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2024/01/05

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「化物太鼓」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 化物太鼓【ばけものだいこ】 〔反古のうらがき巻三〕番町<東京都千代田区内>の化物太鼓といふことありて、予<鈴木桃野>があたりにてはよく聞ゆることなり。これは人々聞きなれて、別に怪しきことともせぬことなり。霞舟翁が知れる人に、この事を深くあやしみて、或夜その声の聞ゆる方をこゝろざして尋ね行きけるに、人のいふに違はず、こゝかとおもへばかしこなり。またその方に行きてきくに又こなたなり。市ケ谷御門内<新宿区内>より三番町通り、麹町飯田町<千代田区内>上あたり、一夜の内尋ねありきしが、定かに聞き留《とどむ》る事なくて、夜明近くなりておのづから止みぬ。果して化物の所為なりとて、人々にかたりて恐れあへり。予が中年の頃、番町の武術の師がり行きて、そのあたりの人々が語りあふを聞くに、凡そ太鼓笛の道は、馬場下に越《こえ》たる所なし。稲荷の祭り鎮守の祭りとふにて、はやしものする人をめして、すり鉦太鼓をうたすに、同じ一曲のはじめより終りに、一手も違ひなく合奏するは稀なり。まして他処《よそ》の人を交へてうたする寺は、おもひおもひのこと打いでて、其所《そのところ》々々の風あり。馬場下の人はそれにことなり、その一トむれはいふに及ばず、他処の人なれば、其所々々の風に合せて打つこと、一手もたがひなし、吾輩かく迄はやしものに心を入れて学ぶといへども、かゝる能《のう》は得がたしといひけり。予これを聞きて、さてはおのおの方にははやしものを好み玉ふにや、されども稲荷の祭りの頃などこそ打ち玉ふらめ、その間には打ち玉ふことなきによりて、その妙にいたり玉ふことのかたきなるべしといひければ、いやさにあらず、吾輩がはやしは毎夜なり、凡そ番町程はやしを好む人多きところも稀なり、けふは誰氏《だれうぢ》の土蔵のうちにて催し、あすは何某氏が穴倉の内にて催すなど、やむ時は少なしといヘり。予これにて思ひ合《あは》するに、かの化物太鼓はまさにこれなり。たゞしあたりの聞えを憚るによりて、土蔵穴蔵に入りて深くとぢこめてはやすなれば、そのあたりにてはかへりて聞えずして、風につれて遠き方にて聞ゆるに極まれり。さればこそそのはやしの様《さま》、拍子よく面白くはやすなりけり。これを化物太鼓といふもむべなる哉とて笑ひあへり。先の巻に、物のうめく声の遠く聞えしくだりをのせたり。これをおもひ合せて見れば、事の怪しきは、みな箇様《かやう》のことのあやまりなりけり。

[やぶちゃん注:私の「反古のうらがき 卷之三 化物太鼓の事」を見られたい。実はこの話、以前に、私は二度、電子化している。初回は宵曲の「妖異博物館」の「狸囃子」の注で、今一つは、「諸國里人談卷之二 森囃」である。但し、擬似怪談で、好きな話では、ない。]

〔甲子夜話続篇巻四十六〕予<松浦静山>が荘《さう》のあたり、夜に入れば時として遠方に鼓声聞ゆることあり。世にこれを本荘《ほんさう》七不思議の一と称して、人も往々知る所なり。因てその鼓声をしるべに其所に到れば、また移りて他所に聞ゆ。予が荘にては辰巳に当る遠方にて、時として鳴ることあり。この七月八日の夜、邸の南方に聞えしが驟(には)かに近くなりて、邸中にて撃つかと思ふばかりなりしが、忽ちまた転じて未申の方に遠ざかり、その音かすかになりしが、頓(やが)て殊に近く邸内にて嗚らす如くなり。予は几《つくへ》に対して字を書《かき》しゐしが、侍婢など懼(おそ)れて立騒ぐゆゑ、若しくは狡児(かうじ)が所為かと人を出して見せしめしに、近所なる割下水迄はその声を尋ねて行きたれど、鼓打つ景色もなく、又その辺にも問ひても、誰《たれ》もその夜は鼓を撃つことも無しと答へたり。その音は世の宮寺などに有る太鼓の、面《めん》の径(わた)り一尺五六寸ばかりなるが、表の革はしめり、裏皮は破れたる者の音の如く、また戸板などを撲(う)てば調子よくドンドンと鳴ることあり。その声の如く拍子は始終ドンツクドンツクドンドンツクツクドンツクドンツクドンドンツクツクとばかりにて、この二つの拍子、或ひは高く或ひは卑《ひく》く聞ゆ。何の所為なるか、狐狸のわざにもある歟(か)。欧陽氏聞かば『秋声賦』の後《あと》また一賦の作有るべし。

[やぶちゃん注:事前に「フライング単発 甲子夜話續篇卷四十六 16 本莊七不思議の一、遠鼓」として注を附して公開しておいたが(そちらでは最後の太鼓の音が異なる)、実は既にやはり宵曲の「妖異博物館」の「狸囃子」の注で電子化してある。]

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