てくれぬ事にては、我等、身分にかゝり、甚(はなはだ)、迷惑する事也。』

と、しひて開說(かいせる)し、いひ合(あひ)ければ、やうやう、承引(しやういん)して、其荷物、村中、老若、不ㇾ殘(のこらず)出(いで)て、背負(せおひ)、又は、肩にかけなどして、暫時に、麓(ふもと)まで、運びとゞけて、賃錢を、いただき、

『公儀の御銀(ぎよぎん)なり。』

とて、殊の外、大切にするやうすにてありし。」

とぞ。

[やぶちゃん注:「後水尾院の八の宮諒純親王」当該ウィキによれば、良純入道親王(慶長八(一六〇四)年~寛文九(一六六九)年)は、江戸『初期の皇族。後陽成天皇の第』八『皇子で』、『母は典侍庭田具子(権大納言庭田重具の娘)。当初は徳川家康の猶子として直輔親王と名乗った。知恩院初代門跡。通称は八宮』。『後陽成天皇の第八皇子として誕生』し、五『歳の時に知恩院門跡に治定されて同寺に入るが、出家は先送りされる。その後、慶長』一九(一六一四)年に『親王宣下を受けて直輔親王と名乗られ、翌元和元年』『に徳川家康の猶子となった』元和五年九月十七日(一六一九年十月二十四日)、十六『歳の時、満誉尊照を戒師として出家・得度を行って、良純と名乗る。ところが』寛永二十年十一月十一日(一六四三年十二月二十一日)に『突如』、『甲斐国天目山に配流される。理由としては』、『寺務を巡る大衆との対立、酒乱による乱行、江戸幕府の朝廷および寺院への介入を非難する言辞を行った』とか、或いは『待遇に不満、出家に不満等、諸説が伝わるが』、『飾り物である門跡の地位への不満と』、『江戸幕府からの圧迫に対する不満があったとする見方では一致している。後に甲府の興因寺(甲府市下積翠寺町)に移されて幽閉された』。万治二(一六五九)年、五十六歳の時、『勅許によって帰京するが、知恩院ではなく』、『泉涌寺に居住』し、『その後』、『北野で還俗して隠退生活を送った。後に以心庵と号す』。六十七『歳で没して泉涌寺に葬られ、専蓮社行誉心阿自在良尚大僧正の諡号が贈られた』。明和五(一七六八)年の『百回忌に際し』、『名誉回復が図られて』、『改めて無礙光院宮良純大和尚の諡号が贈られた』とある。]

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