柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「布団と金」
[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。
読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。
また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。
なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。]
布団と金【ふとんとかね】 〔甲子夜話続篇巻二十八〕八丁堀<東京都中央区内>の辺とか、火にとりまかれたる中、一人は川に入り、ふるき布団を水に浸し、火来れば輙(すなは)ちこれを冒(かぶ)りてその苦を凌ぐ。一人は金六十両を懐にせしが、一身を置くに所なし。依《よつ》て言《いひ》て曰く、汝が布団を我に与へよ、我六十金を汝に授けん、その人布団を与へ、その金を取《とり》て懐にし、火中を走《はしり》て脱《のが》れ出《いで》んとす。然《しか》れども烈火猛火《みやうくわ》、竟(つひ)に焚(や)け仆《たふ》れて命《いのち》終《を》ふ。されども抱《いだ》きゐしなれば、手と腹は焼けずして、金、猶、灰底《はひぞこ》に存せり。布団を買ふ者はそれに拠《よつ》て炎火を凌ぎ命を全うせりと。<この火事は文政十二年三月廿一日、東京都千代田区神田佐久間町より起りたる大火なり。『なゝしくさ』(細川潤次郎)に「何《いつ》の頃にかありけん」とてこの話を記す。たゞ百両と六十両の相違あるのみ>
[やぶちゃん注:事前に「フライング単発 甲子夜話續篇卷二十八卷 4 三月ノ大火、二事」を公開しておいた。
「なゝしくさ」「細川潤次郎」(天保五(一八三四)年~大正一二(一九二三)年)は幕末の土佐藩藩士にして、明治・大正期の法制学者・教育者。本名は元(はじめ)。参照した当該ウィキによれば、『政治的要職としては』、『司法大輔・貴族院副議長位であったが、日本の近代法導入の功績に関しては』、『江藤新平と並んで高く評価されている。また、福沢諭吉に明治新政府に出仕するよう』、『最後まで説得にあたった』人物として知られる。「なゝしくさ」は随筆。明治三〇(一八九七)年刊。上下二冊。国立国会図書館デジタルコレクションで刊本が視認出来るが、これ、手書き文字を謄写したもので、ちょっと手間取ったが、発見した。ここの左丁の八行目の途中から、『何の頃にかありけん東都の大火に逃て迷ひたる折しも夜嵐つよくして……』とあるのがそれである。確かに、そこでは『百兩』となっている。]
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