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2024/01/25

譚海 卷之六 房總行程幷七里法花・今井釜の神・きさらづ石像五百羅漢等の事

[やぶちゃん注:これまでのフライング単発で、推定歴史的仮名遣の読みは勿論、句読点・記号変更・追加、段落成形を行ってきた関係上、以下でも、読者の読み易さを考え、「卷之六」以降、それをルーティンに正式に採用することとする。]

 

○房總、陸地、江戶より「きさら津」へ、陸は十八里、船にては十三里、それより、陸行(りくかう)にて、「かなふ山」へ四里、「關」へ二里半、「小塚」へ二里、是、嶽州の中央なり。是迄は、逆旅(げきりよ)[やぶちゃん注:旅宿。]有(あり)。

 「小塚」より、南邊(みなみあたり)、濱路に成(なり)て、逆旅、なし。

 同所、「長さの栅(さく)」ヘは、「かなふ山」より、「砂村」・「まへ原」・「濱荻」といふ村をへて、「甘津」といふへ、分れて至るなり。

 南うらの道路は「淸すみ」・「小みなと」などへ出(いづ)る。

 是より東に「七里法華」と云(いふ)有(あり)、みな、日蓮宗のみ住所(すむところ)の村にて、六部(ろくぶ)のものなど過(すぎ)ても、その跡を箒(はふき)にて、はくごとくに、いみきらふ風俗也。

 又、「きさらづ」よりも外(そと)に、南海へゆく道路あり、此濱路、あひだあひだに、宿、まじりてあり。「小濱」・「幡澤」・「人見」・「大塚」・「ふつ津」・「八はた」・「天神山」・「今井村」・「ひやくし」、此(この)「百子(ひやくし)」は、はんじやうの町なり。「ふつ津」は、あら海の際(きは)なり。

 「今井村」に「釜の神」と云(いふ)あり、大(だい)なる鐵の釜のふた也。わたり、六尺ばかり、厚さ、五寸七分ほどにて、ふたつにわれてあるを、神にまつりたる也。むかし海中にありしときは、海、あれて、漁獵なかりしかば、取あげて鎭守とせる、とぞ。

 此へんより、日本寺の羅漢へ、ちかし。近來の製にて、石にて五百羅漢をゑりて、山中に充滿せり。みな、岩石をかたどり、洞口(ほらぐち)にえりたるなどにて、みな、丈(じやう)よのもの也、とぞ。

[やぶちゃん注:「きさら津」現在の千葉県木更津市(グーグル・マップ・データ。以下、同じ)。

「かなふ山」千葉県君津市にある鹿野山(かのうざん)。標高三百七十九メートル。旧上総国(千葉県中南部)の最高峰。

「關」千葉県富津市関

「小塚」千葉県鴨川市金束(こづか)であろう。

「嶽州」房州の山岳地帯の意か。

「長さの栅(さく)」これは現在の県道三十四号の長狭(ながさ)街道のことか。

「砂村」不詳。以下の順列から、前原の南方の海岸にある千葉県鴨川市磯村ではなかろうか。

「まへ原」千葉県鴨川市前原

「濱荻」千葉県鴨川市浜荻(はまおぎ)。

「甘津」千葉県鴨川市天津(あまつ)。

「淸すみ」千葉県鴨川市清澄(きよすみ)。

「小みなと」千葉県鴨川市小湊

「七里法華」小学館「日本国語大辞典」によれば、「七里ごとに法華の寺がある」の意で、千葉県の大網白里(おおあみしらさと)市や、東北で接する東金市附近には、極めて日蓮宗の信者が多いことを言う語で、単に「七里」とも言う、とあった。

「六部」は「六十六部」の略。本来は全国六十六か所の霊場に一部ずつ納経するために書写された六十六部の「法華経」のことを指したが、後に専ら、その経を納めて諸国霊場を巡礼する行脚僧のことを指すようになった。別称「回国行者」とも称した。本邦独特のもので、その始まりは聖武天皇(在位:神亀元(七二四)年~天平勝宝元(七四九)年)の御代からとも、最澄(神護景雲元(七六七)年~弘仁一三(八二二)年)の法華経書写を始めとするとも、もっと後の鎌倉初期ともされて定かではない。恐らくは鎌倉末期に始まったもので、室町を経て、江戸時代に特に流行し、僧ばかりでなく、俗人もこれを行うようになった。男女とも鼠木綿の着物に同色の手甲・脚絆・甲掛(こうがけ:足の甲に掛けて日光や埃を避ける布)・股引をつけ、背に仏像を入れた厨子を背負って鉦(かね)や鈴を鳴らして米銭を請い歩いて諸国を巡礼した(ここまでは主に小学館「日本大百科全書」を参考にした)。後には巡礼姿で米銭を請い歩くのを目的とした乞食も、かく呼んだ。「法華経」崇拝ではあるが、元々は真言宗系から派生したものであるため、日蓮宗徒は排斥するのである。そのそも日蓮宗はファンダメンタルな傾向が強く、中でも、最も過激な不受不施派(「不受」は他宗の信者や未信者から供養・施物を受けないことで、「不施」は他宗の僧に布施供養をしないことを指す)は江戸時代も禁教であった。

「小濱」千葉県木更津市小浜(こばま)。

「幡澤」千葉県木更津市畑沢(はたざわ)であろう。

「人見」千葉県君津市人見

「大塚」不詳。君津市には大塚山があるが、順列からは、南東に片寄り過ぎになる。

「ふつ津」千葉県富津市の市街地。

「八はた」千葉県君津市八幡(やわた)。

「天神山」千葉県富津市海良(かいら)にある天神山城跡附近か。

「今井村」「釜の神」一の順列が大きく北へ変わるが、現在の千葉県袖ケ浦市今井にある神明神社ではないか? この神社は現在も「湯立神事」が行われており、境内に置かれた大きな釜に湯を沸かし、そこへ隈笹を浸して、参詣者に振りかけ、疫病退散を祈願している。作者の津村は、実際に自身で踏破して書いた記事は少ない。本篇も聴書に基づくものであろうと思われ、こうした齟齬があっても、私は不審ではない。

「ひやくし」「百子」不詳。識者の御教授を乞う。

「日本寺」千葉県安房郡鋸南町(きょなんまち)元名(もとな)にある曹洞宗乾坤山(けんこんざん)日本寺にある県指定名勝である「東海千五百羅漢」がある。]

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