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2024/01/12

譚海 卷之八 同國定元村萬立寺住持旦那を取殺したる事(フライング公開)

[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。特異的に句読点・記号の変更・追加と、読みを加え、段落も成形した。なお、標題の「同國」は前の条が『上總國』で始まることによる。]

 

 同國定元(さだもと)村と云(いふ)所に、萬立寺(まんりゆうじ)と云あり。

 眞言宗にて、昔、玄慧(げんゑ/げんね)法師と云(いふ)、住持せしが、此法印、金子(きんす)抔(など)、おほくありて、富有(ふいう)の人なりしが、其旦那に、江尻五郞右衞門といふもの、あり。

 年貢の上納に差支(さしつかへ)て、住持に、金子無心せしかども、承引(しやういん)せざりしかば、それを、いきどほり、おもひて、この法印、ある婦人と密會せし事を、歌に作りてうたひ、人にも、をしへて、「田植うた」にも、させしかば、其沙汰、ひろがりたるを、法印、聞(きき)て、

『無實の難にあへること、殘念、至極。』

に思ひて、ある時、非時(ひじ)をまうけて、旦那中(だんなぢゆう)を招(まねき)ければ、皆、寺ヘ參りたる中に、五郞右衞門も、まじりて、なまじひに[やぶちゃん注:行かずともいいのに(~する)さま。]行(ゆき)ければ、法印、悅びたる體(てい)にて、非時、終り、酒など、こゝろよくすゝめて、事、終り、皆々、歸らんとせし時、法印、五郞右衞門を呼(よび)とめて、眠藏(めんざう)[やぶちゃん注:禅宗で僧の寝所としたり、家具を仕舞って置いたりする部屋。寝室・納戸(なんど)の類。]より、金(かね)の入(いり)たる財布を持出(もちいで)、五郞右衞門に云(いひ)けるは、

「先年、その方、金子無心いひたるを、用(よう)たらざるを、意趣にふくみて、我等事(こと)、婦人と密通せしよし、無實の事を歌に作りて、恥をあたヘられたる事、思ふに、無念、止(やむ)事、なし。かゝるあだに、せらるゝも、此金、ゆゑなり。」

とて、其儘、財布を、猛火(みやうくわ)の内へ投入れければ、金子、燒(やけ)とろけて、あをきほのほ、燃えあがりしに、あはせ、法印のいかりたるさま、見るにたえず、五郞右衞門、おそれ、歸りしかば、法印は、其儘、自害して失せける、とぞ。

 其後(のち)、三代を經て、證宥阿闍梨(しやういうあじやり)といふ僧、暫く、此寺に住持せしに、ある日、客殿のかた、大(おほい)に震動して、物音、けしからず、聞えければ、行(ゆき)て見られしに、したゝかなる大蛇(だいじや)、現じて、柱に卷付(まきつき)て、あり。

 阿闍梨、是を見て、

「いかなる化生(けしやう)なれば、かゝるあやしき體(てい)をば、見するぞ。」

と、いはれて、此蛇、忽ち、消えうするごとくなくなりけり。

 この時、さも、わびしげなる僧衣(そうえ)を著)き)て、入來(いりきたり)て、阿闍梨にむかつて、申(まふし)けるは、

「拙僧は、三代先(さき)の住待玄慧と申(まふす)者なり。この旦那、江尻五郞右衞門爲(がため)に、無實によりて、死(しし)たりしが、怨(うらみ)、晴(はれ)ずして、明日(あす)は、終(つひ)に、五郞右衞門を取殺(とりころ)し侍る。但(ただ)、こひねがはくは、阿闍梨、引導を、渡したまはるな。」

と、いひければ、證宥、答(こたへ)けるは、

「それは、さもあるべき事ながら、この寺の旦那、死(しし)たるに、引導を、たのまれ、それをせざらんも、いかゞなり。先づ、我等、引導をして、松明(たいまつ)をなぐるまでは、待たれよ。」

と、いひければ、領掌して、行(ゆき)かたなくなりけり。

 翌日、はたして、五郞右衞門、死て、葬禮を出(いだ)し、寺近き野に、棺をたて、引導せられしに、其禮(そのれい)、濟(すむ)と、そのまゝ、空、かきくもり、大雷(おほかみなり)落(おち)かゝりて、五郞右衞門が死骸を、とりて、さりたり。

「後(のち)に尋ねたれば、首は、旗澤(はたざは)の淺間明神(せんげんみやうじん)の社内にあり、片足は、ちぎれて、同國加納山の車切地藏と云ふ所の、松の木の上に有(あり)つる。」

とぞ。

「明曆(めいれき)年中の事にて、よく、其所の人は知(しり)て、語りつたふる事。」

と、いへり。

[やぶちゃん注:「同國」(=上總國)「定元(さだもと)村と云ふ所に、萬立寺(まんりゆうじ)と云ふあり」「眞言宗」調べた結果、旧上総国内で、現在の千葉県君津市元(さだもと)に、真言宗豊山派八幡山満隆寺(まんりゅうじ)があるので、それであろう。法印の怨霊による凄惨な事件であるから、地名と寺名を変名したものかと思われる。

「玄慧法師」底本では、編者の竹内利美氏によって、「慧」の右に誤字訂正傍注で、『(惠)』とあり、「師」の右に同じく『(印)』とある。後者は極めて納得出来る補正であるが、前者は、何故、法印名が、「玄慧」は誤りで、「玄惠」が正しいとし得るのかが、私には全く分からないのである。しかも、この訂正注は、本文の後の方の怨霊が名乗るところにも、しっかり附されてあるのである。この奇怪な事件は、少なくとも、ネット上には、実際の事件としては、どこにも語られていない。他に、「譚海」よりも、古いソースの信頼出来る資料・随筆があるとするなら、この修正補注に文句はない。だが、国立国会図書館デジタルコレクションの検索で「上總 貞元 法印」のフレーズで探したが、それらしいものは、見当たらなかった。そして、これについての竹内氏の後注は、底本には、ない、のである。竹内氏は何を以って、この補正注をしたものか、解し兼ねるのである。何故なら、同名異人の実在した過去の法印に、鎌倉末期から南北朝時代にかけて活躍した天台宗の僧で儒者であった「玄慧(げんゑ)法印」(「玄惠」とも書き、「げんね」とも読む)が実在するのである。竹内先生は既に鬼籍に入っておられ、その答えをお伺いすることは、残念ながら、出来ない。

「非時」狭義のそれは、以下である。仏教僧は、原則、食事は午前中に一度しか摂れないとされ、それを「斎時(とき)」と呼ぶ。実際には、それでは、身が持たないので、「非時」と称して午後も食事をするのである。但し、ここは、極めて珍しい用法で、「僧侶である法印が、午後に、檀家の者たちを饗応するために設えた食事」の意である。

「棺をたて」この棺桶は、当時、普通であった座棺のそれだから、「立て」なのである。

「旗澤の淺間明神」現在の千葉県木更津市畑沢(はたざわ)にある旗沢浅間(はたざわせんげん)神社(グーグル・マップ・データ)。満隆寺の北北西三キロメートル強。

「同國加納山の車切地藏」満隆寺の南東九キロメートル弱の位置にある君津市内の鹿野山(かのうざん)であろう(グーグル・マップ・データ)。但し、「車切地藏」は不詳。

「明曆年中」一六五五年から一六五八年(明暦四年七月二十三日(グレゴリオ暦一六五八年八月二十一日に万治に改元)までの期間を指す。徳川家光の治世。]

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