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2024/01/12

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「亡妻看病」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 亡妻看病【ぼうさいかんびょう】 〔中陵漫録巻四〕備中笠岡の北四里ばかりに荏原<岡山県笠岡市>といふ村あり。この村の農家に嘉右衛門なる者あり。この妻死したり。或時、嘉右衛門瘧《おこり》[やぶちゃん注:マラリア。]を病む事百日ばかり、その病中毎夜その亡妻来《きたり》て看病す。風雨といへども一夜もかゝす事なし。余<佐藤成裕>按ずるに、亡妻毎夜来る為に、瘧をやむなるべし。むかし芸州宮嶋<広島県佐伯郡内>の光明寺の住持は、正達上人と云ふ。これは亡母の墓より生れしと云ふ人有り。その墓に声有り。或人聞《きき》て掘出《ほりいだ》し、日々飴《あめ》をあたへて成人すと、皆人《みなひと》の知る所なり。<『楓軒偶記巻二』に同様の文がある>

[やぶちゃん注:「中陵漫録」「会津の老猿」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションのこちらで(『日本隨筆大成』第三期第二巻昭和四(一九二九)年刊)当該部が正字で視認出来る。標題は『○奇 話』。但し、最後の以下の部分を宵曲はカットしている。

   *

今京都の僧某は、一日に飴三錢を求て三度に食す。其身體甚だ壯健也。是等り[やぶちゃん注:ママ。所持する吉川弘文館『随筆大成』版では、『是等の』である。]說は予盡く疑ふ。飴は元來麥芽を調和して作りたる故に、人の腹中をすかして穀氣を絕するもの也。故に道中を往來する人は、好て飴を食せず、食すればかならず腹中へり安しと云。遠足家の大に忌む所なり。

   *

この「遠足家」は「ゑんそくか」で、「好んで遠くまで足を延ばす人」の意。まあ、この標題じゃ、カットしたいのは、判る。しかし、最後の宵曲の附記には、甚だ、問題がある。

「芸州宮嶋」「広島県佐伯郡内」現在の広島県廿日市市の厳島のこと(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。

「備中笠岡の北四里ばかりに荏原」「といふ村あり」岡山県井原市東江原町、及び、その北西の西江原町。

「光明寺」厳島神社の東北後背にある浄土宗華降山(けこうさん)以八寺(いはちじ)光明院(こうみょういん)であろう。

「『楓軒偶記巻二』に同様の文がある」常陸水戸藩士で儒者の小宮山楓軒(こみやまふうけん 明和元(一七六四)年~天保一一(一八四〇)年:小宮山東湖の長男。立原翠軒に学び、水戸の「彰考館」で「大日本史」の編修に従事した。寛政一一(一七九九)年には郡(こおり)奉行となり、植林をすすめるなど窮乏する農村の救済に尽した。後に町奉行・側用人を務めた。名は昌秀。編著に「農政座右」「水府志料」などがある)の随筆。国立国会図書館デジタルコレクションの『百家隨筆』第二 (大正六(一九一七)年国書刊行会刊)のこちらで正規表現で視認出来る。右ページ上段三行目『一、東國戰記に、常陸小山莊の民の妻、死して土中に子を生み、母の幽靈餅を買て兒を育せしことあり。其兒生れて白髮なり、後に僧となり、頭白上人と云あり、佐藤成裕曰、藝州宮島光明寺上人上達上人と云あり、亡母の墓より生まれと云、墓中に兒の聲あるを聞いて掘出し、日々飴を與へて成人すと云、亦頭白の類なり、秀按に、……』(以下略)の部分である。しかしこれは、標題のメインの話「亡妻看病」のそれではなく、後半の話を、ただ、そのまま引用したものだ。これは、絶対的に、おかしい。宵曲に裏切られた気がした。

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