甲子夜話卷之八 10 權家への贈遺、古人は鄙劣ならざる事
[やぶちゃん注:これまでのフライング単発で、恣意的正字化変換や推定歴史的仮名遣の読みは勿論、句読点・記号変更・追加、段落成形を行ってきた関係上、以下でも、読者の読み易さを考え、「卷之七」の後半で既にその処理を始めているのだが、それをルーティンに正式に採用することとする。なお、カタカナの読みは、静山自身が振ったものである。]
8-10 權家への贈遺(ざうい)、古人は鄙劣(ひれつ)ならざる事
前人《ぜんじん》[やぶちゃん注:ここは「昔の人」の意でとっておく。]、又、云(いふ)。
「昔とても、權勢(けんせい)の人へは、贈遺もあれど、近來(ちかごろ)の如き鄙劣[やぶちゃん注:「卑劣」に同じ。]なることは、無きことなり。今、姬路の酒井家、もと、前橋を領して、大老、勤られしとき、仙臺より、大筒二十挺(ちやう)、贈りし。」
とぞ。
「一挺を、車一輛に載る重さなりし。」
となり。
「今、その筒、江戶と姬路に、半(なかば)づつ藏す、と聞く。その時、鍋島家よりは、伊萬里燒の鱠皿(なますざら)・燒物皿・菓子皿・猪口(ちよく)・小皿等、凡(およそ)、膳具に陶器にて用ゆべき程の物を、千人前にして、送りし。」
となり。
「只今、尋常の客に、掛合(かけあひ)の膳を供するとき、やはり、その陶器を用ゆ。多くは敗損せしが、三ケ一(さんがいち)は、尙、殘れり。」
となり。
「又、高崎侯の祖【諱、輝貞。松平右京大夫。】、元祿中、殊更、御眷注を被(こうむ)られしかば、人々の奔走もありしが、一日(いちじつ)、加賀侯、訪問にて、面話(めんわ)のとき、
『何ぞ進上と存ずれども、事缺(ことかく)るべきにも無(なけ)れば、空しく打過(うちすぎ)ぬ。「馬を好まれ候。」と承りぬれば、國製(くにのせい)の鐙(あぶみ)にても進じ候半歟(さふらはんか)。』
などゝの物語なりしかば、
『厚意、忝(かたじけ)き。』
の旨、挨拶、あり。
加侯、歸邸の後(のち)、使者を以て、鐙、百掛、贈られけり。
『折角の厚情なれば。』
迚(とて)、厩に繫げる馬百疋に、鞍、置(おか)せ、其鐙を掛け、使者に付(つけ)て、卽時に、加邸へ牽(ひか)せ、
『此通り、用ひ、忝(かたじけなき)。』
旨(むね)の謝詞(しやし)ありし。」
となり。
此頃の風儀は、信(まこと)に感じ入(いり)たる事、ならずや。贈る人も、受(うく)る人も、孰(いづ)れを、いづれとも、云(いひ)がたし。
■やぶちゃんの呟き
「贈遺」人に物を贈ること。
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