譚海 卷之八 備前家士詠歌幷ひちりきの事
[やぶちゃん注:「ひちりき」は「篳篥・觱篥」で、雅楽用の管楽器。大と小とがあったが、現在残っているのは、小篳篥で、長さ六寸(約十八センチメートル)の竹管(ちくかん)に、前面に七個、後面に二個の指穴を開け、指穴を除いた部分に樺の皮を巻き、上端の部分に「舌(した)」或いは「蘆舌(ろぜつ)」と称する蘆(あし)製の二枚のリードを差し込んだもの。西アジアに起こり、日本には奈良時代初期に中国から伝来した。音は鋭く、哀愁を帯びる。その大きく長いものを大篳篥というが、平安中期には廃絶した。「ひりつ」とも呼ぶ。参照した「精選版 日本国語大辞典」の当該項に図が載る。
なお、この前話「譚海 卷之八 房州の犬伊勢參宮の事」は既にフライング公開してある。]
○備前の家老に某といふ人、名は「よしかせ」と云(いふ)。和歌の堪能にて、役義[やぶちゃん注:ママ。「役儀」。]の外は、詠出三昧(えいしゆつざんまい)に成(なり)てゐる人、あり。上冷泉殿門人にて、爲村卿も、殊に御深切ありし人と聞ゆ。
ある年の、「夏ひでり」にて、雨、久しく、ふらざりしかば、百姓共、
「雨乞(あまごひ)の歌をよんで給(たまは)るべき。」
よし、願(ねがひ)けるに、數度(すど)、辭退せしかども、强(しい)て望(のぞみ)ければ、是非なく、
世をめぐむ道したゝずば民草(たみぐさ)の
田面(たのも)にそゝげあまの川水
と、よみやりけるに、卽時に、雨、降(ふり)て歡喜しける。
[やぶちゃん注:「したゝずば」の「し」は副助詞で、強意。]
又、其後(そののち)、何(いづれ)の年にか、旱魃(かんばつ)せしに、百姓ども、ありし事を、おもひいでて、又、雨乞の歌を願ければ、此人、
「二度迄は、あるまじき事。」
とて、强(しひ)て辭退せしかども、承引(しよういん)せざりしかば、せんかたなくて、又、此たびも、一首、詠みける。
久堅(ひさかた)の雲井の龍も霧を起(おこ)せ
雨せきくだせせきくだせ雨
此度(このたび)も、例の如く、雨、降(ふり)しかば、百姓ども、人丸(ひとまる)の如くに覺えられたる人なりとぞ。
又、同藩に、東照宮の祭禮、每年おこなはるゝに、本社より、御旅所(おたびしよ)へ御出(おいで)の事、有(あり)。其間(そのあひだ)の道のり、一里にも、あまりたる所なれば、中途にて、いつも御休所(おたびしよ)、有(あり)て、それより又、ねりいでて行(ゆく)事なり。
[やぶちゃん注:「東照宮」現在の玉井宮東照宮(たまいぐうとうしょうぐう:グーグル・マップ・データ)が後身。]
いつの年にか、神輿(しんよ)を、例の如く、中途の御休所にとどめてありしに、此日は、家中の諸士、みな、甲冑して供奉する事なるに、いか成(なる)事にか、そこにて、一人、聲をあげて呼(よび)ければ、それにつきて、數(す)百人一同に、聲をあはせてさけびたる。
そのひゞき、甚(はなはだ)、らうがはしく、中々、制しあへぬ體(てい)なりしかば、奉行の人も、いかにとも仕兼(しかね)たる所に、ある家士、壹人、床几(しやうぎ)にかゝりて居(ゐ)たるが、鎧の引(ひき)あはせより、「ひちりき」を取出(とりいだ)して、平調(へいてう)[やぶちゃん注:穏やかな調べ。]の「五常樂(ごじやうらく)」の音取(ねとり)[やぶちゃん注:音楽を演奏する前に、楽器の音調を試みるための、短い一種の序奏。神楽・雅楽・能楽などで、多くは笛を主に行われる。]を吹(ふき)すましたりければ、さしもらうがはしかりし、人聲(ひとごゑ)、
「ひし」
と、しづまりかへりて、靜謐(せいひつ)に成(なり)たる、とぞ。
「機轉の所作(しよさ)、國主も、殊に感じ給ひし事なり。」
と、かたりし。
「總て、備前には和歌管絃等を嗜(たしなむ)人、多し。戲(たはむれ)にも「上(じやう)るり」[やぶちゃん注:ママ。「淨瑠璃」。]・「小うた」など、うたふ人は、なき事。』
とぞ。
[やぶちゃん注:「五常樂」雅楽の曲名。序破急の完備した唐楽で、舞人四人によって舞われる。急の部分は、管弦の形でも、しばしば単独に演奏される。唐の太宗の作とされ、曲名は仁・義・礼・智・信の五常に由来すると言われるが、異説もある(平凡社「百科事典マイペディア」に拠った)。]