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2024/01/04

譚海 卷之六 同國秋葉山權現の御事(フライング公開)

[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。特異的に句読点・記号の変更・追加と、読みを加え、段落も成形した。標題の「同國」は前の条の標題の内の「遠州」を受けるもの。]

 

 遠州、秋葉山(あきはさん)權現は、「火防(ひぶせ)の神」也。靈驗揭焉(けちえん)[やぶちゃん注:「顯著」に同じ。]なる事、口碑に傳ふる事、多し。

 本坊に滯留の客、常に、たゆる事、なし。

 それに饗する飯をば、大釜にて焚(たく)に、竃(かまど)も大なれば、山中より伐り貯(たくはへ)たる材木を、丸樹のまゝにて、焚也。

 飯、出來れば、長き鐵のまたふり[やぶちゃん注:「杈(またふり)」で、木や竿のさきを二股にした「杈(さすまた)」のこと。]にて、餘燼の木を、かきいだし、其まゝ消(きえ)もやらぬを椽(えん)の下へ突入置(つきいれおく)に、おのづから、火、消(きえ)て、敢(あへ)て火災ある事、なし。往古より然り。

 房中の座敷、幾所(いくところ)にも、一宿の旅客あるに、山中、寒ければ、座敷ごとに、ゐろりを構置(かまへおき)て、それへ、臺所より、もえくひのまゝを、重能(ぢゆうのう)に、山の如く、盛(もり)て持(も)てはこぶ。

 長き廊下など、通りて、遠き座敷などへ持行(もちゆく)には、重能の火、こぼれて、所々の座敷の疊の上にあれども、疊、やくる事なし。重能を持歸る、たよりに、みれば、こぼれたる火、ことごとく消(きえ)てあるゆゑ、手にて、ひろひ集(あつめ)て、重能に入れ、歸る也。

 その外(ほか)、房に續きて、諸職人、長屋、たて續けたる、大成(なる)宅、有(あり)、夫(それ)に、諸職人、住居して、鍛冶(たんや)、桶類・家具・諸雜器等を日々にこしらふる事也。

 其職人等(ら)、晝は、一日、所作(しよさく)をなして、その部屋に、人々、薪(たきぎ)・材木を、ゐろりにたき、おもふまゝにあたゝまりをり、夕(ゆふべ)になれば所作を仕舞(しまひ)て房へ食事に行き、そのまゝ、房に寢る事なるに、

「我部屋に、夥敷(おびただしく)燒捨(やきすて)たる火を、けしもせず、打捨(うちす)て、出行(いでゆく)とも、その跡にて、火、おのづから滅して、失火ある事、なし。」

と、いへり。

 又、每年霜月十六、七日には「火防(ひぶせ)」の祈禱あり。

 かねて近在の僧徒、この役に候(こう)する例(れい)有(ある)者共、數日(すじつ)、別火潔齋して、その日に會集する也。

 秋葉山の坊は、洞家[やぶちゃん注:曹洞宗。]の禪宗なれば、みな、その宗門の僧徒、あつまる也。

 黃昏(たそがれ)より、祈禱の修法(しゆほふ)はじまる。

 火を、おびたゞしく、盤に盛(もり)て、その中へ、誦經しながら、火防の札を打入(うちいれ)、長き鐵のまたふりにて、かきまはし、念呪する也。

 此札、如ㇾ此(かくのごとく)、火中にあれども、一枚も、やくる事、なし。

 翌朝まで、そのまゝ置(おき)て、火、消(きえ)て後、冷灰(れいばひ)の中(なか)より、この札を、ひろひ出し、櫃(ひつ)にたくはへ置(おき)て、一年の内、參詣して札を乞(こふ)者に、與ふる事とす。

「もつとも奇特ある事。」

と、いへり。

「秋葉山、遠州にある事に稱すれども、その山は、三河と、遠江とに屬して、境内(けいだい)は、二州にまたがりたる所なり。されば、本堂は、同じ山中ながら、三河に屬し、境内は、多分、遠江に屬せり。」[やぶちゃん注:秋葉山は全山が、現在の静岡県浜松市天竜区春野町領家にある。但し、ウィキの「秋葉神社」によれば、『古来、火防及び火そのものに対する信仰が根本であり、町内で火災鎮護を祈る地域や消防団、火を扱う職業の参拝が多い。火災鎮護ということで三河地方を中心に新築・増改築に際して参拝し』、『棟札を受ける習慣がある』(傍線太字は私が附した)とあることから、その多くの参詣者が三河の人であったことからの認識からか。現在は神仏分離により、秋葉山本宮秋葉神社と、秋葉山秋葉寺に別れてある。ここ(グーグル・マップ・データ)。]

と、いへり。

「堂の大きさ、淺草觀音堂の如し。」

と、いヘり。

 それより、八町奧に、「奧の院」といふあり。[やぶちゃん注:現在の位置はここ(グーグル・マップ・データ。以下同じ)だが、江戸時代には、現在地の東北の静岡県浜松市天竜区春野町豊岡勝坂にあった。神仏分離令で移されたものである。]

 本堂までは、男女參詣すれども、「奧の院」へは、女の參詣を禁ず。殊に深山にして、しばらくも長く留(とどま)りがたき、恐ろしき氣景(きけい)の所なり、とぞ。

「本堂、常には、晝夜、にぎはしければ、さにあらねども、霜月、火防の祈禱の夜は、何となく恐ろしく、修法に供する人の外は、留宿(りうしゆく)するものなく、御供米(みくましね)[やぶちゃん注:「御糈」とも書く。一度、神に供えた精米。]を、いたゞきて、皆、下山する事。」

と、いへり。

 又、此奧の院の外に、三里奧、山中に、別社あり。

 これは、まことに、非常の人の、まれにいたるばかりにて、參詣するものも、かねて潔齋精進して、先達(せんだつ)をたのみて、參詣する事、とぞ。その道も、おほくは、懸崖絕壁にして、瀑水のそゝぐ所などをも、よけず過(すぐ)る所おほし、とぞ。[やぶちゃん注:記載に基づくなら、この附近(グーグル・マップ・データ)となるが、幾つか、それらしいものがあるが、特定は私には出来なかった。]

 本堂より、ふもとの町家へ下るに、表門は五十町、うら門よりは、七十町あり。每夜、下山する人、絕えざれば、本坊にて、提燈蠟燭を借(か)す。らふそくは、廿匁懸(がけ)ばかりのもの、二挺(ちやう)づつ、給(きふ)する也。あたひも、何(いか)ほどにても、かまはず、參詣の人の、心次第に奉る也。

 此裏門・おもて門、ともに、道の遠近、異なれ共(ども)、らふそく二挺にて、いづれより下山しても、宿まで、火、消(きゆ)る事なく、又、二挺をはぶきて、一挺にても、火、消る事、なし。

 これを、

「眼前のふしぎ。」

に、いひ傳ふる事也。

 一挺にて、下山せしものの、七十町の道を、下り盡し、町家の宿へいたりて、その火、消さん、とせしに、宿の亭主、

「山にて、借り來り賜ふ火ならば、けさでも、え盡(つき)る。」[やぶちゃん注:この「え」は副詞であるが、下に肯定の表現を伴って、「うまく~できる・よく~する」の意の用法。]

とて、

「そのまゝ、あれ。」

と、いひければ、洗足(せんぞく)などして座敷へ入(いり)、其てうちんのまゝ、座敷のなげしに、かけ置きたるに、しばしありて、らふそく、燃えつきて、消(きえ)たりしが、消(きゆ)るとき、下より、人の、火をおしあぐる如く、短かき、らふそくの、てうちんの、ふたの口まで、

「ば」[やぶちゃん注:底本では「ば」の下に編者注で『(っ)』とある。]

と、燃えあがりて、消(きえ)たるを、みたり。かゝるふしぎなる事は、なかりし、と、その人のかたりしなり。

 すべて、秋葉山中は、有德の體(てい)にて、姦(よこしま)をなし、僞(ぎ)をいだくものなし。

 參詣のものも、其靈驗におそれて、あヘて私(わたくし)をおもふ事なく、甚(はなはだ)愼(つつしみ)たる事也。

 それゆゑ、房に一宿する飯料(はんれう)も、百錢より外(ほか)は、あたひを、とらず、參詣のもの、心得にて、その餘(よ)を寄附するは、所存次第也。

 房にて、飯、出來れば、一汁一菜の調味にて、とりこしらふる事もなき品を、飯繼・鍋[やぶちゃん注:「繼」に編者の傍注があり、『(櫃)』とある。「飯櫃・鍋」で「めしびつ

・なべ」。]とも膳椀にそへて、人數のまゝ、器などそへ、つきつけて置(おい)ていぬるを、旅人、手々(てんで)に、飯、かいとりて、飯、もり、汁、すゝり、くひはてぬれば、五人なれば、五百錢、十人なれば、壹貫文、膳の上に出(いだ)し置(おき)て、房へ返す事也。

 江戶をはじめ、諸國の參詣・講中などいふもの、常に、たえず。講中などいふものは、房にても、饗膳、ことに美々しき體(てい)也。その他《ほか》は、みな、右に聞ゆるごとく、とりこしらへたる事、なし、とぞ。

[やぶちゃん注:[やぶちゃん注:「秋葉山三尺坊」現在の静岡県浜松市天竜区春野町領家にある秋葉山(あきはさん:赤石山脈南端・標高八百六十六メートル。ここ(グーグル・マップ・データ))の、火防(ひぶせ)の神である「秋葉大権現」という山岳信仰と修験道が融合した神仏習合神の別称。但し、明治の廃仏毀釈によって秋葉山本宮秋葉神社と秋葉寺に分離したが、後者は明治六(一八七三)年)に廃寺となり、現在、その仏像仏具類は本寺であった現在の静岡県袋井市久能にある「可睡斎(かすいさい)」に移され、「三尺坊」の神像もそこに現存する。現在、静岡県浜松市天竜区春野町に秋葉三尺坊大権現を祀る秋葉山(しゅうようざん)秋葉寺という寺があるが、これは明治一六(一八八三)年に再建されたものである。詳しくは、参考にさせて戴いた個人ブログ「神が宿るところ」の「秋葉山総本山 秋葉寺(三尺坊)」を参照されたい。なお、そちらによれば、『「秋葉大権現」が「三尺坊大権現」という天狗として認識されるようになったのは、次のような伝承による。即ち、三尺坊は』、宝亀九(七七八)年、『信濃国・戸隠(現・長野県長野市)生まれで、母が観音菩薩を念じて懐胎し、観音の生まれ変わりといわれた神童だったという。長じて、越後国・栃尾(現・新潟県長岡市)の蔵王権現堂で修行し、僧となった。「三尺坊」というのは、長岡蔵王権現堂の子院』十二坊の内の一つで、その名を取ったものであり、『ある日、不動三昧の法を修し、満願の日、焼香の火炎の中に仏教の守護神である迦楼羅天を感得し、その身に翼が生えて飛行自在の神通力を得た。そして、白狐に乗って飛行し、遠江国秋葉山のこの地に降りて鎮座したとされる』。『現在も頒布されている秋葉山の火防札には「三尺坊大権現」の姿が描かれているが、猛禽類のような大きな翼が生え、右手に剣、左手に索を持ち、白狐の上に立っている姿である。火炎を背負い、身体は不動明王のようだが、口は鳥のような嘴になっている。これは、もともとインド神話の鳥神ガルーダが仏教に取り入れられた迦楼羅天』(かるらてん:八部衆・後の二十八部衆の一つ。)『の姿に、不動明王を合わせ、更に白狐に乗るところは荼枳尼天の形が取り入れられているようだ。実は、この姿は、信濃国飯縄山の「飯縄権現(飯縄大明神)」とほぼ同じである。「飯縄権現」は、飯縄智羅天狗とも呼ばれ、日本で第』三『位の天狗(「愛宕山太郎坊」(京都府)、「比良山次郎坊」(滋賀県)に次いで「飯縄山飯縄三郎」とも呼ばれる。)とされる。こうしたこともあり、「三尺坊大権現」は、その出自や修行地からして、戸隠や白山などの修験者の影響が強いようだ。そうすると、火難避けの神様としての秋葉山信仰は、古くても中世以降、民衆レベルでは江戸時代以降なのではないかと思われる。江戸時代には、資金を積み立てて交代で参拝する秋葉講が盛んに組織された』とある。]

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