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2024/01/16

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「めいしん」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

   

 

 めいしん 〔奥州波奈志〕めいしんといふ法有りとぞ。これは出家のさいなんに逢ひし時、身をのがるゝ為の心がけにして、一世一度とおもふ時おこなふ法なり。ある和尚この法をしりたりといふことを、橋本正左衛門といふ人聞きつけて、若きほどのことなりしが、奇なることをこのめる本性なりしかば(正左衛門は近親伊賀三弟に八弥と云ひし人養子にせしかば、正左衛門の伝は八弥が語りしなり)しきりに習ひ得たく思ひ和尚にしたしみて常に行きつゝ夜ばなしののちとまりなどせしことも多かりき、ことにふれつゝその法を伝へ給はらんとこひけり。和尚の曰く、やすきことながら今少し心のさだまらばつたへ申すべしとてゆるさざりし。その寺に幼年よりつとめし小姓の有りしが、これも正左衛門に先立ちて我ならはばやといどむ心有りしか、正左衛門その執心によりて和尚にしたしむを、もし先こされなばくやしからんと思ひて、しきりに法を習はんとねがひしかば、和尚ももだしがたくや有りけん、さほど深切に願ふことならばつたふべし、さりながら正左衛門もあの如く願ひをるを、そこにばかり伝へしと聞かば怨むべし、必ず他言無用なりとて、ひそかに伝へたりしとぞ。正左衛門は例の如く夜ばなししてとまりゐしに、十月末のことなりしか、宵はさしもなくて、夜の間に雪の降りつもりしを、おとなければ誰《たれ》もしらざりしを、丑三つ<午前三時頃>ともおぽゆる頃、はつたりと大きなる音のせしかば、和尚はもちろん正左衛門もとびおきて行きてみしに、和尚のはだつきぎぬをひる洗ひて棹に懸けて置きたりしを、よひには雪のふらざりし故、とりも入れざりしに、おほく雪のかゝりしかば、物有りげにみえしを、かの小姓めもろくにさめずに小用たしにおきてふとみつけ、大入道の立ちて有ると思ひて、これや一世一度の難ならんと、このほど習ひし法をかけしに、あたらしきもめんはだぎをかけたるが、棹共に切物にてきりたるごとく、真二つにさけたる音にて有りしとぞ。小姓はおもてもあげずひれふしながら、真平御めん被ㇾ下とわびゐたり。和尚大いに立腹して、それみよ、心の定まらぬうちはゆるしがたしといひしは爰ぞや、にくきやつ哉、多年めかけて召仕ひしもこれ切りぞ、明朝早々立されと暇申渡し、正左衛門にむかひ、そのもとにはたゞ愚憎が法ををしむとのみ思はれつらんが、あれぞ手本なる、心定まらぬ人にゆるせばけが有るのみならず、法もかろくなり行くなり、かならずうらみ給ふべからず、これは幼年より召つかひしもの、他事なく願ふ故、心もとなしとは思ひつれどゆるしたりき、かくの如くのけが有ることにては、我さへこりてさらに人にはつたへがたしと云ひしとぞ。その小姓には二度おこなひてもしるしなきけし法をかけて早々追出されしとぞ。正左衛門も実におそろしと思ひてならはざりし。法といふものは不思議の物ぞ、たゞとなへごとせしばかりにて、棹とひとへぎぬのさけたるは、あやしともあやしかりきと常に語りしとぞ。

[やぶちゃん注:「奥州ばなし めいしん」は電子化注済み(リンク先はブログ版。サイトのPDF縦書一括版もある)。なお、彼女の「只野真葛 むかしばなし (88)」にも同話が所収されてある。]

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