フライング単発 甲子夜話卷九 3 肥前佐嘉にては火毬降ることある事
[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして、句読点の変更・追加と、読み・記号・改行・段落を加えた。]
吾が永昌寺の隣の宗源寺の住持を順道と云ふ。肥前佐嘉領の人なり。
「永昌寺に語れり。」
とて、聞く。
「佐嘉にては、時として、天より、『火毬(ひまり)』、降ることあり。里人、テンビと謂ふ。」【「テンビ」は「天火」なるべし。】
「火毬、おつると、地上を轉(てん)ず。人、これを、視れば、卽(すなはち)、簇(むらが)り、逐(お)ふ。逐ふとき、念佛を高唱(かいしやう)す。逐へば、乃(すなはち)、囘轉して逃(にぐ)るが如し。因(よつ)て、郊外に逐ひ行きて、野に轉(ころ)び入(いれ)ば災(わざはひ)、なし。逐はざれば、人家に轉び入(いり)て、火を發す。」と云ふ。
奇なること也(なり)。
■やぶちゃんの呟き
「永昌寺」佐賀県杵島(きしま)郡白石町(しろいしちょう)横手(よこて)のここ(グーグル・マップ・データ。以下同じ)に現存する。
「宗源寺」永昌寺の周辺には、現在、この名の寺はない。かなり離れた佐賀市のここに「宗源院」ならあるが、これが移転したものか、ただの偶然の名の一致かは、不明。
「肥前佐嘉領」佐賀郡に同じ。古代から江戸時代まで、両方の表記が存在した。
「火毬」正体不詳。
« フライング単発 甲子夜話卷十八 16 人魂を切て病癒る事 | トップページ | 譚海 卷之六 同國秋葉山權現の御事(フライング公開) »