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2024/01/14

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「丸木船」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 丸木船【まるきぶね】 〔閑窻瑣談巻四〕房州安房郡《あはごほり》山刀(なたきり)村に、船越《ふなこし》大明神と云ふ社《やしろ》あり。抑〻《そもそも》当社は、神代《かみよ》の古跡なりといふ。山下《さんか》は海波《かいは》満々として、社前までも浪をうち寄する事有り。これを下(しも)の宮といふ。上の宮は四五町程山の上にて、唯《ただ》大いなる洞穴《ほらあな》ありとぞ。深山《しんざん》といふにはあらねど、何となく物すごく、幾千代《いくちよ》を経《ふ》るのみやしろ、神さびて、森々《しんしん》たる老樹《らうじゆ》生ひ茂り、何《なに》さま上古《いにしへ》の体相(おもむき)ありて、洞穴の入口《いりくち》に船越大明神といふ額をかけたり。筆者凡人《ぼんにん》の及ぶ所にあらず。額の木地《きぢ》は朽ちたれども、墨色《すみいろ》鮮やかに尊《たふと》し。三年《みとせ》に一度《ひとたび》づつ海上《かいしやう》より竜燈《りうとう》来りて、山上(やまのうへ)を照す事あり。また神前にさゝげたる古代の丸木船二艘あり。長サ一丈六尺、𦨴(どう)の間《ま》五尺余《よ》にて、木色《きのいろ》は薄紫なるが、何《なに》といふ木なりや知る者なし。唐木《からき》にて造りし船なりとみ云ひ伝ふ。一艘は何百年以前より在るか知らねど、只竜宮より上《のぼ》りし物と土人(さとびと)の説なり。一艘は万治二年の五月下旬《すゑつかた》より在りといふ。その故を尋ぬれば、土地《ところ》の人々海上《かいしやう》に鰯網《いわしあみ》の船を出《いだ》して漁猟《ぎよれふ》する折しも、何所《いづく》より来《きた》るともなく、右にいふ船一艘、乗《のる》人はなくて白紙の幣束《へいそく》一本、船の中に建ててありしが、漁人等《すなどりびとら》這(これ)を見て、各〻あやしみ、その船に乗り近付かんと櫓を押して漕寄《こぎよ》すれば、彼《かの》船は乗人《のりて》なけれど、自然と東西南北に走りて、数多《あまた》の猟船《れふせん》四方より取かこめども近付きがたく、忽ち多くの船の間《あひだ》を走り抜けて、伊豆の大嶋の方《かた》へ流れ走りけるが、その夜《よ》山刀村の船越山《ふなこしやま》に、多くの人声《ひとごゑ》して物を引運《ひきはこ》ぶ様《やう》なりしが、翌日行きて見れば、昨日海上《かいしやう》にて追ひまはしたる幣帛《へいはく》立てし丸木船を、山上《さんしやう》に引上げて神前に備へたり。何者がなせしといふ事知れず。全く神の所為《わざ》なるべしとて尊《たふと》み恐れしが、その時より二艘にはなりしとぞ。

[やぶちゃん注:以下は底本では、全体が一字下げで、ややポイント落ちである。]

一説に、此船は琉球国にて国王の代がはりに造りて、海神《うみのかみ》を祭祀(まつる為《ため》に海上《かいしやう》へ押流《おしなが》し、海神《わだつかみ[やぶちゃん注:前とルビが異なるのは、後の活字本のママ。]》にたてまつるものなりとぞ。按ずるに船越明神も海神《かいじん》に在(ましま)せば、琉球国王の諸々(もろもろ)の海神《かいじん》へ奉まつられしが、この御神《おんかみ》へ納《をさ》まるべき節(とき)に当りて、はるばると届きしものか。竜宮より納まりしといふも、琉球より奉納ありしといふ説を誤り伝へしものなるか。

[やぶちゃん注:「閑窻瑣談」江戸後期に活躍した戯作者為永春水(寛政二(一七九〇)年~ 天保一四(一八四四)年)の随筆。怪談・奇談及び、日本各地からさまざまな逸話。民俗を集めたもの。浮世絵師歌川国直が挿絵を描いている。吉川弘文館『随筆大成』版で所持するが、国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆全集』第九巻(国民図書株式会社編・昭和三(一九二八)年同刊)のこちらから、挿絵(次のコマにある)入りで正字で視認出来る。『卷之四』の、通しで『第五十一』話目の『丸 木 船(まるきふね)』である。総ルビに近いので、読みは、積極的にそれを参考にした。挿絵を吉川弘文館『随筆大成』版からOCRで読み込んで、トリミング補正し、注の最後に添えておくこととする。

「房州安房郡山刀(なたきり)村に、船越大明神」この神社は、二つある。北の、海に近い位置の千葉県館山市見物(けんぶ)にあるものが、「海南刀切(かいなんなたぎり)神社」(グーグル・マップ・データ。以下同じ)で、房総フラワーラインのX交差点を挟んで、南の山側の館山市浜田にあるものが、「船越鉈切(ふなこしなたぎり)神社」である。後者はグーグル・マップでは、「鉈切洞穴」とあるだけだが、後者のサイドパネルの写真の、ここの鳥居の左に石柱があり、『舩越鉈切神社』と彫られてあり、こちらの写真の『舩越鉈切神社・海南刀切神社 案内』の説明版でも確認出来る。さらに、「館山市立博物館」公式サイト内の「たてやまフィールドミュージアム」の「なたぎり」に拠れば、『船越鉈切神社の本殿は洞穴の中に建てられ、海神の御子・豊玉姫命(とよたまひめのみこと)を祀る。海南刀切神社の本殿は、高さ約』十メートルの『真っ二つに分かれている異様な形の巨岩の前に建てられている。この巨岩が二つに割れていることについては、対岸相模から来た神による大蛇退治の伝説などが伝えられている。 両社は鉈切大明神の上之宮と下之宮として一社一神とみなされ、互いに分かちがたく、海の神・海上安全の守護神として船乗りたちに崇敬されてきたようである』とあり(PDFの手書き地図もある)、『その他の文化財』に『独木舟(まるきぶね)』があり、『館山市指定文化財。この舟が当社に奉納されていることは、すでに水戸徳川光圀の大日本史に記載され、明治』二七(一九九四)『年に歴史家の岡部精一が調査したのをかわきりに、西村真次・松本信広ら戦前の研究者も調査しており有名である。しかし出土品でないため』、『年代の断定がむずかしく、由来についても古来より諸説紛々である。長さ』二メートル十九センチメートルとある。現行では一艘しかないようである。写真を探したが、ネット上にはなかった。なお、この巨石信仰(写真有り)、なかなかに興味深い。

「琉球より奉納ありしといふ説」如何も有力な説のように記しているが、これは考えられない。但し、琉球でニライカナイへの奉祝の行事が行われ、たまたまその祭儀に用いた沖に流す小舟が、たまたま流れつくことは、ないとは言えない。

 

Kaisyausinsennozu

 

キャプションは左幅左上に二行で、『海上(かいしやう)神舩(しんせん)』『の圖(づ)』である。]

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