柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「芭蕉の怪」
芭蕉の怪【ばしょうのかい】 〔中陵漫録巻三〕琉球は南方の大海中に在る小嶋故、種種の災害有り。その土民は大抵芭葛(バセヲフ)[やぶちゃん注:ママ。「ばせうふ」が正しいゐ。芭蕉布。]を著《ちやく》す。故に蕉園《せうゑん》とて芭蕉を植ゑたる園《ゑん》諸所にあり。二里も三里も続きて林のごとし。夜分、その下を往還すれば、果して異形《いぎやう》の者に逢ふと云ふ。案ずるに、凡そ諸草の中《うち》、芭蕉より大なる者なし。その精《せい》出《いで》て人を驚かすなるべし。日本にても信州に若き僧、書を読みて夜更に至る。傍《かたはら》を見れば美女一人来て媚《こ》ぶ。その僧、短刀を取りて切排(《きり》はら)へば、化《け》して見る所なし。翌朝その血の引きたる処を尋ねて往きて見れば、庭間の芭蕉切り倒して有るを見る。これ乃《すなは》ち芭蕉の精なり。また琉球にては、婦人、夜六時《むつどき》[やぶちゃん注:午後六時。]より他に出《いづ》る事なし。若し出る事あれば果して美しき男子《なんし》、或ひは種々の怪物を見る。これを見る時は必ず懐姙す。十月《とつき》して産すれば、鬼面の嬰児にして牙歯《げし》有りと云ふ。この時𥮷葉(クマザサ)を揉み粉《こ》にして、水に浸して飲ましむれば、忽ちに咽《のど》に塞《ふさが》りて死すなり。この時の為に家々に𥮷葉を取《とり》て貯へ置くと云ふ。一度《ひとたび》この児を孕むれば、毎年この児を孕むと云ふ。尤も人の知らぬやうにする事なり。これ等の災怪《さいかい》をふせぐには、日本刀を差して往還(ゆきき)すれば必ず逢ふ事なし。然れども、日本刀大禁にて彼《か》の地に入る事なし。希(まれ)に医者などは深更に往行《わうかう》する故、佩(おび)る者有りと云ふ。これ等の説、琉球人登川筑登(ヂクドン)の親しく余<佐藤成裕>に談《かた》りし事なり。<この事『中陵漫録』巻十三・十四にも見える>
[やぶちゃん注:「中陵漫録」「会津の老猿」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションのこちらから(『日本隨筆大成』第三期第二巻昭和四(一九二九)年刊)当該部が正字で視認出来る。標題は『○芭蕉の災怪』。
「芭蕉」単子葉植物綱ショウガ目バショウ科バショウ属バショウ Musa basjoo 。琉球諸島では、昔から、葉鞘の繊維を用いて、芭蕉布を織り、衣料などに利用していた。私の亡き母は鹿児島生まれで、芭蕉が好きだった。今の家の昔の庭には、表と裏に、都合、二株が植えられていた。
「登川筑登」正確に音写すると、「ぬぶんじゃーちくどぅ」であろう。「筑登之親雲上(ちくどぅんぺーちん)」という琉球王国の位階及び称号があり、位階は従七品で、領地(采地)は有しない。所謂、下級士族である。当該ウィキによれば、『琉球士族は、大きく分けて領地を有した殿内(とぅんち)、領地を有しない里之子家(里之子筋目)、筑登之家(筑登之筋目)に分かれる。筑登之親雲上は』、『もっぱら』、『筑登之家の者が昇進してなった。冠は黄冠をかぶり、銀簪を挿した』。『筑登之』(ちくどぅん)『家の者は、子→筑登之→筑登之親雲上→親雲上と出世していく。親雲上』(ぺーくーみー)『は地頭職で領地を有したが、筑登之家の者がここまで出世するのはまれであり、大抵は筑登之親雲上にとどまった。筑登之家は琉球士族の大半を占め、その』殆んどは『無禄士族であり、一握りの者だけが難関の科』(コー:中国の「科挙」に同じ)に『合格して、王府に勤め』、『俸禄をもらうことができた』とある。姓と思しい「登川」は、現在は地名で、沖縄県沖縄市登川(のぼりかわ(グーグル・マップ・データ)として残る。
「この事『中陵漫録』巻十三・十四にも見える」同前で視認して、「卷十三」の「蕉妖」、及び、「卷十四」の「芭蕉女子」の順に電子化する。読点を増やし。一部に記号を加え、改行・段落を成形した。読みは一切ないので、推定で歴史的仮名遣で附したが、一部に留めた。なお、後者の漢文部分には、リンク先では、不審な箇所が複数あるので、いつもお世話になっている「中國哲學書電子化計劃」の原本「庚巳編」(第五巻)の当該電子化、及び、所持する吉川弘文館『随筆大成』版で訂した。
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○蕉 妖(せふえう)
昔し、信州の某寺に一僧あり。
夜、書を讀(よみ)て、深更に至る。
一美人、來(きたり)て、此僧に戲(たはむ)る。
此僧、大に怒(いかり)て、此婦人を刀にて打(うち)、去(さ)る。
其歸路、皆、血點(ちてん)あり。
翌朝、其血を尋至(たづねいたり)て見れば、庭間(ていかん)の芭蕉(ばせう)、盡く、絕(たえ)て、地上に倒(たふれ)てあり。
人々、見て、皆、云(いは)く、
「此(これ)、芭蕉の魂(たましひ)、化生(けしやう)して、婦人となりたるべし。」
と云。
予、始め、此說を信ぜず。後、琉球人に會(くわい)して、琉球の蕉園の事を尋(たづぬ)るに、
「琉球は暖國にして、土民、皆、蕉布を着す。故に山野、皆、芭蕉を植(うゑ)て、糸を取(とり)て、此布を織る。此園を『蕉園』と云。此蕉(せふ)、甚だ、高大(かうだい)に至る、大樹の如し。雨中と雖も、雨の漏(もる)る事、なし。夜、深更に、此中を獨行(どくかう)する時は、必ず、蕉妖に逢ふ。其の形は、皆、婦人なり。敢て人を害する事、なし。只、人の其婦人を見て、驚くのみ。他の害ある事を聞(きか)ず。」
と云。
「此妖を防ぐは、日本の刀なり。『刀を帶(おび)て過(すぐ)る時は、此妖に逢ふ事、なし。』と云(いひ)て、各自、本刀を貴(たふと)ぶなり。」
此說を聞(きき)て、始(はじめ)て、信州の蕉妖を、信ずるなり。
又、按(あんづ)るに、此芭蕉と云者は、元來、草なり。草にして、長ずれば、大樹の如し。此勢を以て見れば、『草中の王(わう)』なり。其魂、化(け)して、妖を爲すべし。千年の大樹も、妖を爲す事、あり。乃(すなは)ち、此類ならむとは、云(いふ)べからず。
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○芭蕉女子(ぢよし)
予が著(しる)す「聞見小錄」にも載す。
又、前にも記すが如く、信州の一僧、夜間、書を讀む。美女、來(きたり)て、言語す。此僧、相應ぜずして、遂に、是を切る。忽(たちまち)に、地に倒(たふれ)て、往(ゆ)く處を、しらず。
明朝、其血を、尋至て、見れば、庭間の芭蕉一株、傷(きづ)せられて、倒(たふ)る。
是を見て、初(はじめ)て、芭蕉の靈たる事を知る、と云。
又、予、薩州に在(あり)て、常に琉球人に相逢(あひあひ)て、彼(か)の奇事を問(とふ)に、彼の地に「蕉園」と云(いふ)あり。數里の間、左右、皆、芭蕉、其高さ、三、五丈、其莖を切取(きりとり)て、水溝(みぞ)の中に浸して、其筋を取り、布に織る。乃(すなは)ち、「芭蕉布」なり。此故に、多く、是を植ゆ。
夜間、其間を獨行する時は、必ず怪に逢ふ。
その怪、多く、十七、八歲なる美女なり。人々、皆、是を恐る。彼の國、刀を佩(はけ)る者、なし。此中を過(すぐ)る時は、日本刀を帶(おび)て過れば、何の怪に逢ふ事、なし。
此故に、各々、日本刀を貴ぶ、と云。
按るに、芭蕉は、草中の最も高大なる者、此故に、此怪靈(かいれい)、出(いで)て怪を爲すべし。尤も、其蕉園は、月夜と雖も、葉、茂(しげく)して、暗く、殊に、獨行、甚だ、恐るべし。
此地は、狐狸、更になし。若(も)し、狐狸あらば、其怪、尙、且つ、多かるべし。
唐土(もろこし)にも「芭蕉女子」と云(いふ)事、あり。能く、此故(ゆゑ)に符合す。故に審(つまびらか)に此に記す。
『長洲陸燦曰。馮漢字天章。爲二吳學士一。居二閶門石牌巷口一。小齋庭前雜二植花木一瀟洒可ㇾ愛。夏月薄晚。浴罷坐二齋中榻上一。忽覩二一女子一。綠衣翠裳映ㇾ窓而立。漢叱二問ㇾ之一。女子斂衽拜曰。兒蕉氏也。言畢忽然入レ戶。熟二視之一。肌體纎姸。擧止輕逸。甚絕色也。漢驚疑二其非一ㇾ人。起挽ㇾ衣相二押之一。女忙迫截ㇾ衣而去。僅執得二一裙角一以置二所ㇾ臥蓆下一。明視ㇾ之。乃蕉葉耳。先ㇾ是漢甞贖二隣僧庵中一木一。植二於庭一。其葉所二斷裂一處。取二所ㇾ藏者一合ㇾ之。不ㇾ差二尺寸一。遂伐ㇾ之。斷二其根一有ㇾ血。後問ㇾ僧。云。蕉甞爲ㇾ怪惑二死數僧一矣。」』
此說、是れ、全く、芭蕉の怪なり。
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ここで示された漢文は、明の高級官僚であった陸粲(りくさん 一四九四年~一五五二年)が書いた志怪小説集「庚巳編」の一節である。訓読を試みる。ずっと以前から、よく読まさせて戴いているhuameizi氏の「寄暢園別館」の本篇の現代語訳「芭蕉」を参考にさせて貰った。
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長洲の陸燦曰はく、
馮漢(ひようかん)、字(あざな)は天章。吳の學士と爲(な)り、閶門(しやうもん)の、石牌巷(せきはいかう)の口(くち)に居(を)れり。
小さき齋庭(さいてい)[やぶちゃん注:書斎。]の前に、花木(くわぼく)、雜(いろいろ)に植ゑて、瀟洒(しやうしや)、愛すべし。
夏月(かげつ)、薄晚(ゆふぐれ)。浴し罷(をは)りて、齋の中(うち)の榻上(たふじやう)[やぶちゃん注:腰掛の上。]に坐すに、忽ち、一(ひとり)の女子(ぢよし)を覩(み)る。
綠衣・翠裳、窓に映(は)えて、立てり。
漢、之れを問ひ、叱る。
女子、斂衽(れんじん)して[やぶちゃん注:襟を正して。]、拜して曰はく、
「兒(じ)は蕉氏(せうし)なり。」
と。言ひ畢(をは)りて、忽然として戶(こ)に入る。
之れを、熟視するに、肌體(ひたい)、纎姸(せんけん)として[やぶちゃん注:容姿が、ほっそりとしていて美しく、艶(あで)やかであること。]、擧止、輕逸(けいいつ)、甚だ、絕色なり。
漢、驚き、其れ、人に非(あら)ざるを、疑ひ、起ちて、衣(ころも)を挽(ひ)き、之れを、相ひ押さへんとす。
女、忙-迫(いそ)ぎ、衣を截(た)ちて、去る。
僅かに、執(と)るに、裙(すそ)の角(すみ)を得(え)、以つて、臥(ふ)す所の蓆(むしろ)の下に置けり。
明(あ)けて、之れを視るに、乃(すなは)ち、蕉の葉のみ。
是れより先(さき)、漢、甞つて、隣りの僧庵の中(うち)の一木(いちぼく)を贖(あがな)ひ、庭に植ゑたり。
其の葉(は)、斷ち裂(さ)かされし處、藏(かく)せる者を取るに、之れに合(あ)ひ、尺寸も差(たが)はず。
遂(つひ)に、之れを伐(き)り、其の根を斷つに、血、有り。
後(のち)、僧に問ふに、云はく、
「蕉、甞つて怪(かい)を爲し、數(かずかず)の僧(そう)、惑(まど)ひ、死せり。」
と。
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