譚海 卷之十 藝州廣島城下はたはたといふ化物の事(フライング公開)
[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。特異的に句読点・記号の変更・追加と、読みを加え、段落も成形した。]
○藤州廣島の城下、六丁目と云(いふ)所には、「ばたばた」と云(いふ)物、有(あり)。
是は、世にあまねく知(しれ)たる化物(ばけもの)なり。夜に入(いり)ぬれば、いつも、空中にて、人の、筵(むしrを)をうち、ちりなどはらふごとき音して、
「ばたばた。」
と鳴(なり)わたる、戶を出(いで)てうかゞヘば、かしこに聞ゆ。
夫(それ)を尋ねゆきてみむとすれば、又、こなたに、ひゞく、つひに、其所を、たしかにみとむる事、なし。
又、いかなるものの、此音をなすといふ事を、あきらかにする事も、なし。
年月かさねて、只、かく、毎夜ある事なれば、其(その)國人(くにびと)は、あやしまずしてあることなり。
[やぶちゃん注:「バタバタ」妖怪「畳叩き」(たたみたたき)の別名。当該ウィキによれば、『畳叩き』『は、和歌山県、山口県、広島県、高知県に伝わる怪音現象』で、『夜中に畳を叩くような音が聞こえる』怪の正体とする。『和歌山では宇治という町に出たので』、「宇治のこたま」とも『呼ばれた。紀州藩編纂の地誌』「紀伊続風土記」(天保(一八三〇年~一八四四年)年間成立)に『よれば、冬の夜明け頃』、『バタバタという音が東から聞こえ始め、西へ去っていくので』、「バタバタ」とも『呼んだという』。「岩邑怪談録」(がんゆうかいだんろく:江戸後期から明治時代にかけて、岩国で語られていた怪談話を纏めたもの。戦後の出版)では、『破多破多という字を当て、山口県岩国で文久年間の秋から冬にかけての時期に起こった現象で、午後』十『時頃から』、『翌朝未明まで』、『渋紙を打つような、もしくは』、『大きなうちわを激しく仰ぐようなバタバタという怪音が町中で聞こえたという』。『広島でも同様の怪異があり、冬の夜に屋根の上や庭で、あたかも畳を杖で叩くようにバタバタと音がしたことから、バタバタ、もしくはパタパタとも呼ばれた』(本件)。『この怪異の原因は』、『そこにある』、『触ると』、『痕になる石の仕業とされ、その石をバタバタ石と呼んだ』。『安政時代の随筆』「筆のすさび」に『よれば、ある物好きな人が正体を見極めようと、音の方向を追いかけたところ、常に』七、八『間』、『先から音がしてきりがなかったという』(本件と同じ)。『また』、『ある人は、バタバタ石の中から小人が現れて石を叩いているのを見つけ、捕まえようとしたが』、『石の中に戻ってしまったので、石を持って帰ったところ、石と同じような痣が顔にでき、慌てて』、『石をもとの場所へ戻すと、痣も消えたという』。『高知では』、『屋敷に住む狸の仕業とされ、屋敷や近隣では聞こえず』三百『メートルほど』、『離れた場所で聞こえるという』。『ポルターガイスト現象だという説もある』とあった。
「六丁目」「広島市」公式サイト内で閲覧出来る江戸時代の広島城下の絵図を見たところ、単に「六丁目」と記す箇所は、広島平和記念資料館の裏側、元安川左岸直近(この中央附近:グーグル・マップ・データ)にあった。]
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