譚海 卷之六 公卿園池殿鯉魚狂歌の事
[やぶちゃん注:これまでのフライング単発で、推定歴史的仮名遣の読みは勿論、句読点・記号変更・追加、段落成形を行ってきた関係上、以下でも、読者の読み易さを考え、「卷之六」以降、それをルーティンに正式に採用することとする。]
○堂上、園池殿(そのいけどの)、碁を好(このま)せらるゝにより、いつも、川井某といふ町人、御相手にて、まゐりけり。
一日(あるひ)、川井、まゐりたるが、不快になりて、雜掌の部屋へ入(いり)、臥(ふし)て居《ゐ》たるに、をりふし、鍼醫、參ければ、園池殿、
「よき折也。川井、療治してもらふべし。」
とて、鍼治ありけり。
その後(のち)、川井、謝禮のため、鯉、二喉(ふたくち)、とゝのへ、右の醫師へおくりけるを、醫師、
『あまり、めづらしきものゆゑ、わたくしにたべ候も、をしき事。』
と、おもひて、やがて、園池殿へ、まゐらせけるを、園池どの、又、川井へ、つかはされければ、川井、そのこゝろを得て、あるとき、醫師に逢(あひ)たるに、
「さてさて、先日は、『御禮のため、せめて、召(めさ)るゝやうに。』とて、わざわざ、鯉、とゝのへて迄(まで)し候を、むなしく、よそヘ、おくられぬる事、わたくし、ぞんずるやうにも無ㇾ之、ざん念なる事。」
と申(まふし)ければ、毉師、赤面におよび、園池殿へ、まゐりて、川井が右のものがたり、申上ければ、わらはせ賜ひて、硯、引(ひき)よせて、書(かき)給ひぬる狂歌、とぞ。
はりさきで釣にし鯉を園池へ
はなてばもとの川井にぞ行(ゆく)
[やぶちゃん注:この話、人名表記に異同があるが、全く同じ内容のものが、「耳囊 卷之二 公家衆狂歌の事」にある。そちらで注もしてあるので、参照されたい。]