甲子夜話卷之八 11 國々氣候殊なる事
[やぶちゃん注:これまでのフライング単発で、恣意的正字化変換や推定歴史的仮名遣の読みは勿論、句読点・記号変更・追加、段落成形を行ってきた関係上、以下でも、読者の読み易さを考え、「卷之七」の後半で既にその処理を始めているのだが、それをルーティンに正式に採用することとする。なお、カタカナの読みは、静山自身が振ったものである。]
8―11 國々氣候殊(こと)なる事
大洲侯に邂逅(かいこう)せしとき、國々の寒暑の談に及び、我、平戶の氣候を、かたり、
「扨(さて)、豫州も、海、近ければ、夏も涼しかるべし。」
と言(いひ)しに、侯の臣、堀尾四郞次、其坐にありて、曰(い)ふ。
「曾て、しからず。暑(あつさ)、至(いたつ)て甚し。盛暑に至りては、途行(みちゆき)するに、炎氣、黃白色を、なし、空中に散流(さんりう)し、人目を遮り、前行(まへゆく)十步なる人は、殆ど、見へ分(わか)たず。其蒸熱(じやうねつ)、堪(たへ)がたし。加如ㇾ斯(かくのごとき)なれば、途行するもの、靑傘【涼傘(りやうさん)[やぶちゃん注:日傘。]也。靑傘は豫州の方言。】を用(もちひ)ざれば、凌(しのぎ)がたし。然るに、近頃、靑傘をさすこと、停止(ちやうじ)せられしかば、暑行(しよかう)、尤(もつとも)難儀なり。」
と語りぬ。
國々によりて、暑氣の厚薄(こうはく)もある中に、豫州は、殊更に、甚しく異なること也。
■やぶちゃんの呟き
「大洲侯」伊予国大洲藩の第九代藩主加藤泰候(やすとき 宝暦一〇(一七六〇)年~天明七(一七八七)年)であろう。彼は静山と生年が同じである。過去形で記しており、昔の記憶で記したものととっておく。但し、第十代藩主加藤泰済(やすずみ)、或いは、第十一代藩主加藤泰幹の可能性もなくはない。実際に、同一人物かどうかは判らないが、泰幹の代の文政一一(一八二八)年の同藩の史料に、『堀尾四郞治』なる名を見出せるからである。
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