譚海 卷之九 攝州箕面辨財天の事
[やぶちゃん注:「攝州箕面」(みのお)「辨財天」は大阪府箕面市箕面公園(グーグル・マップ・データ。以下、無指示は同じ)にある本山修験宗(ほんざんしゅげんしゅう)の箕面山(みのおさん)瀧安寺(りゅうあんじ)。本尊は弁財天で、「日本四弁財天」(他の三つは厳島・竹生島・江の島)に数えられ、寺伝によれば斉明天皇四(六五八)年(一説に大化六・白雉元(六五〇)年)に役小角が箕面滝の下に堂を建て、本尊の弁財天像を安置して「箕面寺」と命名したのが創建とされている。また、ここは「宝くじ」の起源である「富籤(とみくじ)発祥の地」ともされる。ここに出る瀧は「箕面大滝」(サイド・パネルの画像も見られたい)で、同地区の最北の部にある。サイド・パネルに多数の写真がある。なお、本文内の「箕尾」の表記は総てママである。前話とは名瀧繋がり。]
○攝州箕尾山の辨才天は、大坂より有馬のかたにあたりて、往還五日ばかりなり。「唐人(たうじん)もどり」などいふ大石山路(だいせきさまぢ)にさしかゝり、其下をくゞりて往來する、おそろしきところなり。
[やぶちゃん注:「唐人もどり」「箕面大滝」手前約四百五十メートル手前のここにある。「箕面市商工観光課」作成の写真入り解説によれば、『大門橋にさしかかるところに』二『つの大きな岩が道を塞ぐようにしてそびえています。これが唐人戻岩です』。『昔、この付近が山深く険阻なころ、唐の貴人が箕面大滝の評判を聞き、この巨岩まで来たが、あまりの山道の険しさに恐れをなし引き返したとの伝説があり、唐人戻岩(とうじんもどりいわ)という名が付いたといわれています。岩の高さ約』七・五、幅七・三メートルのものと、『高さ』七・〇三、幅二・一メートルの『ものとの』二『つで成っています』とある。]
「箕尾のたき」は、那智に比して、「本朝、第二の物。」と稱す。瀧坪まで岩を傳ひのぼらるゝ道あり、高山より、おつるたきなれども、おそろしからず。
「瀧の岩ほの肩に、一筋(ひとすぢ)、水の、橫へはしる所、有(あり)。下より望めば、髮の毛を、一すぢ、みだしたる如く、殊にしほらしく、此水、一筋によりて、瀧の景色をそへたる事、たぐひなし。」
といへり。[やぶちゃん注:サイド・パネルの現在の多数の瀧の画像では、残念ながら確認出来ない。]
頂上の瀧坪には、神龍、住(すみ)てあり。廣さ一丈ばかりの所より、終年、水、わき出て落(おつ)る淵、靑く、そこひ[やぶちゃん注:「底ひ」。瀧壺の底。]もなく見えて、立(たち)やすらひがたく、おそろしきさまなり。
「日でりにあひて、雨をいのるには、あたらしき馬の沓(くつ)、かたかた[やぶちゃん注:片一方。]を、瀧つぼへ投入(なげい)るれば、卽時に、大雨、降る。」
といひ侍ふ。