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2024/01/11

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「弁才天奇談」 / 「へ」の部~了

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 本篇を以って「へ」の部は終わっている。]

 

 弁才天奇談【べんざいてんきだん】 〔譚海巻五〕和州長谷<奈良県磯城郡初瀬町か>の僧何某、勤修《ごんしゆ》多年に及びけるが、寺中に弁才天の木像を安置せる所有り。時々参りて法施奉り拝み奉りけるに、弁天女の形殊に端麗に覚えて、いつとなくなつかしく忘れがたければ、しきりに参りて拝みまゐらするまゝおほけなく恋慕の心おこりて、いかにしても世中にかゝる女あらば、一期《いちご》の思ひ出に逢見《あひみ》てましなど、あらぬ事に心移りて破戒の事も思はず、今はつやつや物も覚えず、病《やまひ》にふしてあかし暮しけり。おもふあまりの心を、天女もあはれとみたまひけるにや、ある夜うつゝの如く、弁才天この僧にまみえ給ひて、汝がよしなき心を起して、年頃の勤行いたづらにせん事、浅ましくおもふ儘かく現じ来りたり、この事かまへて人に語るなと、いたく口堅《くちがた》めましまして、天女僧のふすまに入り賜ひぬ。僧喜こびにたヘず、夫婦の語らひをなしつ。かくて心ものどまり[やぶちゃん注:「和(のど)まる」。落ち着き。]、病もまた怠り[やぶちゃん注:ここは「病気が癒える」というポジティヴな意。]ぬれば、勤修ますますたゆみなくはげみける。それより後は夜々天女ましまして、僧と語り給ふ事絶えず、月日を経てこの僧心にうれしく思ふ余り、ふと同法《どうほふ》の親しき物語りの序(ついで)に、かゝる事もありけるとほのめかしけるその夜、また天女おはして、殊にいかり腹立ち賜ひて、汝がまよひをはらして成仏の縁をとげしめんためにこそ、かりそめにかく契りはかはしつるを、はかなくも人にもらしつる、今はかひなし、汝がもらす所の慾のかへし与ふるぞとて、つまはじきして去り賜ふ。その時あまた水の面《おもて》にかくると覚えしが、やがてこの僧らいびやうをやみて、いく程なく身まかりぬといへり。ふしぎの事にこそ。

[やぶちゃん注:私の「譚海 卷之五 和州初瀨の僧辨財天に値遇せし事」を参照されたい。

「和州長谷」「奈良県磯城郡初瀬町」現在は奈良県桜井市初瀬(はせ:グーグル・マップ・データ)。]

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